ドイツ その3 「渡り鳥」は力尽き、「しらけ鳥」がハンブルクを飛んでいった

心苦しい思い出があった国や都市を書くときにはなかなか文章が進まない。今回のドイツ・ハンブルクもその1つ。ベルリン以来、約3週間ぶりにドイツに戻ってきて、さすがはドイツ最大、ヨーロッパでも第2の貿易港があるだけあって見どころも多かったものの、我々チームシマの滞在中のテンションは低調なままで、楽しめなかったように思う。

さて、デンマークの首都コペンハーゲンからドイツのハンブルクまで向かう鉄道のルートは「渡り鳥コース」と呼ばれていて、ウィキペディアによると、「中央ヨーロッパから北極やスカンジナビアへ渡りをおこなう鳥の重要なルートと重なるため名付けられた」という。

このコースの特筆すべきところは、デンマークからドイツに渡る際に、列車ごとフェリーに乗るという1点に絞られる。デンマーク側からは列車が道路に敷かれたレールに沿ってフェリーまで乗り込み、ドイツ側で再び鉄道路線につながる仕組みだ。僕がわざわざバスではなく鉄道を移動手段に選んだのは、この渡り鳥コースを経験してみたいがためだった。

そんなわけで、曇りと雨が時折入れ替わるような空模様の中、ハンブルク行きの列車に乗り込んだ。

快適な車内で、コペンハーゲンで買った毛糸や編み物用具と戯れるチームシマのチームメイト、ロバ太郎。

しばらくは順調だったものの、途中から何度か止まって、出発から3時間もすると完全にストップしてしまった。列車はディーゼル車で、車内アナウンスによると、どうやら先頭の機関車が故障してしまったらしい。結局、乗客を全員、ボアディングボーというデンマーク南部の駅で降ろして運行が打ち切られ、そこからバスで国境のフェリー乗り場まで行くことになってしまった。乗客サービスとして、ミネラルウォーターなどを配っていた。そんなものより最後まで列車で運んでくれるだけでよかったのに。使い終わったペットボトルはインスタントコーヒーを入れるボトルとして、かなり先までチームシマに同行することになる。

この駅ではニューヨークに住む日本人家族との出会いがあった。まだ小さな息子さんを連れて旅行に来ていた夫婦は、デンマーク滞在を終えてドイツ経由で帰路に就こうとしていたところだという。ピリピリしていた中での楽しいひと時で、特にゆっきーが励まされていたようだ。バスは大勢の乗客を裁くには数が全く足りておらず、1台ずつ来ては我先にと急ぐ人たちが乗っていった。チームシマやその日本人家族はのんびり構えていて、駅に入っていたセブンイレブンで何か買おうと思ったものの、そこは恐るべきデンマーク価格、売れ残りで19.5デンマーククローネ(約340円)まで安くなっていたサンドウィッチを買ってしのいだ。

駅に降りてから1時間半ほどしてバスに乗車。時刻はすでに16時を回っていて、順調ならハンブルクに着こうかという時間だった。

ようやくフェリー乗り場近くまで到着。道路にはやはり線路が見えた。

フェリーに乗った。北欧ともおさらば。

対岸に着いてフェリーからバスで降りた。本来なら鉄道だったのに、と思いながら、運転手のすぐ後ろの席から景色を眺めた。このままバスでハンブルクまで行くのかと思いきや、土砂降りの雨の中、ドイツ側の最寄りの鉄道駅で降ろされた。

ブットガルテン駅でハンブルク行き列車をしばらく待っていると、次に乗る列車がフェリーに運ばれてやきて、船外に出ようとしているシーンが遠目に見えた。しかも、ホームにいる人はほとんど誰も気づいていない。うれしいような、そしてホッとしたような気分に。結局、1日に3本しかない渡り鳥コースの列車の後続列車に乗ることになった。

チケット代は余分にかからなかったものの、コペンハーゲンを4時間遅れで出発しても同じ結果だったことにガックリときて、余計な移動が重なった分、心身とも疲弊してしまい、ハンブルクに着く前からテンションが相当、下がってしまった。その分、日本人家族と新たな出会いがあったのは幸運だったけれども。

ハンブルク中央駅に到着。降りた途端、駅の何ともいえない雰囲気に圧倒された。先の日本人家族とホームで合流し、挨拶して別れた。彼らは新たにチケットを買ってこの1本遅れの列車に乗ってきていた。夫は僕と同じく、鉄道をフェリーごと載せて移動する様子が楽しみだったらしいが、実際に体験してみると、車内や船内からはかなり感動が薄かったらしい。むしろ、僕のように外側から見たかった、と話していたのが印象的だった。

駅で晩ご飯を食べて宿に向かおうということで、立ち食いの軽食屋へ。ベルリン以来の懐かしのカリーブルーストを注文し、席に行くと時刻はすでに21時ごろ。ここで、隣にいた若い女性が「注文しすぎてお腹一杯なので、よかったらもらってください」とチキンを置いていってくれるハプニング。エアビーアンドビーで予約した宿に鉄道の大幅な遅れを報告していたら、宿主の女性は温かく迎え入れてくれて、この街の人たちの気さくな感じに随分と救われた思いになった。

