いよいよアフリカまでの道のりが見えてきたチームシマ。一気にフランスを南下して、次なる目的地のトゥールーズを目指した。僕はそこをスペインまでのただの通過点にするつもりはなく、この都市を拠点に、世界中からカトリックの巡礼者が集まるルルドを訪れて、沐浴するつもりだった。
ウィキペディアなどによると、ルルドは、19世紀半ばに発見された泉によって不治と思われていた病が治る奇跡が続々と起こったとされる。泉を見つけた当時、少女だったベルナデッタ・スビルーは何度も聖母の出現を体験したとされ、死後に列聖された。ルルドはカトリックの重要な巡礼地となっていき、今では人口約14,000人の小規模な街ながら、ホテルの客室がパリに次いで国内で2番目に多いというから、その繁栄ぶりがうかがえる。僕はカトリックではなく、体の不調があるわけでもなかったが、このルルドの奇跡の源には興味が湧いていた。
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フランスを一気に縦断
4泊を過ごしたパリのアパルトマン(アパート)から、これまで利用したことがなかったパリ=ガリエニ国際バスターミナルへ。パリ市内からぎりぎり東に外れたあまり治安のよくない地域にあったが、問題なくたどりついて、10時間弱のバス旅へと出発した。
バスターミナルから約1時間、南西に走ったところにあった高速道路の料金所。レーンがとにかく多くて巨大だった。
今回はiSiバスという、これまで何度もお世話になったユーロラインズ(Eurolines)の系統のバス会社を利用した。最初に座った前から2番目、妻のゆっきーの座席は、シートの固定が甘くて左右に動く不快な席で、1回目の休憩のときに一番後ろの席に移った。しかし、これが大失敗!
チームシマの逆サイドにいた男性から悪臭が漂ってきて、特に靴を脱いで足を出していると強烈だった。何でそんなに足が臭いのに靴を脱ぐのか、本人は全く気づいていないのか。僕もゆっきーも久しぶりにマスクを取り出し、鼻と口を覆った。
男性の足の臭さは、僕たちの前に座っていた黒人女性も不快に思っていたらしく、目を合わせると鼻をつまむしぐさをして、お互いに共感した。しまいには、この女性が強烈な香りを放つスプレーを自分の席の周りにかけだして、足の臭さと芳香剤のにおいとで、目には見えない地獄のようなありさまになりながらも、ゆっきーも僕もどうにか体調を崩すことはなく、トゥールーズのバスターミナルに20時前に到着。ここから、この街で滞在するイビス(ibis)系のホテルまで歩き、チェックインしてようやく落ち着いた。
晩ご飯は、チームシマにしては非常にめずらしくピザに。街の方まで歩いていって目的のタイ料理店に向かったものの、店の前でメニューを確認したら価格帯が高かったため、僕が考えあぐねていると、別の1組が入ってしまい、満席だからと断られてしまっていた。歩きながらぶつくさと不満をぶちまけるゆっきーに僕は気分を害しながらも、宿の近くにあったピザのスタンドで注文し、部屋に持ち帰ったのだった。
注文したのはシーフードピザ。いつぶりか思い出せないピザは、思いのほか体に優しい味だった。この日はバス旅の間、まともにご飯を食べられなかったこともあり、チームシマのメンバー、ロバ太郎も満足げに映りこんでいた。
すでに夜半に差しかかろうかとしていたが、手持ちの現地通貨が10ユーロ(約1,300円)ほどにまで減っていたため、まだ部屋に落ち着けなかった。僕はゆっきーを残して現金をキャッシングしにATMを探しに出かけた。お金をぶじ下ろした後、通りかかった薬局で面白い自販機を発見。
歯磨きセットやおむつをはじめ、いろんな生活用品を扱った自販機だった。自販機大国、ドラッグストア大国の日本でもこういうのは見たことがない、日本は自販機大国とはいいながら画一的に過ぎて工夫に乏しいのかもしれない、と思いながら部屋に戻り、ようやく一息ついた。
寒さが身にしみたルルドの泉
翌日は、僕1人でルルドに行くため、日が出る前からホテルを出て、バスターミナルへ。ゆっきーは以前、ルルドに訪れたことがあって、再訪するほどには心が惹かれなかったらしく、この日はお留守番。パリ・エッフェル塔のシャンパンフラッシュを見にいったときと同じようなシチュエーションになった。
宿を出てすぐの光景。夜明け前とはいっても、これで時刻はもう朝8時前だった。フランスにはサマータイムがあり、10月の最終日曜日までは時計を1時間早めるため、10月も半ばになると夜が明けるのはかなり遅くなる。ちなみに、フランス南部とはいっても、トゥールーズの緯度は札幌よりも少し高い。つまり札幌よりも北になり、これも日の出の遅さに影響している。
