運河からの景色が街の顔!住みよさそうだったアムステルダム

次の目的地はオランダの首都アムステルダム。ドイツ・ハンブルクから夜行バスで直行する予定で、10日あまり前、ハンガリー・ブダペストに滞在中に予約していたのだが、予約の数日後、バス会社からルートと出発時刻が変更されたとメール連絡が入った。どうやら、9月に路線の改変があるようで、ハンブルク発アムステルダム行きは廃止されるようだった。チームシマの2人が乗るのはちょうど9月1日の夜。

ハンブルクからオランダ、ベルギーを抜けてフランスのリールまで1晩かけて行き、バスを乗り換えてアムステルダムへ向かうというのだ。しかも、断ろうとするとバス会社規定のキャンセル料がかかるという。

そんなアホな、と思いつつ、キャンセル料がかかるのも嫌だったこともあり、そのルートで行くことにした。前回、チームシマが険悪な雰囲気になったのも、この夜行バスのルート変更が1つの原因だった。

バスはさほど客が乗っておらず、横になって寝られるほど。快適だった。

フランス・リールに到着。次のバスに乗るまで時間があり、バス降り場に隣接する鉄道駅でクロワッサンの朝ご飯。この頃には、妻のゆっきーの機嫌もいい方向に回復してきたよう。

駅は朝から人が多かった。次にフランスまで足を踏み入れるのは6日後の予定。そんなに先でもない。

リールからアムステルダムに向かうバスは他に乗客が1人もおらず、チームシマの貸し切り状態。快適を通り越して、運転手と車掌の2人に申し訳ない気持ちも少し浮かんできた。

アムステルダム郊外のバスターミナルに到着。時刻は13時半ごろで、ハンブルクを出発してから16時間ほど経っていた。

アムステルダム中央駅まで移動し、フェリー乗り場と逆の市街地方面に出て、昼ご飯を食べる前にATMでユーロを引き出そうとすると、金が出てこずトラブルに。

気を取り直してポテト料理の店へ。10年以上前の古い情報になるものの、オランダ政府観光局によると、オランダではジャガイモが食卓に上る回数は平均で週4回、1人当たりの年間消費量は80キロで、日本人1人当たりのコメの年間消費量(約60キロ)より多いという。トッピングをいろいろ選ぶことができて、手前はグリーンカレーで奥はブラウンシチュー。ジャガイモをまるまる使った料理はとてもおいしかった。

中央駅まで戻り、アイ湾を渡るフェリー乗り場へ。広場のようなスペースの向こうに船着き場があり、大抵は多くの人たちが待っていた。

フェリーに乗り込んで、予約しているホテルがある対岸へ。このフェリーは市営交通会社が運営していて、人や自転車は無料で使える。そのためか、混んでいる時が多かった。写真の奥に見えるのが、今回泊まるホテルの「BOTEL」(ボーテル)。

対岸でフェリーを降り、ホテルにチェックインして早速出かけた。この日は日曜で、サンデーマーケットの時間終わる前に覗いてみたかった。ゆっきーは長時間、長距離移動に疲れていたのでお留守番。アンネ・フランクが大写しになった懸垂幕を掲げている建物が目に入った。アムステルダムゆかりの人物といえば、真っ先に浮かぶのはやはり「アンネの日記」で知られる彼女だろう。

再びフェリーに乗って中央駅まで戻り、そこから開催会場の公園に向かった。終わりの時刻が近づいていた割にはにぎやかで、その中でも人が並んでいる屋台が目についた。よく見たらたこ焼き屋台だ。

日本人が屋台を切り盛りしているようだったが、忙しそうにしていて、割り込んで話しかけるほどでもないかと思ってスルーした。たこ焼きは最も安いノーマルのものでも6ユーロ(約780円)で、マーケットの割には安くないなとも思ってしまった。

運河を背にしながら屋台が連なっていた。このあたりはアムステルダムならでは、という光景だった。

跳ね橋もあった。この橋が実際に可動橋として今でも使われているのかどうかは不明。

夕日に当たりながら芝生でくつろぐ人たちの姿もあって、和やかな空気が流れていた。

オランダに来たらぜひ手に入れたいと思っていたバターオイルの一種、ギー(Ghee)の商品「GHEE EASY」をマーケットの近くのオーガニック食料品店で発見。ギーに限ってはオランダが最も安く手に入れられた。アムステルダムでの外食は西欧の例に漏れず金がかかったものの、食料品はそれほど高くもなく、差が大きかったように思う。

宿に帰る前、トラムに乗りながら市街地を散策していると、日本人アーティストらしき人の広告が。

日が沈む前にフェリーで宿に戻った。すると、真ん中が開いたビルのその開いた部分から夕日がこちらに向けて差し込んできた。この光景をしっかり目に焼き付けた。

こちらはフェリーから見た宿泊先。BOTELはその名の通りボートのホテル、つまり客船を使ったユニークなホテルで、普通の船のように船内が揺れたりするのもまたご愛嬌。

部屋に戻ってきて、この日買ってきた品々に囲まれるチームシマのチームメイト、ロバ太郎。心なしかごきげんなように見えた。

翌日はチームシマでお出かけ。ホテルのロビーにボトルアートが。

アムステルダムもデンマークのコペンハーゲンと同じくらい街中に自転車が多かった。

世界一高身長の国だからか、郵便ポストの位置が異様に高かった。これはゆっきーとの比較。

次は僕との比較。インターネットで調べてみると、オランダ人の平均身長は男性で184センチ、女性で170センチ。これが平均というから恐れ入る。

「Cow Museum」という雑貨店があったので、ロバ太郎も一緒に写ってみた。どこにいるか分かるだろうか。

正解は、一番下にある黄色い標識の左側。

アムステルダムに来てから「アンネ・フランクの家」を訪れたくなった。事前に予約してこなかったから無理かな、と思いながらホームページをチェックしていたら、当日朝に売り出したチケットを手に入れることができたので訪れることにした。これは入り口前の観光客の人だかり。

