ロシア その6 さらば遥かなる大地!モスクワとサンクトペテルブルグで芸術めぐり

モスクワにいる間にロシア滞在も2週間を超え、国外に去る日も近づいてきた。日本人がロシアに滞在する場合、2018年7月現在ではビザが必要で、それは1年後も変わっていない。しかし、サッカーロシアW杯の開催期間と前後10日間は、試合観戦のチケットを手に入れて「FAN ID」というカードを発行してもらうと、ビザなしでロシア国内を旅することができた。この「FAN IDがあればビザ不要」という措置は、W杯終了時にプーチン大統領の発案によって、いきなり年末まで延長されることになる。権力者の鶴の一声で広大な国土の人たちが右往左往させられるところは、いかにもロシアというにおいがする。

チームシマはその流れに乗って、面倒なビザ申請の手続きもいらず、ストレスフリーな旅を続けていたわけだが、7月7日の七夕の日にはフィンランドに入り、友人と合流する予定となっていた。僕たちはロシアを去る前に国の特色の1つ、芸術分野や美食の分野にも切り込んでいった。その第1弾が、モスクワに着いてすぐに見にいったボリショイサーカスで、あふれる魅力に取りつかれてしまったことは前回にも書いた通り。次は美食の番だ。

日本のW杯敗退が決まった翌日、モスクワの高級レストラン「プーシキン」(PUSHKIN)へ。有名店だけあって行列待ちだったが、妻のゆっきーは間もなく食べられるであろうおいしい料理を前に、喜びにあふれた顔。豪華な内装をじっくり見ているうちに、席に通された。

ランチメニューを頼もうと思っていたのに、サッカーW杯の期間中は提供していないらしく、割高な単品を注文するしかなかった。この商売上手め、足元を見やがって!などと心の中で悪態をついてみたものの、ここは客の方が圧倒的に弱い立場、席を立つわけでもなくメニューから選んだ。ボルシチなどスープ2種類に他の料理も2品つけて5070ルーブル(約9000円)。モスクワでの宿代2泊分より高くついた。

1日の予算を決めていたわけではないが、大赤字が必至。僕の表情も必然的に硬くなった。こうして写真を眺めると、我ながら、顔に嘘はつけないものだと思う。店内は、どこにでもいそうな観光客といういでたちの中国人、韓国人が多く、このレストランで食べられるくらいのお金はみんな用立てしてきたのかと思うと、我らがバックパッカーの身分との落差を感じた。

しかし、ここのボルシチは他のどこで食べたものよりも格段においしかった。これこそ本物の味。出費を覚悟して食べた甲斐があった。とりわけ、ゆっきーの胸に響いたようで、この後、何度も話に出てきた。ボルシチ自体は650ルーブル(約1150円)で食べられるので、同じものを同じ価格で提供してくれる店が家の近くにあれば、毎週のように訪れたいくらい。

夕方には、ボリショイ劇場へ。市バスのバス車内で立っていると、手すりの部分にUSB充電器を発見。試したらちゃんと使えた。立ちっぱなしで充電する人はどれほどいるのか。充電中のスマホやケーブルが盗まれることはないのか。ただ、試み自体はなかなか面白い。

ボリショイ劇場ではオペラを鑑賞した。チームシマのマスコットキャラクター、ロバ太郎も同行。劇場前は着飾っている人たちが多く、周囲からは、入学式の晴れの舞台に迷い込んだ、場違いな異国人たちのように僕たちが写ったことだろう。

中はゴージャスとしかいいようのない内装。それでいて品があった。こうして写真に切り取ると、大きな吹き抜けのある豪華客船に滞在しているかのよう。

品のない人が1人。

キンキラキンの会場を前にチームシマで記念撮影。
この日の演目は「スペードの女王」。オペラには英語字幕もあったものの、登場人物が多く、観劇の素人がついていくのは難しかった。