ルルドへはバスで片道3時間ほどの道のりで、11時過ぎには到着した。バスターミナルの近くでは、慈善団体が訪れた人たちに飲み物を配っていて、人だかりがいかにも巡礼地といった風情。
歩いてルルドの泉がある聖域の方面へ。街並みは日本のどこかの地方でも見かけそうな観光地に近く、懐かしい気持ちになった。
バスターミナルからのんびり25分ほど歩くと、ロザリオ大聖堂に到着。奥にはバジリカ大聖堂も見えた。いずれもルルドを代表する聖堂で、遠目からでも抜群の存在感だった。ちなみに、バジリカ大聖堂は、正式には「無原罪の御宿り大聖堂」というらしいが、小難しくて覚える気をなくしてしまう。
こちらは、聖母が出現したとされるマサビエルの洞窟。奇跡の泉はこの洞窟を入ってすぐところにあった。巡礼者が少なかったので、ほとんど並ばずに見られそうだった。
真ん中下のオレンジになっているところがルルドの泉。ガラスの壁に覆われていた。ガラスで覆われたといえば、ガラス壁で厳重に守られていたルーブル美術館のモナ・リザを思いだした。
聖域内のいくつかの場所で整備されていたルルドの泉の水汲み場。まるでそこらにある水道水を持ち帰るような雰囲気で、味気なければ、ありがたみも感じなかった。多少は泉の水を汲んでいる感のあった別の場所で水を入れてみると、蛇口までの高さが狭く、この日、持っていった2リットルのボトルが入らなかったが、気合を入れて何とか半分くらいまで水を入れた。
そして、この地を訪れた最大の目的、泉の水での沐浴をしに、受け付け場所まで行った。しかし、男性の受け付けは9~11時、14~16時と決まっているらしく、あと2時間あまり待つ必要があったので、しばらく聖域や街を散策することに。
聖堂を見ても特に心打たれるものはなく、街で飲食物を探してみたものの、どこも観光地価格で心を引き寄せられるものもなかった。そして、土産物屋で見かけたものといえば。
ルルドの泉の水が入ったミントタブレット。この物量作戦を前にすると、やはりありがたみがなくて買う気が失せていった。
13時過ぎに戻ってくると、すでに沐浴を待つ人の行列ができていて、僕もその中に加わった。
14時前になると讃美歌が歌われて、男性の沐浴がスタート。車椅子の人やボーイスカウトの格好をした人たちが優先的に中に入っていって、僕が並んでいた列はなかなか進まず、待っている間に体は冷え切ってしまった。
黙々と列に並んでいたが、頭の中では「こんなに寒い思いをするなら並ばなければよかった」とか、「そもそも奇跡もキリスト教の話だし、よそ者の自分が沐浴したって」とか、「(日本人が大好きな訪問地で、外国人入場者の3割ほどを日本人が占めるともいわれる)モン・サン・ミッシェルもパスしたくらい、キリスト教系には興味が湧かないのに」とか、雑念がいろいろと湧いてきた。列に加わってから2時間くらいか、それでも辛抱強く待っていると、ようやく中に入れた。
中に入ると細長い廊下に長椅子がいくつか置かれていて、目の前に5つのブースがあった。使われていたのは3つで、うち1つは障がい者用、もう1つは団体用で、列に並ぶ一般向けに割り当てられたのは1つだけだったようだ。どうりで列の進みが遅かったわけだ、と納得がいった。
ようやくブースに入り、沐浴の準備のためパンツ1枚になるとさらに寒く、膝がガクガクと震えた。ブース内には6人いて、アジア系は僕1人。順番がきて奥に入り、腰にタオルを巻いてもらって裸になって、周りにいるスタッフたちの手伝いを受けながら、指示通りゆっくりと浴槽へつかっていった。チームシマで無事に、元気に旅をやりきることを願った。肩までつかってから上がり、沐浴はあっという間に終わった。その場で下着をはき、ブース内に戻って服を着て外へ出た。あまりにも寒い時間を長く過ごして、体がなかなか温まってこず、これは風邪をひいてしまったと思った。
帰りのバスの時間もあと1時間くらいになっていたので、バスターミナルへと向かい、トゥールーズ行きに乗って帰った。ルルドには、カトリック教徒ではない僕の心にも響いてくるようなものはなかった。1度行けば十分。沐浴は10月でこのありさまだから、もし冬場もやっていたとしても、滝行のように辛いのではないかと思った。
トゥールーズに到着したとき、空はすっかり暗くなっていて、待ち合わせしていたゆっきーと2人で日本人夫妻が経営しているラーメン屋「シン屋ラーメン」(SHIN-YA RAMEN)へ。メトロの切符がなかなか買えなかったり、乗換駅を間違えたりしつつ到着すると、「麺がなくなったのでラーメンは売り切れです」と言われてしまい、前日に続いてゆっきーの文句が炸裂。しかし、その場でたたずんでいると「1玉は用意できます」と言われてゆっきーの機嫌が持ち直し、実際に注文すると2玉用意してくれた。