翌日、チームシマの2人で昼前から散歩。泊まっていたエリアは中央駅からSバーンと徒歩で30分足らずの閑静な住宅街で、ベルリンとは違って旧西ドイツのゆとりあるような雰囲気が感じられた。

パン屋で買ってきた菓子パン、スーパーで買ってきたBIOのコーヒーとギー(GHEE)でバターコーヒーを作って朝兼昼ご飯。

今度は電車とバスで毛糸屋と街めぐり。まずはSバーンで数駅離れたバスターミナルへ。このあたりは日本でもありそうな景色だった。

この日の目的地の毛糸屋。リトアニアで買ったものの足りなくなっていたリネン糸を購入。

工事の資材置き場に信号機がかき集められていて、写し方によってはちょっとしたアートみたいになっていた。

ピンクの自転車のかごにピンクの花束。絵になっていた。

ハンブルクの中心部へ移動。運河のあるあたりは倉庫街になっていて、レンガ造りの建物が幅を利かせていた。

聖ミヒャエル教会の塔に登ってみた。そこからの景色はやはり都会。

前日にも訪れたハンブルク中央駅へ。昼間に見ても圧巻で、屋根に覆われていながら開放感があり、ホームが見渡しやすくて人通りが多くにぎわっていた。広告も目立って西欧の雰囲気も色濃かった。ここならしばらくいても飽きがこなさそう。どこかのスタジアムでスポーツ観戦でもしているような気分になった。

早めの夕食は、ネットで評判のハンバーガー屋へ。テーブルからメニューが出てきて、タッチパネルで注文するという凝った仕組み。

出てきたハンバーガーはボリューム感があり、味にも満足。妻のゆっきーはロバ太郎との写真を撮るのに夢中。

ここから港に出て、公共汽船に乗って宿の方面まで帰ることに。途中の橋では、恋人たちによる南京錠が欄干にがっつりとつけられていた。

汽船に乗って移動。最近はハンガリーのブタペストでも使ったことを思い出した。ブタペストの方が風景を楽しめたと思う。

宿に戻った。ブダペストのイケアで買ったエコバッグの結び目が最早ほつれてきたので修繕。イケアといえども造りの安いものは壊れやすい。

翌朝、チェックアウトを前に朝ご飯。心優しい宿主のおかげで快適に過ごすことができた。ゆっきーは、宿主が化学物質や食品添加物の少ないものばかり使っていたことにひどく感心していた。3週間ほど前、ベルリンに滞在していた時にも思ったが、ドイツは健康に関する感度が高く、欲しいものが他の国に比べて割安で簡単に手に入りやすかったように思う。

この日は夜行バスでの移動だった。それまで時間があったので、ゆっきーが行きたがっていた毛糸屋へ。

昼ご飯を挟んで繁華街に来た。ハンブルクはドイツでも有数の歓楽街があることで知られ、1960年代初頭にはデビュー前のビートルズが滞在して武者修行をしたという。今もゆかりの地が残っている。

この頃にはチームシマの2人が仲違いを始めており、晩期のビートルズばりにグループ解散か?という危機に。いろんな国の都市をミニチュアで再現した「ミニチュアワンダーランド」にチームシマの2人で行こうと思ってチケットを予約していたのだが、直前になってゆっきーが「自分は行かない。1人で行ってくればいい」と言いだし、建物を目の前にして止むなくキャンセル。

ゆっきーが毛糸を思う存分買えなかったことが1つの導火線だった。ゆっきーの話では、僕自身は渡り鳥コースなどでやりたいことをしているのに、自分は毛糸を思う存分買えずに我慢を強いられてみじめな思いをしている、ということだった。

険悪な雰囲気になり、時間を持て余しながらふらふらと歩いていると、セグウェイに乗って街なかを移動している一行に出会った。日本ではなかなか見られない光景だった。観光客だろうか。

しかし、僕にも言いたいことは山ほどあった。コペンハーゲンとハンブルクだけでも毛糸と編み物用具を計15,000円分くらい僕が金を出して買っていた。渡り鳥コースの列車にしても、3週間ほど前に予約して早期割引でかなり安く切符を買っていて、2人分で東京―大阪間の新幹線代1人分にもならない出費に抑えていた。僕自身はほとんど物欲がなく、日本を出て以来、旅人らしいお土産も父に頼まれていた帽子以外は一切買っていなかった。毛糸なら、現地でしか買えない銘柄ももちろんあるだろうが、金を出せば日本で買えるものも多い。バックパッカーが自分のやりたいことをしつつ、お金を節約して何が悪いのだろう。馬鹿も休み休み言え。

半ば白けた気分になりながら、スターバックスでお茶をした後、夜行バスが出るターミナルに向かう前に、ドイツで最後のカリーブルーストを食べた。ほろ苦い味だった。