中は写真撮影不可だったので撮れなかったが、「後ろの家」と呼ばれた隠れ家は昔のままで、家具類はアンネたちがナチス・ドイツに発見された後、持ち去られてしまってなくなっていたものの、日本語も選択できるオーディオガイドがあって当時の状況を思い浮かべることができた。思っていたよりも隠れ家は広かったとはいえ、2年間もの間、外に出ることもなく建物内で暮らすのは相当に窮屈だったに違いない。

1時間半あまりで見学を終えて、外に出て建物前にしばらくたたずんだ。

遅めの昼ごはんでダッチパンケーキ屋へ。値段はやや高め。ベーコンチーズやリンゴチーズは素材感が出ていておいしく、おなか一杯になった。

会計はクレジットカードだけで現金不可だった。西欧や北欧はカード決済が普通で、逆に便利だったようにも思う。会計をチェックすると、店のキーホルダーも持ってきてくれて、カード決済といいつつチップも要求する抜け目のなさ。このキーホルダーは何かの役に立つかと思ってずっと持っていたが、特に使い道もなく、チームシマとヨーロッパを一緒に回るはめに。

この日は珍しく僕1人が先に宿へと帰り、ゆっきーは毛糸屋へ。フェリー乗り場に向かう途中、花市場を通った。

売春街として名の知られた飾り窓地区も通った。物見遊山の観光客ばかりで流行らないんじゃないかと思っていたら、実際、市当局に「観光客が多すぎて仕事にならない」とクレームが出ていたという。周辺は大麻クッキーなど大麻製品が置いてある店、大麻入りの飲み物を提供する「Coffee Shop」もちらほらと見かけた。オランダでは大麻が違法ではない。

そこから歩いていける「レンブラントの家」の前も通った。約20年間住んでいたらしい。

一方のゆっきーは、ウインドーショッピングを楽しんだり。

アイルランドの国際イベント「Woollinn」にも出展している著名な毛糸屋「Stephen & Penelope」で、ゆっきー憧れのアメリカ人ニットアーティスト、ステファンさんと会ったり!

ロバ太郎がじゃれあったり。楽しいひと時を過ごしていた。

僕の方は一旦、宿に帰って休憩してから再び出かけた。今度はフェリー、トラムを乗り継いで中央駅から東に進み、エイ湖が見えるスタイゲライラント地区へ。ここには、ほぼ船上生活といってもいいような住宅街があった。

市街地に戻ってきて、今度は運河で船上生活を送る人たちの家並みも見かけた。

これも市街地。アムステルダムの中心部はクモの巣状に運河が広がっていて、地盤沈下などのためか、傾いている建物がやたら多く、中層の建物群の傾きが一致していないことがよくあった。

これは20時半ごろのアンネ・フランクの家。まだ入場待ちの人たちがいた。

アムステルダムの中でも際立っておしゃれとされるヨルダン地区へ。

さらに歩くと、運河上の船上生活者と背後のアパートが重なる空間に。

運河から西教会を眺めた。この教会はアンネ・フランクの家からすぐ近くにある。おそらくアンネも鐘の音を聞いていたのだろう。

寿司屋も発見。しゃれた店構えだった。

フォトジェニックで見飽きないアムステルダムの夜景ともおさらばして、フェリーでホテルに帰った。一番右に見えるのが、アムステルダムを一望できるという展望台「アダム・ルックアウト」(A’dam Lookout)。屋上にはブランコもあるという。アムステルダムを一望するには場所がよくなく、高さも足りなさそう(100メートル)というので足は向かなかった。

出発の日の朝。こんな感じの船室、ならぬ客室だった。部屋はノルウェーとデンマークを結ぶフィヨルドラインのフェリーの時よりは断然広かったが、壁は薄かった。

中央駅方面に行くフェリー待ちの人たちを尻目にバス停へ。

アンネ・フランクの懸垂幕も間近で見られた。

バス待ちの間に入ったハンバーガー店では、こんな感じの自販機もあった。面白いけれど、これならカウンターで注文してもそう変わらないし、作りたてが手に入れられるように思う。

LGBTに対する理解が進んでいるお国柄か、レインボーカラーに塗られた歩道もあった。

前日は夜の22時半くらいまで、熱気にうなされたように情緒的な運河の街並みをさまよい歩いて、この時にはまだその余韻が少しだけ残っていた。普通なら水面からの建物群は裏手のような印象を持つのに、アムステルダムの街では運河からの風景が街の正面玄関のように思わせた。窓の大きな建物が多いからだろうか。

暗くなると街明かりは日本よりもかなり少ないけれど、雰囲気があって治安上の不安も全く感じなかった。この街なら住みやすそうだな、と名残惜しさを感じながら、ベルギー行きのバスに乗った。