ラーメンはしょうゆベースで、昔懐かし昭和の東京のしょうゆラーメン(といっても、昭和の東京のしょうゆラーメンを食べたことはない)を思いだす味。食べ終わった後に少し話を聞くと、夫妻のうち男性のほうがトゥールーズ出身らしい。日本語で話をして少しほころんだが、会計で注文を間違えられてしまい、余分に4ユーロ支払ったことに後で気づいて、今度は僕が気分を害して残念な思いになった。それでも、帰り際に現地では手に入れにくい「お~いお茶」を2本いただいたし、これも何かのネタになるし、まあ、いいとすることに。残る心配は、ルルドでの無理がたたらないかということだった。
意外と?歴史を感じたトゥールーズ市街
ここまで2泊したトゥールーズも、1日目は夜、2日目はルルドへ日帰りということで街をほとんど見ていなかった。この地で最後の1日は、街を見て回ることに。トゥールーズはエアバスの本社がある航空産業の地と聞いていたものの、そういう雰囲気を市街地に感じられるのかどうか。
タイミングの良くないことに、この日は年に1度の「トゥールーズ・マラソン」(Marathon de Toulouse Métropole)が開催されていて、しかも日曜だったので、空いているお店が少なく、閉まる時間も早かった。
そんな中、重い腰を上げて正午ごろからお昼へ。マラソンでかなりの規制が敷かれていると想像していたが、しばらく歩いていても、意外なほど閑散としていた。
ただ、市の中心部にある「ヴィクトル・ユーゴ―市場」(Marché Victor Hugo)に行くと、さすがににぎわっていた。昼ご飯の確保に燃えるチームシマの2人。
たこの看板の前で物まねしてみた。
タイ料理の総菜を売っている店でタイカレーと焼きビーフンを買って、近くの公園で昼ごはん。
そこからはしばらく街中を散歩した。レンガ造りの街並みがフランスのイメージとは違っていて、美しかった。幸いにも、僕は前日のダメージを引きずらず、むしろゆっきーの調子が悪化しつつあった。しまいには、軽い頭痛がしてきたということで、いったん宿に帰った。しばらくすると、朝から曇り空だったのが晴れてきたので、僕1人でもう1度、散歩に出かけることに。
こちらは、八角形の鐘楼が特徴的なサン・セルナン・バシリカ大聖堂(Basilique Saint-Sernin)。後で知ったが、この大聖堂は「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の建造物の1つとして、世界遺産に登録されているらしい。
もう少し解説を加えると、フランス各地からイベリア半島の付け根のピレネー山脈を越えて、キリスト教の聖地の1つ、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラへと至る巡礼路のうち、フランス国内の4つのルートが世界遺産の対象となっているようだ。その範囲は南のスペイン国境周辺から、北はパリにまで及んでいる。スケール感という点では、かつて僕が愛車のベスパで一部を訪れた、紀伊半島の熊野古道とは大きく違っていた。大聖堂の中にも入ってみると、人が結構いた。
街の中心、キャピトル広場へ。夕方に差しかかっていたが、ここはマラソンのブースが残っていて、お祭りの名残があった。
「バラの街」とも呼ばれるレンガ造りの街並みを眺めつつ散歩。日曜も夕方だからか、人通りはあるものの閑散としていた。
この街で気になっていたもう1つのラーメン店、「フフ・ラーメン」(Fufu Ramen)の前を通ってみた。さすがに2日連続でラーメンを食べる気にもならず、スルーした。
トゥールーズはレンタサイクル(シェアサイクル)が充実しているようで、「30分無料」という広告が目を引いた。個人的には、レンタサイクルが外国人にも使いやすく、しかも安かった街としては、2014年に1人旅をした台湾の高雄が印象に残っている。何回乗っても借りるたびに60分まで無料で、貸し出しと返却の手続きはクレジットカードをリーダーに通すだけで簡単にできた。
こちらは、閑散とした日曜の街中で、唯一といっていいほどにぎわっていた映画館。この歴史がかおる市街地に、最先端の航空産業の影は微塵もなかったことに少しホッとしつつ、この映画館を街の見納めとしてホテルに帰った。
翌日は、ピレネー山脈にあるフランスとスペインに囲まれた小国・アンドラの首都、アンドラ・ラ・ベリャに向けてバスで出発した。
