ウクライナ その1 物価の安さはうれしいものの、街の雰囲気は「ウッ!暗いなあ」

なかなか筆が進まない。どうしてかは、はっきりしている。ウクライナは僕にとって、旅の中でも1、2を争うほど相性の悪い国だった。細かいことから大ごとになりそうなことまで、何かとトラブルが発生し、大事に至らずに通過できたのが不思議なほど。タイトルにダジャレを盛り込んでようやく書く気が起こってきた。

べラヴィア航空で首都キエフの上空に入ると、黄や赤や青で塗られた派手なビル群が見えた。「あそこに行ってみたい!」と咄嗟に思ったところで、その時点では何の情報もなく、ひとまずボルィースピリ国際空港に降り立った。

因縁は空港から始まっていた。入国審査はトラブルもなく終わり、キャッシングでお金を引き出そうとしたが、1台目のATMは手数料が高かったのでキャンセルした。2台目の隣の機械で現金を手にできたものの、1台目からもレシートが出ていたのでそれを取って読んでみたら、こちらからも金が引き出されたことになっていた。しかも、時間内に金を受け取らなかったので現金をATMの中に引き込んだ、あなたの銀行に連絡してくれというメッセージまで書いてあった。

何だか新手の詐欺に引っかかったような気分。いつかは起こるだろうと思っていたクレジットカードがらみのトラブルが起きてしまい、ウクライナに到着して早々、少し落ち込んだ。

気を取り直して宿へと向かった。今回の宿は、妻のゆっきーが初めて民泊サイト「Airbnb」を使い、マンションの1室貸し切りで利用者の評価が高かった物件を予約してくれていた。

宿は郊外に位置していて空港からは交通の便が良くなく、タクシーで向かうことに。ところがここで、第2のトラブルが発生。タクシー配車サービス「UBER」を使おうとしたものの運転手と落ち合えないまま時間が過ぎ、キャンセル料が発生してしまった。いきなりケチがつきまくりのウクライナ、先が思いやられた。

別のタクシーに乗ると、ぼったくり気味だったものの何とかマンションにたどり着き、宿の貸主の指示通りに鍵を受け取って部屋に入った。広さはまあまあ、日本の感覚からすれば築20年くらい。ゆっきーには衛生的でない部分が早速、目についたようで、気落ちしているのがはた目からも分かった。

そんなゆっきーのテンションを上げてくれたのが、ソファーに座っていたぬいぐるみ。ゆっきーは「ねこまる君」と名付け、その後、何度も話の引き合いに出される人気キャラクターになっていく。宿の印象は良くなかったものの、ねこまる君と出会えただけで泊まった甲斐があったらしい。そんなものなのか。

マンションからの眺め。キエフの郊外は緑が多く、建物の合間から木々が見えていた。

大規模なショッピングセンターまでバスで往復し、SIMカードを買って晩ご飯の食材を求めてスーパーにも寄った。そこで数か国ぶりの「ビーバー案件」を発見。かわいらしいビーバーのイラストがついた、パンを加工した風のお菓子だった。

チームシマのメンバー、ロバ太郎とはじめとともに記念撮影。後日、このお菓子を食べてみたら、塩味寄りの薄味で全然おいしくなかった。

翌日は坂道を歩き、メトロに乗ってキエフ中心部を歩いて回ることに。

これは、昼ご飯を食べたウクライナ料理店のすぐそばで見かけた大きな建造物。ロシアのモスクワを思いだした。

独立広場付近にある独立記念碑。この独立広場は、2014年に発生した反政府運動と治安部隊による武力衝突の舞台になったが、すでに面影はなかった。このあたりは着ぐるみを着ている人たちや動物を操る人たちの詐欺師集団がいるという情報があり、注意を払って見渡すと……この時にもそれらの人たちがやはりいた。写真にも写り込んでいる。

2014年には、ウクライナでの政変を受けたロシアによるクリミア併合も発生し、以来、ウクライナ東部は治安情勢が不安定なままだ。通貨グリブニャは大きく下落し、外国人観光客にとってはありがたいことになっているが、地元住民は相当暮らしにくくなっていることは想像に難くない。ロシアと同じくらい街がきれいだったベラルーシから来たからか、街中ではごみが多く、建物が薄汚れていて、街の雰囲気にもどことなく暗さが漂っていた。この後に行くウクライナ西部を代表する都市、リヴィウでも似た感触を持った。

キエフの見どころの1つ、世界遺産の聖ソフィア大聖堂。絵になった。キエフで訪れた場所の中では最も雰囲気がよく、気に入った。

さらに歩いていると、外国で時々見かける変な日本語の代表格のブランド「Super Dry 極度乾燥(しなさい)」の広告看板が、おしゃれなビルの壁面に取り付けられていた。この「Super Dry」、以前は東アジアや東南アジアあたりのブランドかと思っていたが、よく見かけるようになった後で調べてみると、イギリス発祥だった。

ウィキペディアなどによると、すでに40か国以上に計500以上の店舗を展開しているという。ユニクロやZARAなどのファストファッションとは一線を画していて、価格帯や質感にやや高級感があるのだが、完全に用法を誤っている日本語が目に付くため、どうしても胡散臭く見えてしまう。

ちなみに、日本では店舗展開どころか商品さえ流通していない。これには商標権が絡んでいるようだ。日本で「スーパードライ」といえば、ビールに他ならない。ちなみに、東京・浅草の「うんこビル」の愛称で親しまれている建物は、正しくは「スーパードライホール」というらしい。普段、外国で日本語を見かけるとホッとしたり、ほっこりしたりするものだが、Super Dryにはそんな気持ちを全く感じないのは、日本語になっていない日本語を使っていることに加えて、日本ではほぼ見る機会がないブランドという事情が折り重なっているからだと思う。

