チュニジアには9月10日から21日まで滞在する予定にしていた。この国は地中海に面していて政情不安なアルジェリア、リビアに挟まれていて、陸続きで訪れるのは難しく、飛行機を使うかフランス、イタリア、マルタから船で行くかという選択肢しかなかった。
チュニジアはフランスの植民地だった歴史があり、フランスからチュニジア各地へはLCCも運行していて、運賃も他国から訪れるよりも安かった。そこで、チームシマの2人はフランスからの往復を選んだ。
しかも、チュニジア行きはヨーロッパを旅した後に控えているアフリカ縦断、横断の予行演習を兼ねていた。僕やゆっきーは体力的、精神的に問題なくアフリカの旅をやりきれるのか。その試金石としても捉えていたのである。
首都チュニスでゆっきーが体調不良に陥り、早くも旅路に暗雲が立ちこめる中、何とかトズール行きのバスに乗り込み、チュニスを出発。2時間半ほど走り、途中で世界遺産の街、カイロアン(ケロアン)のバスターミナルに寄った。
バスターミナルを出たあとの街並み。チュニジア第4の都市らしいが、車窓から見えたのは田舎風情だった。
なぜかバスターミナルではなく、そこから少し離れた郊外のレストラン(Pause Cafe Kairouan)でトイレ休憩。おそらく、バスターミナルにトイレや休憩に適した施設がなかったのだろう。ドライブインというよりは、道端にあるカフェという様子。体調が優れないゆっきーの様子を見つつ、車外に出るとすでに出遅れていて、多くの乗客が軽食を注文していた。
店員さんたちが手際よくハンバーガーを作っていた。バーガーとコーラや水を注文して、車外に出てきていたゆっきーと2人で食べた。ゆっきーは少し回復したようだった。
そこからさらに5時間ほどバスに揺られてトズールへ。ゆっきーも歩ける程度には回復していて、すでに暗くなった中、バスの中で予約した宿に向かい、無事にチェックイン。宿でおすすめのレストランを教えてもらい、そこへと向かった。
チュニジア料理の「ダルダダ」(Dar Deda)というお店。子牛のプレートとトズールサラダを注文。ゆっきーはサラダをとても気に入って、体調をさらに少し取り戻していた。
翌日、宿の中庭で。予約に含まれていた朝ご飯を運んでもらうようお願いした。ゆっきーの体調は回復していて一安心。この日はトズールの街をゆっくり散策することにした。トズールはアルジェリア国境にも近いオアシスの街で、サハラ砂漠の辺縁部に位置する。
フランスパン、ゆで卵、ヨーグルト、クッキー、コーヒー、ジュースに、チュニジアの特産、デーツも一番右にチラッと見えている。トズールでは最高品質のデーツが取れるらしく、豪華な気分で朝ご飯をいただいた。
正午過ぎにチェックアウトして、次の宿泊先へ。歩いて行ける距離にある「レジデンス・ルード」(Residence Loued)が目的地。途中で旅行会社を見つけて、翌日朝から砂漠の半日ツアーを入れてもらい、手付金を支払った。
街を歩いていると、こんなものが。アフリカの道端でよく見かけた個人経営の簡易なガソリンスタンドで、この写真のスタンドはまだ設備が充実しているほう。ウイスキーの瓶に入れて売っているのが標準的で、バイクに乗っている人たちが給油したりしていた。
アフリカのこんな砂漠地帯の街でも日本車の存在感は絶大。こういう時には日本で生まれ育って本当によかったと感謝する。
馬をトラックの荷台に載せて運んでいる車も見かけた。
ひとまず次の宿にチェックインして、しばらくできていなかった洗濯をした。テラスに洗濯物を干していると、西日が強く空気は乾燥していてあっという間に乾いた。そうこうしているうちにおなかが減ってきたので、前日にも行ったダルダダへ。
ゆっきーはサラダを。
僕は、店の人に勧められたラクダのつぼ焼きを。ラクダ料理はなかなかお目にかかれないらしく、世界中で様々な探検を経験しているノンフィクション作家の高野秀行も、著書「辺境メシ」の中で「ラクダ肉は中東や北アフリカでも決して一般的な食材ではない。前から一度食べたいと思っていたが、放っておくと全然遭遇しない」とつづっているほど。実際に食べてみると、赤身が多くあっさりしていて、臭みはなくて食べやすかった。しかし、赤トウガラシが辛かった。
ロバ太郎は馬の置物と記念撮影。
ここから、旧市街のメディナへと向かった。まず、目に付いたのは土産物屋。建物の壁一面に張り上げた姿はなかなかの壮観だった。
しかし、西日が当たる時間帯だったからか、観光客はほとんどおらずひっそり。ゆっきーが編んでくれたストールを首に巻いて、歴史的な建物とともにグラビア撮影も気軽にできた。
途中、土産物売りのおじさんに声をかけられて、3階のテラスからの眺めを見させてもらった。乾いた土っぽい風景が印象的だった。