見慣れた高速道路の景色を外れて、山あいの曲がりくねった道に入り、山へと登っていった。フランスへ最初に着いたのが9月8日。そこから最後にフランスを出るまで、早いもので1か月半近くが経っていた。この旅ではもうフランスに戻ってくることはない。そう思いながら、車窓の向こうにそびえる山々をぼうっと眺めていた。
旅の情報
今回の宿
イビス・バジェット・トゥールーズ・サントル・ガル(Ibis Budget Toulouse Centre Gare)
ダブル1室 3泊 150.73ユーロ(約19,500円)
設備:バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:イビスを傘下に持つアコーホテルズ(Accor Hotels、現・Accor Live Limitless)の予約サイト
行き方:トゥールーズの長距離バスターミナルからミディ運河沿いに西に歩いて10分。
その他:フランスが本場のイビスのエコノミーホテル。パリのアパルトマンと比べると設備はよくなかった。
訪れた食事処
Pizza Francis
注文品:シーフードピザ 9ユーロ(約1,200円)
行き方: トゥールーズの長距離バスターミナルからミディ運河沿いに西に歩いて7、8分 。
その他:「Francis」は奇しくも、アイルランドで出会ったスーパーホストの名前と同じ。固定されているキッチンカーのようなスペースで営業していた。最初に利用した後も、持ち帰りを注文しようと思ったことがあったが、土日休業のようで再び利用することができなかった。
シン屋ラーメン(SHIN-YA RAMEN)
注文品:しょうゆラーメン2つ、ミニチャーシュー丼、モチアイス、半ぎょうざ 計35ユーロ(約4,500円)
行き方:2019年9月に、トゥールーズ市内で店を移転したらしい。2021年現在の店は、メトロB線のCompans-Caffarelli駅から西に5分ほど。
その他:会計を間違えられた印象が強いが、ラーメンは滋味深くておいしかった。
中年の視点でみたフランスの感想
神戸に住んでいたときは、何年にもわたって友達がやっているビストロに入り浸っていたのに、フランスへ行ったことはなく、どんなところか想像を膨らませていた。その神戸の店では、一口にフランスとはいっても、パリと田舎とでは大きく違うと聞いていたが、チームシマで今回見たのはパリとトゥールーズだけ。パリジャンの雰囲気と気質はどことなく伝わってきた。
フランスは、ドイツにもイギリスにも及ばないところが多々あると思う。パリはあこがれを持って語られることが多いものの、ベルリンのような目に見えて分かるオンリーワンは、僕の短いパリ滞在期間には見えてこなかった。
フランスといえばすましたような、プライドの高いような印象も持っていたが、パリにいるとそのあたりは何となく想像通りだった。パリをパリ足らしめているのは、このプライドによるところが大きいのだろう。そして、パリは10代や20代に行くよりは、30代以降になってそれなりに使える金のあるほうが、十分に楽しい街だろう。そうでなければ寂しい思いが募りそうな気がした。街角からは、人の温かみがさほど感じられなかった。
一方、トゥールーズでは、夜の街を歩いていても危険を感じなかったし、みなリラックスして過ごしているように感じた。トゥールーズの人たちは、自分の住んでいる街が好きと思っている人の割合がフランスでも特に高いらしいという調査があって、確かにそうかもしれないと思った。ほかにもフランス随一のリゾート地、プロバンスやコート・ダジュールなどは土地のみならず、人の風情もいいのかもしれない。行きそびれたのは返す返すも残念だった。
フランスでは、英語は結構通じるが、それでもフランス語を多少は理解できなければ住めない国だと思った。日本でも、日本語をまったく使えないなら住みにくいことこの上ないだろうが、それと同じような感じ。東南アジアで現地語を使わずにリタイア後の生活を送るかのように、言葉も解さないのに中高年になってからフランスに住もうとするのは、ビザ要件は別に置くとしても、かなりの無理筋といえそう。
あと、前回にも書いたが、パリでの日本文化へのリスペクトがすごい。その取っ掛かりになったものとして、よく言われているのはマンガだと思うが、本当のところはどうなのか、もっと突き詰めてみたかったという思いも残った。
長くなったので、それ以外のフランスの感想を簡潔に。食がおいしい、観光地が多い、でも街は汚い。次に行く機会には、キリスト教に関わる観光地などとはつながりのない、田舎に行ってみたい。