フランス その2 パリも2度目なら、少しは上手に旅したい!

9月21日、パリに11日ぶりに戻ってきた。空からヨーロッパ大陸が見えると、どことなくホッとした。チュニジアを出国する際のモナスティル空港の出国ロビーでは、ビールやウォッカなど酒を扱うカフェがあり、かなりにぎわっていて、イスラム圏であっても、皆やはりアルコールを飲みたいんだなあと思ったりもしていた。

行きと同じくパリ・オルリー空港に到着。トランサヴィア航空はLCCとはいえ、席の広さも確保されていて荷物制限も厳しさはなく、LCCにありがちな殺伐とした雰囲気も感じずに、快適な部類だったと思う。

パリといえば、思い起こすのは前回滞在時のホテル選びの失敗劇。車がないと辛いパリ市街から遠く離れた立地のホテルを予約して、不便を強いられたのだった。かつて中森明菜は、デビューから間もないころのシングル「セカンド・ラブ」で「恋も二度目なら 少しは上手に 愛のメッセージ 伝えたい」と歌ったが、このころの僕としては「パリも二度目なら 少しは上手に 宿選びをして 旅したい」という心境だった。

バスで前回と同じ宿のIbis Budjetまで移動。遠くまでまた足を運ぶのは気が進まなかったが、チュニジアに持っていかなかった荷物をバックパックに詰めて宿に預けていたので仕方ない。しかも、きっちり11日分の荷物代を取られていた。

途中下車して、ゆっきーが事前にネットで見つけてくれたハラルのタイ料理屋さんで、この日唯一の食事をした。

僕が頼んだチキンライスは当たり。おいしかった。

ゆっきーが頼んだパッタイは甘すぎて失敗。しぶい顔で「タイ料理の中でもパッタイには当たりハズレがないと思っていたけど、ハズレもあるとは」と、印象的な言葉を残していた。

翌日、チェックアウトして新たな宿へ。今度はパリ14区との境目近くにある15区のアパートの1室で、前回、パリ郊外に滞在していた時にエアビーアンドビーで予約していた。最初のパリでの宿探しで失敗してしまった経験をいかして、今回はまあまあ便利なところに借りられることになった。パリ20区を区ごとに紹介したガイド「大人かわいいパリ20区ガイド」(竹永絵里著、大和書房)によると、15区は「治安がよくて滞在地向き、郵便グッズでお土産もOK!」ということだが、果たして。

ホストはパリにおらず、両親が鍵を開けてくれた。階段しかなく6階まで上がるのは大変だったが、築100年以上はありそうな、味のあるアパートだった。

昼ごはんに、近所の肉屋さんで七面鳥とポテトを求めた。東京の下町にもありそうな、おいしそうな雰囲気だった。

宿に戻ってきて昼ごはんの様子。このあと、メトロでゆっきーの友達の家を訪ねた。このときは訪問の目的があったが、それはまた後ほど。パリのメトロは路線がぐねぐねと曲がっていて、いちいち時間がかかる感じがした。

途中、ヨーロッパでずっとお世話になっているスーパー「Lidl」や中華系の食料品店に寄った後、宿に帰って晩ご飯。

2017年にラオス・ベトナムを旅した時によく飲んで、ロゴがデザインされたTシャツまで買って帰ったビアラオ(Beerlao)や、タイのチャーン(Chang)を見かけて買っていた。東南アジアを懐かしみながら味わった。このあとパリ滞在中、アジアに限らずインターナショナルな雰囲気を何かと経験することになる。

夕食後は、スターウォーズを鑑賞。チュニジアでのロケ地も確認しながらで、少し前のチュニジアでのできごとを思い出していた。

翌日は、朝寝しているゆっきーを置いてルーブル美術館へ。ゆっきーは世界的に有名なルーブルといっても美術館、博物館の類にはあまり興味がなく、僕はチュニジアにいるときに1人分のチケットを日時予約していた。

メトロで最寄り駅に着き、最初にピラミッドの地下からアプローチ。写真ではあまり伝わらないが、すでにすごい人だった。係員に聞くと、地上の入り口からならすぐに入れるというので上から入場することに。ここで事件が待っていた!

