イギリス その6 「ヘルプ!」とビートルズばりの心の叫び 島国旅行に幕

少し前の投稿で、ビートルズは僕にとってあこがれの対象ではなく、むしろ中学時代の勉強の対象か大人の権威の象徴のようなものだった、という話をした。

だからといって、ビートルズが嫌いだったとか聴かなかったとかいうわけではない。逆に、高校生のころにはビートルズの有名なアルバムを一通り聴くくらいにはなっていた。そうなると、いつか訪れたいと思うようになった場所がロンドンにあった。ビートルズのアルバムのタイトルにもなったグループゆかりの地、アビー・ロードだ。

わずか2泊3日で駆け抜けることになったロンドンでは、いかんせん観光の時間が足りなかった。ビートルズの名曲「ヘルプ!」は「Help! I need somebody」(ヘルプ! 誰か助けて)という歌い出しで始まるが、僕からしたら「Help! I need some more days」(ヘルプ! あと何日かくれ)という思い。しかし、それをいうなら少し前に訪れたアイルランドのダブリンもそうだったし、ドイツ・ベルリンもポーランド・クラクフも同じ。僕たちチームシマは時間を自由に使える流浪の旅人とはいえ、物価の高い都市に長期滞在する余裕があるわけでもなく、「あと何日かほしい」と思ってみたところで、何かに急きたてられるかのように次の街へと向かうのが常だった。

しかも、今回に限ると、ロンドンを離れる予定の翌々日にはパリで外せない約束が入っていて、滞在期間を動かせなかった。そして、僕はアビー・ロードに行かずして、ロンドンを去るわけにはいかなかった。

ビートルズの吸引力

ロンドン観光の最後の日は、朝から雨模様。しかし、それにもめげず、朝食を準備して食べて、早速、街へと出発した。

前日、運行打ち切りやUターンなど散々な目に遭いながらも、この日もロンドンバスに乗って、宿からは北の方角にある市の中心部へ。最寄りの地下鉄の駅よりもバス停の方が近く、雨だったこともあってバスを選んだ。向かった先は、ロンドンで最も知られた門のウェリントン・アーチ。これで、ベルリンのブランデンブルク門、パリの凱旋門に続き、英独仏の首都にある有名な門をすべて見たことになったが、このウェリントン・アーチは残りの2つと比べると大きく見劣りした。

この門は、チームシマがストーンヘンジで購入していた「イングリッシュ・ヘリテッジ・オーバーシーズ・ビジターズ・パス」が使える施設の1つだったため、あいにくの天気ながら門の上に登ってみた。バッキンガム宮殿やハイド・パークなどが近くにあり、都心部ながら緑を楽しめていい環境だった。

続いては、地下鉄に乗ってさらに北へと向かい、いよいよアビー・ロードへ。最寄りのジュビリー線セント・ジョンズ・ウッド駅(St. John’s Wood)はかなり地中深く、エスカレーターのトンネル感が際立っていた。

駅にはビートルズの売店があり、少し驚いたが、冷静に考えると商魂たくましいというよりは、ここまで有名ならそりゃそうするわな、という印象。セント・ジョンズ・ウッドはクリケットの聖地として有名らしいが、クリケットなど知ったこっちゃないし、どうせなら駅名も「Abbey Road」に変えてしまえばいいのに、と思うのは日本的だろうか。

さて、駅からものの5分でアビー・ロードに到着。すると、雨なのにやはりいた!アルバム「アビイ・ロード」のジャケットのまねをして、横断歩道を歩いている観光客の群れが。おそらく、世界一有名な横断歩道かもしれない。グループが解散してから早や半世紀が経とうかというのに、ビートルズの吸引力の凄まじさにしばらく感じ入っていた。

観光客の流れが途絶えたところで、僕も例に漏れず撮影!カメラマンゆっきーが写真加工も含めて完璧に撮ってくれた。

旅の目的の1つを果たして、雨に濡れたメガネの奥で笑みを浮かべながらガッツポーズ。写真を撮るゆっきーも、鏡張りの表札に反射して映りこんでいた。

大英博物館にみたイギリスのアンバランスさ

アビー・ロードを去ったところで時刻は正午を回っていて、ランチに向かった。イギリス料理は昨日まででもう十分、ということで、再びジュビリー線に乗ってさらに北方のキルバーン駅(Kilburn)へ。目的の店に向かった。

歩いていると、日本料理店が目についた。カタカナやひらがなは外国でも時々目にしていたが、店名に自分で「さん」をつけているところが新鮮。我々チームシマは、日本では「しま」の名がつく店を探すことがライフワークの1つで、これまで飲食店に限らずいろいろ見つけて訪れてきたが、さすがに「しまさん」という屋号はなかった気がする。でも、ここはロンドン、「フィリップさん」でも誰も文句は言わないだろう。

