ポーランド その2 歴史の名残と今風とを共存させる街ワルシャワ

かつてヨーロッパの東側諸国による軍事同盟が「ワルシャワ条約機構」と名付けられていたように、ポーランドは第二次世界大戦後、旧ソ連中心の東側陣営に属していた。しかし、クラクフでは昔の街並みが残っていて、この国が以前は共産圏だったことを想像するのは難しかった。

かろうじて、EU圏にありながら独自通貨のズロチ(ズウォティ)を維持していることが、ヨーロッパの西側諸国との違いを感じさせた。国家財政や経済状況をみるとユーロ導入の基準は満たしており、政治的な理由があってこれまで導入していないとされる。余談になるが、妻のゆっきーは「ズロチ」という響きが気に入ったようで、西欧にいる間、お金の話題になると「ズロチ」という単語がたびたび登場した。

ところが、首都ワルシャワに来ると、都心以外ではロシアやベラルーシなどで見かけたような、どこか機械的で無機質な街並みが多くを占め、この国は旧共産圏だと実感できた。その一方で、東欧でもいち早く民主化に成功した国として、自由な雰囲気も街に浸透していたように思う。

後半で触れることになるが、世界遺産となっている旧市街の復元は共産主義政権の時に行われており、当時の政権は、共産主義とはいえ、自らの歴史的ルーツや民主主義的なものへの理解を少しは持ち合わせていたのかもしれない。

黄緑色の車体をした「フリックスバス」(FlixBus)でポーランドの首都、ワルシャワに向かった。席に座った後で、僕たちが座った座席は指定席になっていることに気づき、やむなく条件の悪い席へと移動。

バスは5時間ほどで首都に入り、まずワルシャワ中央駅まで向かった。高層ビルが所々に建ち、日本の大都市を思い出した。今回の宿は郊外にあるバスターミナルから地下鉄で2駅、改札を出てから歩いて5分以内の立地で、その分、都心部からは地下鉄で20分ほど離れていた。

ワルシャワの地下鉄。豪華なロシアやベラルーシ、おしゃれなフィンランドの地下鉄とも違って無味乾燥な印象。クラクフもそうだったが、公共交通機関に「20分券」という種類のチケットがあり、20分間なら乗降自由。あまりにも有効期限が短すぎて使い勝手は良くないが、面白い切符だった。

宿に到着。ブッキングドットコムで予約した民泊の1室で、宿のオーナーが出迎えてくれた。

スーパーに行くと、代表的な日本食材のひとつ、わさびが目についた。日本でも見かけそうなものから、そうでないものまで。西に向かうにつれて種類が増えてきた。10~15ズロチで300~450円ほどと、ざっと計算して日本の3倍程度だが、高すぎて手が出ないほどでもない。ワルシャワのスーパーでは、有機、オーガニックの「BIO」(ビオ)の食材がこれまでと違って格段に増えていて、チームシマの2人とも感動した。

翌日は中心市街地へ。まずは日本料理の「ウキウキうどん」に行った。

店の前のメニューには「日本を体験してください」という言葉も。期待感が高まった。

僕はうどんを、妻のゆっきーはラーメンを注文。日本の味に忠実な、期待を裏切らない料理で、満足して店を出た。続く目的地は無印良品。

店が見えてきた。何か看板がおかしい、と思って凝視してみると。

「無」の漢字が間違っていたが、笑って見逃せるレベル。探していた衣類圧縮袋は売っておらず、耳かきを買って店を出た。無印良品は国によって販売価格が決まっていて、ヨーロッパではどこの国でも、日本で買うより高くつくようになっていた。

ここから、世界遺産に登録されている旧市街へ。

パントマイムをしている人を見かけた。どんな仕組みなのか気になったが、解明できず。

ワルシャワの旧市街は世界遺産に登録される際、かなり物議を醸したそうだ。というのも、ワルシャワの街は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの手で徹底的に破壊され、旧市街も残らなかった。現在の旧市街の姿は、終戦後、ポーランド人らの手により細部に至るまで再建、復元されたものだったからだ。ウィキペディアによると、「『破壊からの復元および維持への人々の営み』が評価された最初の世界遺産」という。当時、国を支配していた共産主義政権や旧ソ連の影響力を思うと、東側陣営ながらも復元を成したこと自体が奇跡のように思える。

旧市街の市場広場から見えた建物群。この辺りは、ワルシャワでは例外的に中世の香りが残っていた。

ポーランドといえば、ということで、チョコレートで知られる「WEDEL」(ヴェデル)のカフェへ。

チョコレートに加えて他のスイーツも注文。この後、ヨーロッパのスーパーでは、安くておいしいヴェデルの板チョコを何度も見かけ、お世話になった。ヴェデルは2010年から日本のロッテグループの傘下になっているようだが、日本国内では売っている場面をほとんど見かけない。

旧市街を出てさらに歩くと、ポーランドで何度となく見かけたコンビニ「Zabka」(ジャプカ)。カエルのマークが目印で、そのインパクトの大きさが店内のイメージを上回っていた。

中央郵便局にも寄って、ロシア・カザンで父への土産として買っていたサッカーW杯の帽子を、ここにきてようやく日本に送ることに。大会が終わって3週間が経っていた。

奇しくも、チームシマでW杯の試合を現地観戦したのが日本対ポーランド戦だったのは、何かの縁だろうか。ポーランドに来る前、物価の安いウクライナで郵送しようとしたのだが、この国ではトラブル続きだったのと国の郵便システムに信頼がおけなかったのとで止めていた。もう少し早く送れなかったものだろうか、と今でも思う。郵便局には英語のできる職員がいて、親切にしてくれた。

この時はゆっきーと別れて行動していて、歩いて移動中、いくつか象徴的な建物が目に入った。1つはスターリン建築の「文化科学宮殿」。スターリンがポーランドに贈ったもので、築60年余り。国民からはソ連の象徴として嫌われているとか。都心部にいるとよく目に付いた。

もう1つは、変な形をした超高層ビル。こちらは現代の建造物のようで、自分がまるで新宿副都心にでもいるような気分にさせられた。

宿の方向まで戻り、大型スーパーまで行った帰りの景色。ワルシャワ郊外は広い道路、画一的なアパート群と、都心とは違った点で旧共産圏のにおいを感じたが、夕暮れの美しさはそういったことも忘れさせてくれた。

この日の晩ご飯は、宿でみそ汁などのさっぱりした料理を。

翌日は朝8時出発のバスに乗って、ドイツのベルリンに向かった。珍しく朝ご飯に総菜パンを買って、車内でほお張った。

まだワルシャワから離れる前に、車窓からの景色を眺めていると、旧共産圏とも西欧風とも見分けのつかない光景が目に入った。ワルシャワって両者併せ持つハイブリッドな街だったんだな、と感じ入りながら街に別れを告げた。