モンゴルの次はロシアに入国、最初に目指したのは東シベリアの交通の要衝、イルクーツクだった。街中にある建物、交通機関、土地を見ていると、数百年単位はありそうな歴史の蓄積を感じる。その一方で、新しさを思わせるものは、ここ数年のうちに再開発された巨大ショッピングゾーン以外にはほとんどなかった。
目につくのは、冬場の寒さがしのげるのか疑問なくたびれた建物群や、好きな人が見たら喜びそうな、ソ連時代から長いこと使っていそうな、ガタのきているトラムの線路や車両。妻のゆっきーは、地名になぞらえて「ボロクーツク」と言いだすほど。広大なロシアにあって、国の中心・モスクワから東に遠く離れたシベリアの地は、官民の積極的な投資がされていないようだ。いまも昔も中央から忘れ去られていそうな、不遇の地なのか。訪れたのは夏場だったものの、天気が曇りがちだったためか、街にもどこか暗さを感じた。見方を変えると、そうした部分にシベリアの情緒が感じられ、味があっていいのかもしれない。どんな街だったのか、じっくり見ていく。
5日間、滞在したモンゴルからシベリア鉄道に乗ってを国境越え、ロシアへ。まずはシベリアの主要都市、イルクーツクへ向かう。目的は、世界で最も深い湖、バイカル湖を訪れること。この湖は、ロシアに行くなら必ず行きたかった。
モンゴルを去る前、ウランバートル市内を歩いているとよく目についたのは、バス停にあったポテトチップス「Lays」の広告。
袋には中身も入っているのだろうか、と思わせる。普通に考えたら入っているわけはない。注意のひかせ方がうまい。
ホステルでは宿代を少し負けてもらえたうえ、昼過ぎには郊外にあるウランバートル駅まで車で送ってくれて、こういうところにもモンゴル人の優しさを感じた。駅は空港と同じく、一国の首都の割には小規模だった。
ロシア行きの列車が来て、記念撮影。シベリア鉄道につながる国際列車の車両はロシア製、モンゴル製、中国製の3種類あるようだが、今回乗ったのはロシア製の車両、かなりきれいでテレビ付きだった。この日は、サッカーロシアW杯の日本の初戦、コロンビア戦があったので、もしかしたら映らないかなと思ったものの、やはりダメだったので、なくてもよかったわけだが。この後、何度もロシア鉄道に乗って長距離移動をしたけれど、テレビ付きの車両を見たのはこの時だけだった。
ウランバートル駅を出てすぐの車窓から。やはりもっさりしている。
車内でくつろぐ。2等席の4人部屋のコンパートメントで、2段ベッドの上下を使う。向かい側は一人旅のモンゴル人女性だけだった。
ロシア国境まで3分の2ほどの道のりをやってきて、ダルハンという駅に停車。これだけ明るいものの、駅ビルに示された時刻はすでに20時を回っていた。日本では考えられないくらい日が長いシーズンがこの先、しばらく続いていくことになる。ここからさらに、厳しいかと思いきや意外と優しかった国境越えの様子は、以前の投稿(「シベリア鉄道はやはりステキだった!」)に詳しく書いた。
翌朝、バイカル湖のそばを通って、という規模ではなく、何時間も眺めてから別れてイルクーツクに到着。
シベリアでも有数の街で、歴史もある。駅も立派だ。市街地をトラムが走っていて移動はしやすい。
ただ、街並みはかなりさびれていた。駅から歩けるところに取った宿の窓からは、道路を挟んで集合住宅が見えた。これは社会主義時代のものか、ちょっと古めかしい。
外に出ると、木から飛んだ綿のようなものが舞っていて、道路にもびっしりとたまっている。特に調べなかったので、これが何なのか分からずじまい。妻のゆっきーも投稿するほど(「白いほわほわ」)には気になっていたらしい。
こんな数メートルあろうかという木から舞っていた。背後の建物のように、やたらと背が低い窓、ガタがきた木造やレンガ造りの建造物が目につく。新しめの建物や区画もあるにはあるけれど、この街ではあまり金が回っていないのか、一部に限られている。
宿から最寄りのトラム乗り場にあった雑誌売りのスタンド。新しめの建造物は目立つ。目を引くディスプレイの仕方で思わず写真を撮った。
こんな通りもあった。2017年には金沢市との姉妹都市提携から50年になったらしい。
イルクーツクではロシア料理のボルシチがおいしい店があった。ただ、お店として印象に残ったのは「ニュージーランドパイ」というパイ屋さん。
ニュージーランドで修業したという女性がオーナーのお店で、店内はこじゃれていた。味もよく値段も安い。気に入ったので別の日にもう1度行った。
昼休憩中なのか、スーツ姿の地元のサラリーマンもお昼に来ていて僕の後ろに座った。皆、カッターシャツの下に何も着ていないのでスケスケ。こういう着こなし方をするのが本来のあり方だ。
市街地にはショッピングモールやテントを張ったマーケットも見かけたが、賑わいはあまり感じなかった。
トラムに乗って見どころの1つ「カザン大聖堂」に行く。
前の席に座っているおかあちゃん、座席から肉が完全にはみ出している。欧米に行くと、飛行機のエコノミークラスなら2席は要りそうなほどでっぷりとした人を実によく見かける。
隣に座っていた男の子が後ろを向いて、人形のロバ太郎、ごんばはじめを使ってゆっきーと遊びだした。言葉は通じなくても、子どもの世界は万国共通。しばらく楽しそうにしていた。
ゆっきーの趣味、毛糸屋さんめぐりはこのイルクーツクからスタート。一緒に入った僕は店内に居場所がない感じがして、何ともいえない硬い表情になってしまった。
翌日には、バスに乗ってバイカル湖へ。 ようやく間近に見られたバイカル湖は、やはり海のよう。
右手に持っているのは杖ではなくて、360度カメラと自撮り棒。頭の上でぐるぐる回しながら撮ると、映画の「マトリックス」のようなバレットタイム撮影ができる。
バイカル湖沿いを歩いていると、2人とも服に大量のハエのような虫がついてきた。この日、体調がよくなくて厚着してサングラスにストール、マスクまでしてきたゆっきーは虫にたかられて、奇妙な不審者と化していた。
ここで泳ぐな、という標識。とても泳ぐ人がいるようには思えない。バイカル湖はとにかくデカい。その特徴の水深は、当然のことながら湖岸や湖面から眺めているだけでは全く分からない。湖を見たいだけなら琵琶湖でも十分。バイカル湖の水の色がやたらと深い青、どちらかといえば「碧」だったのが印象に残った。
長いようで短かった3泊の滞在、晴れたのは出発の日の1日だけ。初日の曇り空と見比べてみても、晴れているだけでも随分、印象は変わる。晴れている時間が短く、貴重だからこそ、晴天の時の輝きが一層、増すのだろう。