リトアニア滞在も半分が過ぎ、杉原千畝の「命のビザ」の舞台、カウナスまで1泊2日のバス旅に出かけた。ヴィリニュスものんびりできそうな街だったが、カウナスはそれに輪をかけてゆったりとした時間が流れていた。その割には適度に観光地化されていて、ぶらぶらと街を歩くのも楽しく、日本を感じられる部分もあって、弾丸旅行ではもったいなかったように思う。
少し前、ラトビアのリガからリトアニアのシャウレイ行きのバスに乗ろうとした際にトラブルがあった。ネットで2人分予約したのに乗車前日、送られてきた切符はなぜか1席分だけ確保されたことになっていて、マズいことになるかもしれないと思っていたら案の定、現地でバス運転手に乗車拒否されそうになった。僕が当初の予約メールを見せて説明しているうちに、運転手は電話でどこかと連絡を取ってくれて、無事に乗り込めた。日本ではありえないようなことが、外国では時に起こりうる。
それ以降、バス予約にはとりわけ注意を払うようになり、今回はすんなりいった。ほっとした表情でシナモンロールを手に出発。カウナスに着いて、まず向かったのは「杉原記念館」。
バスターミナルから歩いて向かうと、いきなり丘があって長い階段にぶち当たり、暑さも相まってゆっきーはヘトヘトに。
階段を登りきって少し歩くと目的地に着いた。やはり日本人の来館者が多いようで、バルト三国で訪れた施設の中でも、日本語表記が圧倒的に目についた。
これは室内。往時の雰囲気が保たれていた。
リトアニアは第一次世界大戦後にポーランドの侵攻を受け、その後、20年間ほどは臨時首都をカウナスに置いていた。杉原記念館の日本語パンフレットによると、第二次世界大戦が勃発して2か月後の1939年11月、在カウナス日本領事館が開設され、杉原が領事代理として赴任。1940年7月から8月にかけて、リトアニアに逃れてきたポーランド系ユダヤ人に2,193通のビザを発行し、家族も含めて6,000人近い人々がこのビザを使って亡命したという。どのくらいのユダヤ人を救ったかについては諸説がある。
杉原といえば、今でこそ「命のビザ」が知られるようになったが、その存在は戦後、長いこと日本では知られておらず、クローズアップされるようになったのは1980年代に入ってからとされる。
当時、使われていた日本領事館のゴム印が自由に押せたので、ノートにポンとついてみた。こういうサービスがあるとほっこりする。
杉原が当地に赴いたのは諜報活動をするためで、このことは当時、カウナスには在留邦人がほとんどいなかった事実から容易に想像できるものの、現地の杉原記念館でさえもこの観点は取り上げていない。外交官・杉原の人物像として、多くのユダヤ人を救った一側面からしか捉えていなかったのは残念だった。
記念館を出て、この日の宿泊先に向かう途中、日本食を出すという日本人オーナーの店「Kamakura」でお昼をとった。
オーナーさんは北海道出身らしく、苗字でもないけれど店名はなぜか「Kamakura」。オーナーさんが不在のため由来を聞きそびれたのが悔やまれる。出された料理は独特のアレンジが加えられていて「?」という雰囲気。それでも味はしっかりしていて、安さにつられて翌日の昼も利用した。
店を出て歩いていると、ゆっきーの好きなビーバーのワッペンを貼ったワゴン車を発見。このあたりの国では珍しく、イギリスのナンバーを付けていた。
ようやく到着した宿泊先は教会……ではなくて、教会が経営しているゲストハウス。この世界旅行で教会系の施設に泊まるのは初めてで、清潔だった。荷物を置いて散歩にでかけた。
聖ミカエル教会の前で音楽演奏をしているグループがいて、心地よいリズムと空間に、思わず足を止めて聴き入った。
杉原が領事館を引き払った後もビザを書き続けたというホテル「メトロポリス」。壁には杉原のプレートが埋め込まれていた。
夕食をとりたかった店がことごとく閉まっていて、最後は宿の近くのレストランで晩ご飯。高級な雰囲気で、町の雰囲気もあってか、ゆったりとした気分になった。冷製ボルシチはここでもピンクの鮮やかな色合いだった。
カウナスで見る最初で最後の日暮れ。空がほどよく焼けていていいムードが出ていた。
翌朝、宿の近くを散歩していると、ファーマーズマーケットに遭遇。
これはリトアニアの伝統菓子「シャコティス」。とげとげしい見た目が特徴的で、長さは特に決まっておらず、まちまち。後に買って食べてみると、歯ごたえがあった。味の方はバウムクーヘンに似ていて可もなく不可もなくといった印象で、のどが渇きそうな感じ。
露店の背後の建物には、インパクト大の壁面アート。有名な作品のようで、飛行機の機内誌でも見かけたほど。
宿を出てバスターミナル方面に向かうと、別の建物でも壁面アートが描かれていた。
途中には、遠くまで見通せる、雰囲気のいい道路にも出くわした。
メインの通りの書店には、現地語訳された茂木健一郎の書籍も見かけた。日本語のタイトルは「生き甲斐」。どこか暗示的だった。
昼食の前、ケーブルカーに乗ろうと行ってみたものの長期休業中。前日の夕食といい、カウナスはどうもタイミングの合わないところが多かった。これも街との相性だろうか。
長距離バスでヴィリニュスに戻り、バックパックを置いていた宿に再びチェックイン。外に出て、街角でリトアニアの伝統飲料「ギラ」のスタンドを見かけたので買ってみた。
こうしたスタンドはロシア以来。このあたりの国々に共通した文化なのかもしれない。ギラを注ぐ腕のタトゥーが絵になっていた。
宿に戻り、先ほど買ったギラとともに軽めの夕食。まるで朝ご飯のよう。
出発の朝を迎えた。
友達と途中で別れ、チームシマ解散の危機がありながらも楽しんだバルト三国の道のりを踏みしめながら、空港行きの路線バス停留所に向かった。次の目的地はベラルーシ。首都ミンスクまで空路わずか35分なので、長距離バスで行けばいいものだが、空路でなければならない事情があった。
ヴィリニュスの空港に到着。外観は鉄道のターミナル駅かという立派さなのに、中は商業施設が少なく拍子抜け。
無事、出国手続きを終えてベラルーシ国営のべラヴィア航空の搭乗口へ。バルト三国とは違ってロシアと今でも緊密な関係を持つ旧共産圏、いろんな枕詞付きで語られることの多い謎の国。期待感は否が応でも高まった。