チュニジア南部のトズールからタタウィンへ。朝から出発して1日で辿りつけるか確証はなかったが、距離的には約350キロ、可能だろうと踏んで出発。サハラ砂漠に足を伸ばすことができたいま、次なる目標はクサールと呼ばれる観光名所を見ることだった。
地球の歩き方によると、クサールはアラビア語で「城・砦」を意味する「カスル」が語源で、ベルベル人の集落にある共同所有の穀物倉庫の集まりが砦のようになったものを指すという。チュニジア南東部に多く集中し、その数は150ともいわれる。1つのクサールにはワンルーム大の部屋が400も連なることがあるそうだ。
そんなわけで、トズールから乗り合いタクシーのルアージュに乗って出発。4列シート8人乗りで、その後、西アフリカの旅で出合うことになる乗合のオンボロ車の群れとは違い、快適すぎて非の打ち所がなかった。
運賃を払うと渡された紙のチケット。アラビア語なので何が書いてあるのかさっぱり分からないが、アナログ感が漂っていた。
トズールを出てしばらくすると塩湖が見えてきた。
車は湖にぶち抜かれた道を猛スピードで飛ばしていった。
車の中でありながら、ロバ太郎はこういう風景によく映えると思う。
2時間も経たずに最初の中継地、ケビリに到着。しかし、降ろされたのが街中の交差点だったため、タクシーで郊外にあるルアージュ乗り場へ。タタウィンに行くには南部の要衝の街、ガベスまで行ってルアージュを乗り継ぐ必要があるらしい。しかも、次にルアージュが出発するのが2時間後かもしれないとのこと。
というのも、このルアージュは定員が決まっていて、すべての席が埋まらないと出発しない仕組みになっている。時間重視の日本ではありえないシステムだが、後に旅をする西アフリカでも、乗合の中長距離路線は大型バスを除いて基本的にそういうルールになっていて、始発が毎朝何時ごろという目安はあるものの、時刻表はなかった。それがアフリカをアフリカたらしめている大きな要因の1つだ、と気づいたのは、随分後になってからだった。
のどかなルアージュ乗り場にいると、2時間経っても客が集まらなさそうな気配さえ漂っていた。ガベスに着くのが遅くなればそこで泊まろうと覚悟したものの、この時は幸運にも20~30分後には満員になって出発できた。
助手席をチームシマの2人が占領して、景色を眺めながら移動しているうちにガベスに到着。街自体は高層の建物が目につかない地方の小都市という趣だったが、チュニジア南部の交通の要衝だけあってバス、ルアージュステーションは活気にあふれていた。
タタウィン行きのチケットはすぐに買えて、どうやらこの日のうちにたどり着けるめどが立ったので、ネットで宿を予約。ルアージュはタタウィン郊外にある乗り場に着き、そこで待っていたタクシーに乗って、まだ日が出ているうちに宿泊先まで着くことができた。
スターウォーズにでも出てきそうな外観。民泊の1室のようで、看板は出ていなかった。ブッキングドットコムにこの宿が出ていた。
無事にチェックインを済ませ、市街地で夜ご飯を食べようとしたら、ちょうど日暮れ時。
日本でいえば新興住宅地のような立地だろうか。
タクシーで市街地に出ると、レストラン自体が見当たらなかった。やむなく、ファストフード店で晩ご飯。鶏肉は冷めていて、ご飯はパサパサしていておいしくなかった。どうやら、これまで旅してきた中でも最大級のハズレを引いてしまったようだ。
残念な晩ご飯のあとはスイーツの時間。デザート好きな僕は、長距離移動で疲れがにじみ出つつもうれしそうな表情。
翌朝、宿でご飯。香辛料たっぷりのペーストをたらふく食べた。コーヒーだけでは足りず、用意してくれていたミルクもたくさん飲んだらお腹の具合が悪くなり、午前中はまるまる引きずってしまうことに。
宿をチェックアウトして、タクシーで市街地にあるルアージュ乗り場まで行った。まずは、タタウィンから南西にあるドゥイレットという村を目指そうとした。しかし、ここを発着するルアージュはアラビア語しか書かれておらず、どれに乗ればいいのかさっぱり分からず、困惑するばかり。
こういうときは、とにかく現地の人たちに聞いて回ると解決が早い。しかし、体調が良くない中で思うようにいかず、この日の宿を取っていたシェニニ村行きは頻発していたものの、ドゥイレット行きはなかなか見当たらなかった。
焦りを募らせつつあった僕をしり目に、青空カフェでくつろいでいるおっちゃんたち。ようやくドゥイレット行きを1台見つけたら、すぐに乗客で埋まってしまった。
そうこうしているうちに、チームシマと似たような状況の現地の女性客たちが見つかり、近くの新婚さん用の調度品を扱う店で一緒に待たせてもらうことに。店にはエアコンもあって快適だった。待つこと1時間ほどで次の便が来たというので、女性たちの後についていってルアージュに乗り込んだ。
30分ほどするとドゥイレット村の入り口に到着。炎天下の中、遠くに見えるクサールまで歩いていった。
近づくと、思っていたほどの景観ではないな、という印象。
白い建物はモスク。この村の宿泊施設は1つだけで、モスクとは別にあるクサールを利用しているらしい。それはスルーして来た道を戻ると、運よくルアージュを捕まえることができた。再びタタウィンの市街地にあるルアージュ乗り場へ。
時刻はいつのまにか15時過ぎに。街唯一のレストランという「シンドバッド」(Essendbad)に行くことを楽しみにしていたゆっきーは、昼の営業時間に間に合わなかったことに腹を立てていた。