その日本料理店は通り過ぎて、目的地のタイ料理店「Spicy Basil」に到着。店構えは少し怪しそうに見えた。

しかし、店内に入ると盛況で、グーグルマップで調べていた通り。グリーンカレー、チキンバジル炒めといったオーソドックスなメニューを注文した。評判通り、どの料理もおいしかった。

ここからしばらくは、ゆっきーと僕とで別行動。ゆっきーが毛糸屋めぐりをしている間、僕は大英博物館(The British Museum)に行くことにしていた。

キルバーン駅へと引き返し、地下鉄に乗って南に戻って、トッテナム・コート・ロード駅(Tottenham Court Road)へ。地下鉄は電車の形がかまぼこ型で面白かった。ちなみに、ロンドン地下鉄は地元では「チューブ」(Tube)と呼ばれている。チューブに似たトンネルの形が由来になっているという。

ロンドン地下鉄は駅間がちょうどいい長さで、路線が曲がりくねって駅間の短いパリの地下鉄と比べて使いやすかった。世界最古の地下鉄ということもあってか、バリアフリーは進んでいないものの、地下鉄のマップで各駅の車いす対応がどこまで進んでいるのか一目で分かるようになっていて、よくできていると思った。

駅から歩いて10分ほどで大英博物館へ。相変わらず雨がちな天気だった。大英博物館は無料で、他にもロンドン・ナショナル・ギャラリーなど、国内の国立博物館、美術館は常設展の入館料が無料となっている。「すべての人が等しく文化に触れられるように」という理念があるという。

一通り外観を撮影した後で中へ。まずは、大英博物館の鑑賞では欠かせないロゼッタ・ストーン。エジプトのヒエログリフを解読するカギとなった石で、エジプトが返還を求めている。芸術作品の類ではなく、オーラのようなものは感じなかった。そのほかにもエジプト関係の展示は、ここで簡単には紹介できないほど充実していた。

こちらは古代メソポタミアのギャラリー。人面獣身像が完璧に近い形に残ったまま展示されていて、圧巻だった。それにしても、この大英博物館はイギリスの侵略と略奪の歴史をまざまざと感じさせてくれる施設だと思った。

もちろん、そういった行為を今の価値観に照らし合わせるだけではなく、当時の状況にも十分に考えを及ぼす必要があるだろう。イギリス側はそれらの収蔵作品を現在、万人に無料公開している事実をもって、返還要求に反論しているようにみえるが、その論理が正当性を持つものなのかどうかは、人によって判断が分かれるところかもしれない。

グランドフロア(0階、日本でいう1階)から上階に上がる途中の様子。パリのルーブル美術館の彫刻の間もよかったが、こちらも日本ではお目にかかれそうにない規模感と雰囲気で、とてもいい空間だった。ウィキペディアによると、収蔵作品数が約800万点で世界最大規模を誇っているという。当然、1つずつまともに見ていくわけにもいかず、ポイントを絞って時間の許す限りいろいろと回った。

異色のものとして印象に残ったのは、三菱商事がスポンサーとなっていた日本ギャラリーで、鶴の丸の鶴紋が入った甲冑がとても目立っていた。

博物館でもう1つ印象に残ったのが、5ポンド(約750円)の寄付を呼びかける寄付箱で、あちこちに置かれていた。確かに、博物館や美術館に無料で入館できるのはありがたいが、そうするのなら、高齢者や子どもを除いて多少の入館料は取ってもいいような気もした。

街中の観光スポット、例えば1周30分の大観覧車、ロンドン・アイなら最低でも30ポンド(約4,500円)ほどかかり、待ち時間のいらない先行入場つき(ファスト・トラック・チケット)ならもっと値が張る。イングリッシュ・ヘリテッジの歴史的建造物には1つずつ、安くはない入場料が設定されている。国立博物館、美術館に対する考え方はきちんと整理されているのだろうとは思うが、イギリスのこういった価格差にはアンフェアさ(不公平さ)はなくとも、アンバランスさを感じざるをえなかった。

広大な博物館を2時間弱で切り上げて外へ出ると、ところどころ、建物にブルーのプレートが付いてあるのが気になった。これは「ブルー・プラーク」と呼ばれるもので、ウィキペディアによると「著名な人物がかつて住んだ家、もしくは歴史的な出来事があった場所」を示すものらしい。

それを誰が選ぶのかといえば、様々な変遷を経て、現在はチームシマのイギリスレンタカー旅でもお世話になった、イングリッシュ・ヘリテッジが決めているとのこと。日本の国民栄誉賞の存在が頭をかすめたが、ブルー・プラークの歴史は19世紀後半からと古く、死後20年以上または生後100年以上の人が対象ということで、政治的意図はさほど生まれなさそうなシステムだと思った。

