モンゴル行くならウランバートル以外も寄ろう

1年前にもモンゴルのことは何度か書いた。上空をから見てびっくりした最初(「モンゴル、雄大なる大地」)から、モンゴルを去るまで。

モンゴルを旅をする際、気をつけなければならないのは、首都のウランバートルとそれ以外のところでは、過ごし方が違うということ。首都以外では自分の車を確保していないと全く動けない。大抵の場合、道なき道を行き交うことになるからだ。正直なところ、ウランバートルはあまりパッとしない首都だし、モンゴルの魅力はそんな都市部ではないと断言できる。この国を旅する予定のある人は、さっさと首都から移動することをお勧めする。

僕の場合は、妻のゆっきーの友人を通じてあらかじめ「ツェベクマキャンプ」を予約できたので、楽しく快適な旅ができた。ちなみに、1年前にモンゴルについて記したことの大半はこのツェベクマキャンプと、そのオーナーのイミナさん夫妻のことだ。詳しくはその別稿を読んでもらいたいが、イミナさんは司馬遼太郎の作品「草原の記」に取り上げられた女性、ツェベクマさんの一人娘で、多少なりとも日本にゆかりのある人だった。

午前中、ウランバートルの空港に到着。イミナさん夫妻が迎えにきてくれていた。キャンプはウランバートルから車で数時間の地、テレルジにあり、市内を経由する。

ウランバートル市郊外を抜けようかという車窓から見えたのは、よく似た構えの大量のマンション群。社会主義の名残のようで、日本でも東京の多摩や大阪の千里あたりなら、URのマンション群で似た景色が見られるかもしれない。高度成長期の日本は日本型社会主義といおうか、社会民主主義といおうか、そんな側面があったことを、大都市郊外の団地群が教えてくれる気がする。

さて、途中、ショッピングモールに寄って、ほとんど来客がいないフードコートでテイクアウトの焼きご飯を買ってくれた。車で移動しながらいただく。

人影が少なく、さびれた雰囲気のどこにでもありそうなフードコートと見くびっていたら、この焼きご飯、意外とおいしい。思わず笑顔になった。さらに、幹線道路沿いにある大きめのスーパーでイミナさんが食材を買い物。おもちゃの類も充実していた。目についたのはトランプ。アメリカの偉いさんじゃない、あれだ。

モンゴル相撲の柄で、大量に積まれていてオリジナリティにあふれているというか、迫力があるというか。土産物の王道をいっていた。この先、旅のお供にしたい気持ちをぐっとこらえて、キャンプまでいく。途中から幹線道路を外れて道なき道をいき、到着。

ツェベクマキャンプでは、伝統あるモンゴルゲルかロッジに泊まることができる。僕たちチームシマは当然のように、モンゴルゲルに泊まった。本来は遊牧民の移動式の住まいとして用いられていた。ウランバートル市内でもよく見かけるが、首都圏の場合は家を建てられるほどの財力のない人たちがゲルに住んでいることが多いそう。

車内でご飯を食べたばかりだったが、キャンプでも昼食を用意してくれて、イミナさん夫妻とともにたらふく食べた。ここで提供されるものは自然由来の物ばかりで、文句なしにおいしい。

机にあったティッシュペーパー立てが馬をかたどった洒落たデザインで、一緒に旅をするぬいぐるみのロバ太郎、はじめ、ロバの助(右から)と記念撮影。

2人とも満腹のうえに、連日の移動疲れも出て、ゲルの中でしばらく昼寝。イミナさんがゲルにやってきて、乗馬体験ができるというので、疲れの取れないゆっきーを置いて、僕1人楽しんできた。透き通った青空に豊かな牧草の緑(イミナさんいわく、それでもこの年は雨が少なくて枯れ気味だったそう)の自然、馬上からの開放感のある景色が何ともいえない素晴らしさで、早速、旅のハイライトを迎えた気分に。

1年前には、このときの体験をベースにした感想(「モンゴルは自然だけでも魅力十分」)も書いている。こんなに爽快なら、ゆっきーをたたき起こしてでも一緒に味わいたかった。