4時間にわたる熱演のあと、フィナーレ。これでチームシマのモスクワ滞在も終幕を迎えた。

翌日には、古都のサンクトペテルブルグに向かうためレニングラツキー駅へ。

駅名は、ソ連時代の都市名だった「レニングラード」にちなんでいる。モスクワのバス停「ウクライナホテル」のように、ソ連時代の名残が少しずつ残っているのが興味深い。

僕たちが乗り込んだのは、モスクワとサンクトペテルブルグを結ぶ高速列車「サプサン」号。これまでに乗ってきたロシア鉄道の寝台列車とは外観も内装も大きく違っていた。

新幹線のような車内。事前にスーパーで買っていた食材でご飯を食べた。

途中で見かけた湖。どことなく、北欧に近づいてきたと思わせた。

サンクトペテルブルグに到着。駅からは、思っていたよりもっさりした空気を感じた。

宿に向かう車内から。サングラスをかけたゆっきーが中国や北朝鮮あたりからの観光客のように見えなくもない。

建物群はモスクワよりも低層で、確かに古都で情緒もあり、川や運河、海も身近で、モスクワのバカでかさに比べたら中心がコンパクトにまとまっているのだが、どうにも街から漂ってくるワクワク感が薄かった。滞在中、曇天が多く雨もよく降ったからだろうか。

サンクトペテルブルグで泊まった宿が入る、古い建物の階段。雰囲気のある建物の中で映えるのは、僕のはげ頭。宿自体はリノベーションされていてとてもきれいで清潔、過ごしやすかった。宿側はオーナーと思われる女性がずっと滞在、管理していて、どのようにして生活しているのか謎が残った。

チェックインのあと、早速、外をぶらぶらした。

これは店舗などを広告する車。こういったカラフルな高級車やヴィンテージ車を街中でよく見かけた。

びっくりさせられたのが、大通りに面した建物のベランダで逆立ちしている人。よく見ると人形で、足が左右に動き、通行人を驚かせる仕組み。この前を通るたびに、写真に撮っている人を見かけた。

芸術とともに食にも期待していたが、この街ではいい食堂に巡り合えず。グーグルマップで評価の高かったサンクトペテルブルグの食堂チェーン「スタローバヤ No1」でも食事をしたものの、ナンバーワンかと言われると、そうじゃないと言い切れる。

翌日はエルミタージュ美術館へ。この日は毎月第1木曜の無料開放日で、行ってみると長蛇の列。入場まで2時間半くらい待っただろうか、晴れていたのが救いだった。ただ、ゆっきーは待ち時間の間にすでにヘトヘト。

美術作品以前に、豪華絢爛ないろんな広間を見ているだけでも楽しめた。ただ、個人的には、こういったごく一部の特権階級によって蓄えられたものを見るよりも、市井のものやそこににじみ出ている暮らしといったもののほうに関心が向く。

宿に戻った後、夜遅く、1人で散歩していると強い雨が降ってきた。23時になろうかというのに暗くなりきらない空模様の中、街灯に照らされた運河沿いがヨーロッパの香りを運んでくれた。もうここはアジアではなく、ヨーロッパだ。

翌日は前夜から雨が続いたものの、昼下がりには上がり、マリインスキー劇場までバレエを観にいく。演目は「白鳥の湖」。

歩いていく途中、蛇行する運河にぶち当たった。ライオンの置物が支えている木製の吊り橋で、歴史がありそう。

マリインスキー劇場は、きらびやかな中にも往時の雰囲気がよく残っている印象があり、サンクトペテルブルグの良くも悪くもどこかもっさりした部分を鏡のように映しだしていた。

バレエは言葉がない分、オペラよりも純粋に楽しめた。しかも、よく知られた白鳥の湖だけに物語が分かりやすく、没入してしまった。惜しかったのは、席が端に近くて死角が多かったこと。同じく安いチケットを買ったボリショイ劇場では見えない部分がなく、不便を感じなかったので、残念だった。このあたりはやはり、古い劇場だ。

翌日。いよいよロシアを去る日がやってきた。朝は早めに起きて、物価が高いフィンランドに備えてスーパーで買い物をした後、10時半過ぎに宿を出発。これまで触れることがなかったものの、ロシアのスーパーには何度となくお世話になっていて、名残惜しかった。

駅に着き、ヘルシンキ行きの高速列車「アレグロ」に乗り込んだ。車内は新幹線とよく似ていた。ロシア入国時は寝台列車の中、係官の一行に日本対コロンビア戦の結果を教えてもらったことが、遠い出来事に感じられた。

あの日から18日間も旅していたロシア。その後しばらく、一国の滞在期間では最長となった。それでも行き残したところが多い。日本人のビザが必要なくなって、もっと訪れやすくなればいうことはないのだが。再訪を強く心に誓って、世界最大の面積を誇る国を離れた。