限られた時間でここ150年ほどの空気を一杯に吸う

さて、一方のゆっきーはというと。

そのころ、まさしく毛糸屋めぐりにいそしんでいるところだった。こちらは大英博物館の北東、イズリントン区にある毛糸屋「LOOP」の店内。「SHIBUI」とあるが、日本語の「渋い」から名付けられたアメリカのブランドらしい。それが回りまわってイギリスにやってきていて、うーむ、シブい話なのかシブくないのかよく分からん。

こちらは、その毛糸屋に向かう途中、ゆっきーが乗り換えで立ち寄った地下鉄ロンドン・ブリッジ駅(London Bridge)のマーク。地下鉄のロゴは、赤丸の円の中央に「UNDERGROUND」の文字が入っていて、駅名を示すときには「UNDERGROUND」の部分が入れ替わっていた。形は日産の車のロゴとそっくり。

結局、チームシマの2人ともロンドン橋を間近で見ることはなかった。橋の目の前でイギリスの童謡「ロンドン橋落ちた」を歌ってみたかったが、今回は叶わなかった。

そのあとでゆっきーが立ち寄ったのは、チームシマの合流場所に近かったリバティ百貨店。創業150年近くの歴史を持ち、女性受けする服飾品、化粧品、家具などを扱っている。メンズコーナーも一応あるらしい。

ゆっきーが店内で毛糸を見るついでに他も見回っていると、「パッチ・ニューヨークシティ」(PATCH NYC)というブランドのライオンのマットが目についた。ということで、記念に撮影。

僕の方は、急ぎ足で合流場所に向かっていると、YMCAの建物を発見。上まで見渡すと、YMCAらしからぬアバンギャルドな造りだった。赤い看板には「the world’s first YMCA」と小さく書いてあった。そう、ここロンドンは19世紀半ばのYMCA発祥の地だった。

リバティ百貨店に近いスターバックスで合流して、この日、最後の目的地となるベイカー・ストリートに向かった。

その狙いはこれ、シャーロック・ホームズ。最寄りのベイカー・ストリート駅(Baker Street)の構内で見かけた。シャーロック・ホームズのシリーズといえば、僕にとって最もなじみ深いのは、小さいころに見ていたテレビアニメ「名探偵ホームズ」だった。そして、レンタカー旅のときにコナン・ドイル原作のシリーズの一部をオーディオブックで聴いていた。

日が暮れていくなか、駅から数分歩いた。このどこにでもありそうな扉はシャーロック・ホームズ博物館の出入り口で、建物の中は小説に出てくる19世紀後半の様子を再現しているという。営業時間が過ぎていて中に入れなかったが、雰囲気を味わえただけで十分だった。それにしても、この喜びよう。

隣は博物館に付随した土産物屋になっていた。さらに1軒挟んだ左にも、ある有名グループにちなんだお店が。

それがこちらの「ロンドン・ビートルズ・ストア」(London Beatles Store)。午前に続いてまたもやビートルズだった。道路に向けては、名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)のディスプレイがあり、思わずゆっきーに写真を撮ってもらった。

店内では、ビートルズグッズの数々が。これはアニメ映画とサウンドトラックのアルバム「イエロー・サブマリン」にちなんだTシャツ。チームシマのメンバー、ロバ太郎は今回、ここでようやくお目見え。

こちらは映画とサントラのアルバム「マジカル・ミステリーツアー」。僕がビートルズの中で最も好きなのはこのアルバムだ。ビートルズの活動時期を前・中・後の3期に分けるなら、僕は中期のサイケデリックな音楽が好みで、その中でも1枚を挙げるならこれ。本来は1枚のアルバムとして製作されていない、という経緯があるものの、個人的には気に入っている曲が多い。

日中に訪れた「アビイ・ロード」は後期の作品で、録音順からいうと実質的にビートルズ最後のアルバムだった。成熟した骨太のロックを聴かせてくれて、ビートルズの後期の作品では一番好きだ。このアルバムの収録時、メンバー間の亀裂は修復しがたいものになっていたようだが、そういうときに名盤が生まれるのがすごいと思う。日本でも有名なサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water)も、そんなイメージのアルバムだ。

地下鉄に乗る前に、ベイカー・ストリート駅の近くにあるシャーロック・ホームズの銅像を見て、宿まで帰った。

駅前にある像といえば、日本の首都・東京では昔ながらの西郷どんや忠犬ハチ公のほか、近年でいえばJR亀有駅前の「こち亀」の数々の像が思い浮かぶが、それらとは雰囲気が違っていた。どちらかといえば、大分のJR別府駅前でバンザイしている油屋熊八像を夜に見たときの不気味さを思い起こさせた。あの不気味さは知る人ぞ知る感じで、別府温泉を訪れたことがない人には、何のことかさっぱり分からないかもしれない。