撮ってもらった写真は3枚のみ、そのうちの1枚は誘導役の男性の影がばっちり移り込んでいてミスショット。貴重な写真がもったいない。

乗馬体験のあと、ゲルの前で1枚。ゆっきーもやっと復活した。あまりおなかが減っていなかったけれど、晩ご飯もたっぷり用意してくれていた。

ウオッカはモンゴルの英雄、チンギスハーンにちなんだもの。しこたま酔っぱらう。昼夜の寒暖差が激しいと聞いていたが、夜は思った以上に冷える。暖房を焚いてもらう。澄んだ空気に星空がきれいだった。

翌日もキャンプに滞在。朝から何とも豪勢な食事。何を食べてもおいしい。肉は羊がメインで、羊肉が苦手のゆっきーもおいしそうに食べていた。

この日はキャンプの周辺、といっても片道数十キロ以上はある道のりに点在する観光スポットを見て回った。イミナさん夫妻、ツェベクマキャンプも含めたその時の様子はこちらから(「やさしさが身にしみたツェベクマ・キャンプ」)。

そのうちの1つ、巨大なチンギスハーン像がある施設の中に入ると、これまた巨大な靴。他にもチベット仏教の寺に行ったり、地域唯一の5つ星、テレルジホテルでお茶したり。とはいっても、テレルジには町と呼べるほどの機能はない。

ツェベクマキャンプのほど近くにある案内看板。カタカナ表記もある。周りは店の1軒もない。テレルジは大自然に囲まれたエリアだ。

相変わらず、これ以上は無理というほど食べて飲んだ2泊3日の行程も終わり、翌日にはウランバートルへ戻ることに。雨の中の移動は道なき道を進んだり、川を横切ったり。モンゴルでの移動は四駆じゃないとできない。

途中で、ゆっきーがどうしても行きたかったという施設に寄る。

ビーバーの保護施設。ゆっきーはビーバーに並々ならぬ愛着があり、はじめもビーバーをデザインした人形。そして、モンゴルにもビーバーが生息しているそうだ。この施設では、実物のはく製を前に写真を撮った。はげ頭の職員が僕に対して「お前は(同じはげの)仲間だ。このはく製を持って帰れ」と冗談をかましてくれた。

そこから車で10分も行かない場所には、イミナさん夫妻の一人息子の嫁と、その両親の別荘があり、一緒に立ち寄らせてもらう。一人息子の義理の父は高橋克実に似ていて英語が堪能、その妻はドイツ語学校を経営していて、僕たちがツェベクマキャンプにいる間、まだ小学生ぐらいのそこの生徒たちがサマースクールで滞在していた。

写真の右端の人物、高橋克実似は国の要職に就いていた時期もあるらしい。「モンゴルは人口300万人だから、モンゴル語を話すだけではビッグビジネスができない。だからいろんな言葉を覚えるんだ」と話していて、世界のどこにでも進出している中国に似たたくましさを感じた。日本人だって、かつてはたくましかったはずなんだけど、旅をしていると力弱さを感じざるを得ない。

僕が外国に足を向け始めたころ、1990年代後半はそうでもなかった。中国が急速に国力をつけたここ20年くらいでまったく様相が変わってしまった。韓国も家電や車をはじめ力強さを増している感があって、相対的に日本が弱くなったように感じるのだろう。そうはいっても、首都、ウランバートル市内には元幕内力士の旭鷲山の名を冠したビジネスホテルがあり、相撲を通じた日本とモンゴルの関係の深さは、観光客の目に見えるところにまで存在していた。

別荘にいる間に雨が上がり、ウランバートル市内に予約していたホステルまで連れていってもらった。

ホステルから眺めるウランバートルの街並みはやはり、パッとしなかった。モンゴルの伝統芸能を気軽に見られたりするのはさすが首都、便利だけれども。ウランバートルに着いた翌日、チケットを入手して見にいった。いろんな出し物があり、楽器演奏は全般的によかった。

元横綱・若乃花みたいな演者もいた。本当にそっくり。

首都では、土産物を探すのも便利なことは、いうまでもない。

モンゴルの伝統的な帽子、マルガイをかぶるゆっきー。なぜか渋い顔。土産品ではないものの、宿にも伝統的なあれがあった。

屋内モンゴルゲル。中では食事もできる。家の中につくってどうすんねん。観光用を通り越して、住みかという所期の目的さえ果たさなくてよくなったゲルは、何とも滑稽だった。