大きく話が脱線してしまった。ハンドメイドのチョコレート屋に入った。

このお店はリヴィウに本店がある。キエフまで進出しているだけあって、チョコレートが濃厚で味はなかなかのもの。物価が安いのをいいことに、バナナも入れてたっぷり味わった。

恍惚の表情。こうして見ると、スイーツにおっさんほど似合わないものはない。

翌日。まず、ケーブルカーに乗りにいった。

しかし、リトアニア・カウナスに続いて長期休業中。チームシマはケーブルカーには縁がないのだろうか、と思わせた。

気を取り直してラーメン店へ。日本では東京で展開している「麺屋武蔵」のフランチャイズ店がなぜかキエフにあった。ラーメンといえば、思いだされるのはエストニア・タリンの「Tokumaru」。あの店で食べて以来、チームシマのインターネット情報網を張り巡らせていたものの、その後、即席めん以外のラーメンにありつけたのはカウナスの日本料理屋だけで、味は可もなく不可もなく。僕は日本で麺屋武蔵に行ったことがなく、どんなラーメンを出してくれるのか、2人とも楽しみにしていた。

出されたラーメンは、色が濃く黒ゴマがまぶされていたのが特徴的で、味自体はやはり可もなく不可もなく、インパクトの強い日本のラーメンに馴染んだ身には物足りなさが残った。むしろ、サーモン巻きやローストビーフなど、日本ならまずありえないようなサイドメニューの方に関心がいった。ラーメン1本でやっていくのは難しいからか、日本食をトータルに提供するようなスタイルなのだろう。

それ以外には、緑に包まれたトンネルを通ったり、発酵アルコール飲料のクバスのスタンドがこのウクライナの地でも営業していたり、ロンドンの2階建てバスのような車を利用した珈琲店などもあったり、そぞろ歩きで結構楽しめた。そして、こんな日本料理店も。

「SANTORI」という店。こういった、パチモン(関西弁でいう偽物)のようなノリの胡散臭さは楽しい。メニューを見た感じでは日本料理を見よう見まねでやった創作料理店という雰囲気だった。背後には観覧車も見えて、この一帯はキエフの中でも明るさを感じた。

そして、僕にとってはこの日最大の目的地、国立チェルノブイリ博物館を訪問。旧ソ連時代に発生したチェルノブイリ原発事故をテーマにしていて、屋外には、事故処理に用いられた車両の展示があった。

キエフは、チェルノブイリから直線距離で100キロ圏にある。キエフに甚大な影響があってもおかしくはなかったが、事故当時、キエフは風上の方向にあり、被害があまり及ばなかった。その一方で、風下だったベラルーシでは、200キロ以上離れていても深刻な影響を受けた町がいくつもあった。ちなみに、100キロ圏は東京からだと沼津、宇都宮、水戸、前橋、富士山あたり、他には京都と名古屋間の距離などが当てはまる。

中に入ると、事故後に打ち捨てられた集落を記した標識がずらっとぶら下がり、日本の鯉のぼりも一緒に飾られていた。この博物館は日本政府が多額の資金援助をしているそうで、広島、長崎、そして福島第一原発事故に関する展示もあるなど、日本の影響が非常に濃かった。そのような事情からか、オーディオガイドのサービスでは日本語を選べて、かなり理解が深まった。展示は事故当時の処理活動や避難の状況、事故前の原発城下町・プリピャチの様子と事故後の影響など広範囲に及んでいて、旧ソ連のメディアがいかに事故を過少に扱おうとしていたかが印象に残った。

チェルノブイリ原発は、今ではキエフ発の現地ツアーも開催されるようになっていて、日帰りなら100ドルもあれば参加できる。個人的には訪れたかったが、放射線の影響がどの程度あるのか分からないため見送ることにした。高濃度の放射線で汚染された「ホットスポット」がいまだに点在しており、ツアーとはいっても、正確にデータ計測できる線量計を持っていないと心の底からは安心できない。

博物館のあとは、前日に続いてチョコレート屋に行った。気に入ったお店はついリピートしてしまう。僕の興奮ぶりに比べると、ゆっきーはかなり冷静にみえた。

キエフ滞在の最終日ということで、飛行機から見えた派手なビル群を探しに向かった。前夜までに、グーグルマップの航空写真を見ていてある程度、場所を絞っていた。当たるかどうか。

移動中の路線バスで見かけた橋の欄干。大きな星が旧共産圏を思わせた。

そして到着!セキュリティが整った団地群で、敷地内には入れなかったものの、こうして間近で見られてキエフ初日からのモヤモヤは解消。思い残すことがなくなり、翌日の出発に弾みがついた。

帰りのバスはホッとしたのか、居眠り。

ライオンのような看板を見かけた。

宿に戻り、前日に続いて晩ご飯は自炊。このマンション、キッチンの雰囲気はいいものの、リビングなどには若干の古めかしさと暗さが漂っていた。

翌日はリヴィウに向けて出発。実は、直前までオデッサ経由でモルドバに行くつもりだったが、急に方向転換してポーランドに抜けよう、という話でまとまった。

今回の長距離バスはキエフからポーランド国境を越えて、同国西部のレグニツァまで向かうロングラン仕様。快適に過ごせそうな車内で、乗り込んだ時には、この後、トラブルに見舞われるとはみじんも思っていなかった。そして、リヴィウではさらに数多くのトラブルが僕を待ち受けていた。