一方、僕は朝から調子の悪かったお腹がようやく落ち着いてきたばかり。こってりした料理はまだ受け付けられず、もし営業時間内だったとしても「勝手にシンドバッドに行ってきてくれ」という状態だったわけだが。
別の店で軽く食べてルアージュ乗り場に向かうと、2階の窓に見慣れたハンバーガーチェーンの写真が見えた。こんなところにバーガーキングがある…わけないでしょ!というわけで、店の名前は「The King」。
次の目的地はシェニニ。昼前には雨後のタケノコのようにやってきていたシェニニ行きのルアージュは、昼下がりにもなるとすっかり姿が見えなくなっていた。こういった旅では朝早くに移動することが時間を有効に使うための鉄則なのだが、なかなかそうはいかないのがチームシマ。
また周りの人たちに聞き回っていると、待っていれば来る、来たら教えてやると何人ものおじさんたちに助けてもらった。午前中にも見た青空カフェでボーっと通行人を眺めながら待った。
するとルアージュが到着。あっという間に満員になったらしく、おじさんたちが席を取っていてくれていた。礼を言う間もなく出発してシェニニに到着。降りると「ローカルガイド」と名乗りるおじさんがこの日の宿まで勝手に案内してくれた。
途中には「荷物を持つ」と言ってきて、断って自分たちで運んだものの、宿の前で「案内料をくれ」。やはりそうきたか、と思いつつ、荷物を持ってもらったわけでもないので、金の代わりに飴を渡そうとすると、おじさんは「要らない」と言って帰っていった。
かなり前、ロシア鉄道のカザン駅では、声をかけられるままに荷物を運んでもらって安くはないお金を支払ったことがあった。今回も、油断しているとやられていた。この手の強引な人はどこに行ってもいる。
宿にチェックインして、早速、部屋に案内してもらう際に見えたシェニニのクサール。夕日に照らされて壮観だった。
部屋の出入口。この宿はクサールの中に泊まれるのが売りだったが、実際に入ってみると洞窟感が満点。ただ、ゆっきーはこういう雰囲気が好きではないよう。
中に入ると、思ったより奥行きがあり、天井が低かった。そして、僕がとても苦手とするかび臭さが少しあった。1泊なら耐えられる程度だった。
ベッドの枠は岩を利用。
外に出てクサールを背景に早速、360度カメラを回してみた。
日が暮れて、夕食会場に行くと、この日はフランスのテレビ局が旅番組の撮影に来ていたようだった。そのため、アラビア語のカリグラフィーを教えてもらったり音楽を楽しんだりするイベントが行われていて、先生から書き方を教わって、見本に沿って自分の名前などを書いてみた。僕の様子。
ゆっきーの様子。
見よう見まねで書いた割には、どちらがゆっきーの作品か分からないほど上手にできていた。ちなみに、左がゆっきーの作品。僕にはない器用さを持ち合わせている。
一段落したところで晩ご飯。牛と鶏のクスクスは、チュニジアで食べたクスクスの中で最もおいしかった。お腹が落ち着いてきたころに宿のオーナー夫妻のインタビュー撮影が始まり、会場を出るまで続いていた。
翌日の朝ご飯はフランスパン、ゆで卵、デザートにデーツ、コーヒーやミントティーなど。メニューはオーソドックスだったが、風景とともに十分楽しめた。
シェニニのクサールを散歩。ロバが現役で使われていて、これまで旅してきたヨーロッパとの落差に改めて新鮮さを感じた。
宿を見下ろす高台から、朝食会場を眼下に眺めてみた。
息をのむようなクサールの壮観。
別の場所から。この村にもドゥイレットと同じように白いモスクがあった。太陽光発電のパネルも見えたのは、現代ならでは。
宿に勤めている男性と部屋の前で。チェックアウトを済ませてタタウィン行きのルアージュを待っていると、ほどなく車がやってきてシェニニの村に別れを告げた。
タタウィン3日目にしてようやく、この街に唯一つのレストラン「シンドバッド」へ。僕は朝ご飯のおかげであまりお腹は減っていなかった。しかし、女性がおらず何とも男臭さの漂う店内に、ゆっきー1人で「勝手にシンドバッド」(サザンオールスターズの曲のよう)というわけにもいかず、2人で入った。このあたりの地方では、女性が街に食べ歩きに出る文化はないのかもしれない。
頼んだサラダと鶏肉料理はおしかった。
店を出てからは、タクシーで郊外のルアージュステーションへ。次の行き先をどこにするか考えあぐねていたが、昼間の中長距離路線はガベス行きしかなく、選択の余地なくチケットを買って30分ほど待って出発。この日はチュニジア第2の都市、スファックスに泊まることにして、宿を予約した。
ガベスでルアージュを乗り継いで、スファックスまでは約5時間、17時30分ごろ到着。規模の大きなルアージュ乗り場から周りを見る限りは、第2の都市とは思えないほど押しなべて建物が低かった。
しかし、タクシーでこの日の宿がある市街地まで行くと、それなりに都会の風景が広がっていた。この日の宿泊先はフランス資本の「イビス スファックス」(Ibis Sfax)。この年3月にオープンしたばかりとあって、これまでで最もきれいなホテルだった。
部屋も、前日のクサールの洞窟風とは大違い。1000年単位の落差があった。
12日間のチュニジアの旅も、いつの間にか終盤戦。チームシマはこの国に思い残すことがないよう、食い気に走ろうとしていた。