階段を上っていくと、署名活動しているという若者たちが突撃するようにやってきた。近寄ってきた男の身をかわしたものの、別の女がしつこく体当たりみたいに寄ってきて、“I’m not French.”と呼び掛けてもお構いなし。何とかかわして入り口まで行けたものの、必要以上に近づいてきて不快になった。

後で知ったが、若い男女は詐欺とスリや詐欺の集団で、署名活動は1つの手口だったらしい。被害もなくかわせてよかった、としか言いようがない。有名な観光地では本当に油断できない。

ルーブル美術館では結局、3時間くらい滞在することになった。リシュリュー翼から入るとマイナス1階の光景。そこから真っ先にモナ・リザに向かった。しかし、そこで見たものは…!

モナ・リザに集まる人だかり。作品よりも人を見ている感じで、何ともすごい集客力。絵自体は少し暗く、劣化している感じで、ガラスがはめられた絵を遠くから見るので、実際にはどんな様子か分かりづらかった。

ここから、美術館内部をうろうろしてみたものの、迷路のようでとても回りづらく、パンフレットを最初に貰わなかったことを激しく後悔した。パンフレット置き場がなかなか見当たらず、やむなく中国語のものを手に入れてからはかなり回りやすくなった。アップした画像は、印象的だったミロのヴィーナスの中でも、普段あまり目にすることがない後ろ姿。

これは美術館の内部から見たガラスのピラミッド。フランス革命から200年の節目の1989年に完成し、新旧合わさったルーブルを特徴づけていた。

ナポレオン3世の居室や大食堂などの豪華さも目を引いた。古代エジプト、オリエントの展示なども印象に残った。その一方で、キリスト教美術はいくら見ても全然ピンとこなかった。これは好みの問題だろうか。

ルーブル美術館の案内にはフランス語、英語、スペイン語に加えて簡体字の中国語表記があった。チュニジアに続き、ここ西ヨーロッパの観光の中心地でも中国パワーがあふれていて、日本との国力との差を痛感した。

午後になってさらに人が増してきた美術館を後にして、歩いていけるオペラ地区の日本食材店の「京子食品」へ。お店はかなりの日本食材がそろっていた。20%オフセールをやっていて、お茶漬けの素などを購入。

宿に帰ってきてからは、買い求めたばかりのお茶漬けを使ったパスタなどを作って食べた。

ゆっきーの手により、懐かしのドイツのカリーブルーストも再現。

翌朝、宿の窓から眺めた風景。

この日は朝からゆっきーとともにメトロでお出かけ。ゆっきーの友達の家で「らいおんあくび教室」を開催することになっていて、前日はその打ち合わせのために、友達の家を訪れていたのだった。

らいおんあくびは「ライオンのように大きな口を開けるあくびの動作を繰り返すことで、体を活性化させ心身のバランスを整える」という健康法のメソッド。

この日の参加者はゆっきー、友達、僕と、この日初めて参加した現地の日本人2人で、説明や練習をしているとあっという間に1時間が経ってしまった。このあと1時間ほど、参加者を交えてパリのことを中心に話をして、10月半ばにも2回目を開くことになった。

参加者の2人が帰った後、チームシマも友達の家を出て昼ご飯を食べにバスで移動。すると、日本語で「夢」と書かれたバイクショップが目に飛び込んでいた。

何とも「夢」がデカい。パリ3区にあったベトナム料理店「Song Heng」へ。

パリ1度目の滞在中に行った13区のベトナム料理店と比べると、このお店はかなりおいしかった。

店を出ると、行列が増えていた。このあと無印良品やユニクロに行って、この後に控えたアイスランド向きの服を見たが、安くていいものがなく買うのは断念。散歩しているとクレープ店が目につき、パリ初のスイーツにありついた。

10区にある「La Droguerie」という店。甘いものに目がない僕は思わず表情がゆるんだ。

ゆっきーに疲れが見えたので、宿に帰ることに。

途中の交差点で、LGBTのレインボーフラッグカラーに彩られた横断歩道を見かけた。日本ではまずありえない配色だ。日本でも、車のナンバーの地名表示や図柄入りをむやみやたらに増やすよりは、違うところに目を向けたらいいのに。

翌朝、イギリスに出発する日。何かと個性が強かったこの部屋ともお別れ。これはキッチンの風景。

食事のテーブル。くつろげる空間だった。

リビング。一通り部屋の写真を撮り、部屋を出て階段を下りていると、宿主のお母さんと会い、鍵を渡した。メトロを乗りつぎ、ベルシーのバスターミナルへ向かった。パリにはまた10月半ばに戻ってくる予定にしていた。