日干しレンガで組まれた化粧壁の路地を巡ると、異世界のよう。
そんな街並みも抜けて、カルフールへと向かった。こんな地方都市に、首都でも見かけなかったフランス資本のスーパーがなぜ出店しているのかよく分からなかった。
途中の道路で、行き先の案内標識が束になっていた場所があった。日本でも昔は時々見かけたような光景で、ごちゃごちゃしすぎていて何のために標識があるのか分からなくなってしまっていた。
今や廃れてしまった、カセットテープの絵が描かれた看板も。
路地では、少年たちが太鼓演奏の練習に精を出している姿も。かわいらしさが際立っていた。
買い物を終えて宿に帰っていると、ピックアップトラックの荷台に乗って太鼓を叩いている人たちと遭遇。お祝い事の車列だったらしい。
宿に帰ってからは、今まで見ようとしては何度も断念してきた「スターウォーズ エピソード1」を見てみた。翌日にはスターウォーズのロケ地も訪れる予定だったので、どうしても見ておきたかった。
翌朝は早起きして、満を持して半日ツアーへ。7時前に宿の玄関に行くと、すでにドライバー兼ガイドのケイリさんがスタンバイしていた。というわけで、すぐに出発。
最初の目的地は温泉が出る場所。お湯はかなり熱かった。
続いて、幹線道路の脇にある「ラクダ横断注意」の巨大看板。チームシマの2人で撮影。
こちらはケイリさん。
そのあと向かったのは山岳オアシスのシェビカ村。ここでもチームシマで撮影。ガイドがいるとツーショットが増える。
高台から村を眺めた様子。
村のガイドに10ディナールを支払い、英語の説明を聞きながら回った。砂漠なのに水が湧き出ていて、小さな滝まであった。
続いて、タメルザ村へ。ここでもちょっとした滝のような場所があった。
土産物を売っていたおじさんが勝手に渓谷を案内してくれた。観光客は僕たちしかおらず、商売が上がったりだったろう。何か土産物を買っていこうとしたが、このおじさんの店には惹かれる物が何一つなく、もう1人のおじさんが売っていたナツメヤシの実から造ったジャムが気になったので、それを買ってもいいか聞くと、「いいと」言ってくれたので、それで済ませることに。
この村はアルジェリアとの国境も近く、国境方面を背景に2人で記念撮影。
車通りの少ない道路でも記念撮影。北アフリカの国境地帯というと、政府の勢力が及ばずに治安が悪そうな印象もあるが、昼間のこの辺りは危険そうな雰囲気を感じなかった。
移動中にはラクダの群れと遭遇することも。
今では南米に舞台を移してしまったパリ・ダカールラリーのコースにもなったという砂漠の道に入り、道なき道のようにみえる道を突っ走っていった。
この頃にはケイリさんともすっかり打ち解けて、はじめやロバ太郎と遊ぶ一幕も。
こんなじゃれあいも。
風紋のついた砂漠で行き倒れを演じるロバ太郎。
チームシマで。
さらにチームシマで。後ろに見えるのは、スターウォーズのロケ地。
このあたりに来ると観光客もちらほらと見えて、何台か観光ガイドツアーの車も止まっていた。
そしてスターウォーズのロケ地へ。張りぼての建物が所々ほころびていて、年季を感じた。そして、こんな地までよくロケを持ってきたもんだ、と感心。
ツアーの最後に訪れたのは、オアシスの街ネフタ。写真ではあまりよく分からないが、「ラ・コルベイユ(ネフタの花籠)」と呼ばれる泉のようなスポットがあり、水が枯渇していて、土色の肌が浮き彫りになっていた。
帰りはダルダダで降ろしてもらった。そして、3日連続となるトズールサラダに加えて、この日は魚をダシにしたトズールクスクスを食べた。ゆっきーいわく、サラダは「さっぱりしていてめっちゃうまいっ!」「最初見た目で失敗かも??と思ったら大当たりで毎回食べてしまった」とのこと。「当たり」を引き当てたら、それ以降は他のメニューには見向きもしない、こと食事に関してはとても保守的なゆっきーなのだった。
宿に帰る途中には観光用の馬車の群れ。ここにきてようやく観光地らしさが少し伺えた。
晩ご飯は屋台でハトの丸焼きを買い、宿に戻って食べた。かなり量があり、半分ほど残して翌日に食べることに。
翌日、トズールともこの部屋ともお別れ。ゆっきーもすっかり体調が回復した。
宿をチェックアウトしてバスターミナルに向かう途中、車に乗ったケイリさんとたまたま出会い、ターミナルまで送ってもらうことに。別れのハグをして、ひとまずトズールから塩湖を挟んで東にある街、ケビリまで行くことに。この日の目的地はチュニジア南東部の街、タタウィンだが、果たして1日で移動しきれるだろうか。多分大丈夫だろう、と思いながら、ルアージュと呼ばれる8人乗りの乗合タクシーに乗り込んだ。