ロンドン観光を終えて

これはロンドン滞在中、常に便利さを感じた交通系ICカードのオイスターカード。何だかんだいいつつ、バスや地下鉄にはお世話になった。

結局、ロンドンは表面の一部をサラッとなでただけに終わった気がした。一例を挙げると、僕はヨーロッパ各国の首都の公共交通網をいろいろ利用して解読していくのが好きだが、ロンドンではバスと地下鉄に乗っただけだった。この都市では他にどんな乗り物があるのか、列挙してみると、
イギリスを代表する鉄道の
・ナショナル・レール(National Rail)
ロンドンの観光ガイドブックなどではあまり紹介されない
・ライトレールのドックランズ・ライト・レイルウェイ(Docklands Light Railway)
・路面電車のトラムリンク(Tramlink)
・都市近郊列車のロンドン・オーバーグラウンド(London Overground)
それ以外にも、
・水上通勤や観光の足となっているテムズ川のリバー・バス(River Bus)
・テムズ川の短距離を結ぶロープウェイのエミレーツ・エア・ライン(Emirates Air Line)
があった。

翌朝、まだ暗い中をフランス・パリに向けて出発。この日も雨が降っていて、最寄りの地下鉄ブリクストン駅は、青の蛍光灯が地面に反射して光っていて、地下鉄の駅らしからぬ雰囲気だった。

月曜朝の通勤ラッシュの中、ヴィクトリア・コーチ・ステーションへ。これでイギリス、アイスランド、アイルランドと3か国21日間に及んだ島国旅行は幕を閉じた。

余談になるが、イギリスで行けなかったことで心残りだったところはたくさんある。スコットランドのエディンバラなども訪れたかったが、叶わなかったし、ロンドン観光では定番のキングス・クロス駅(King’s Cross)なども行けなかった。この駅は映画のハリー・ポッターの撮影スポットとして知られているが、個人的にはハリポタには全く興味がなく、ペット・ショップ・ボーイズ(PSB)に「King’s Cross」という曲があるのが僕の心をくすぐっていた。

キングス・クロスは、日本でいえば東京の上野駅に例えられる駅で、北イングランドやスコットランドからロンドンを夢見て訪れる人たちの玄関口となっている。PSBの曲が発表された1987年当時、イギリスは「鉄の女」の異名を取ったサッチャー政権下で不況にあり、行き場を失った多くの労働者の溜まり場となっていたのがこの駅周辺だったらしい。この曲では、そんな当時の世相が歌われていて、それから年月が経った今はどうなのか、見てみたかった。イギリスはいつか再訪したい。

旅の情報

訪れた食事処

Spicy Basil
注文品:グリーンカレー、チキンバジル炒め、スープ 16.5ポンド(約2,500円)
行き方:キルバーン駅から南に歩いて10分。または、ロンドン・オーバーグラウンドのキルバーン・ハイ・ロード駅(Kilburn High Road)から北に徒歩7、8分ほど。
その他:今回はチームシマにしては珍しく、定番のパッタイを注文しなかった。ロンドンの飲食店にしては価格が安く、人気店のようで、お昼時から少し外れた14時近くになっても客がひっきりなしに来ていた。

中年の視点でみたイギリスの感想

ここからは、40代前半の中年の視点からみたイギリス全体の簡単な感想を思いついたままに。

まず、食べ物関連について。イギリスはヨーロッパ大陸と比べて食への関心が薄いのか、スーパーでもオーガニック、つまりBIO(ビオ)の有機食材が少なかったし、高かった。BIOへの意識はドイツやフランス、オランダなどに比べて明らかに低く、安さこそが価値といった、日本と似た空気を感じた。日本と違うのは郷土料理のおいしさだろうか。もちろん、日本のほうが圧倒的に優れている。イギリスの食への関心の薄さはフィッシュ・アンド・チップスなどにも表れている気がした。

あと、気になったのは、独特な通貨の目に見えないところでの不便さ。イギリスがあえてユーロを導入せず、ポンドを維持してきたのは、イギリスのEUとの距離の置き方からすると当然だったのかもしれない。しかし、西欧の主要先進国でユーロを導入していないのはイギリスだけで、隣の島国、アイルランドもユーロを導入している。仮にポンドが余っても他国では使えないし、他国と物価を比較するのにも不便だった。ポンドが通貨ということで困った経験は1度もなかったものの、違和感が募った。

ロンドンと地方とでは街の雰囲気が大きく違っていたが、それぞれ風情があった。特に、イングリッシュ・ガーデンの国とあって庭園の類は素人目にも整っていてきれいだった。交通に関しては、地方が不便なのはどこでも同じだが、それでもナショナル・レールがカバーしている範囲は広いように思うし、高速バス網も整備されていたので、チームシマのようにへんぴなところを目指さないのであれば、公共交通で行けそうな印象だった。