ユーラシア大陸の西の果ての国、ポルトガル。モンゴルやロシアのシベリアから陸続きで旅を始めたころは、目の前のことで精いっぱいで、いずれこの国にも訪れるんだろうと思いながらも、ただ遠い場所にしか過ぎなかった。しかし、旅が徐々に西へと進み、西欧を出なければならない時期が差し迫ってきて、旅に勢いがつきはじめると、ポルトガルはまた違った姿でみえてきていた。
スペインの世界遺産の街、サラマンカで息を付く間もなく、さらに西へと歩を進めたのは、僕にとってただの惰性ではなかった。僕がこの国を訪れたかった理由ははっきりしていた。はるかロシアから続くユーラシア大陸の最西端、ロカ岬(Cabo da Roca)に足跡を残したかったからであり、そしてもう1つ、学生時代から強い印象を抱いていて、どうしても訪れたかった場所がこの国にあったからだった。
ただ、そのもう1つの場所は今回、登場しない。ポルトガルの首都リスボンを訪れ、さらにはロカ岬を往復する道のりまでを、今回は紹介したい。
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坂の街・リスボンでナマステ
ポルトガル国内に入った長距離バスは、主要な都市のターミナルで止まったり、サービスエリアで休憩したりしながら、リスボンへと向かっていた。ここで1つ残念だったのは、サラマンカと対をなすようなポルトガルの学生の街、コインブラに滞在できなかったこと。停留所として立ち寄りはしたものの、僕たちチームシマは先を急いでいて降りるわけにもいかず、この古都を素通りした。
ポルトガルはスペインとの時差が1時間、日本との時差は9時間あり、イギリスやアイルランド、アイスランドなどと同じ西ヨーロッパ時間を採用している。スペインでのサマータイムが終わった前日に続いて、時計の針を1時間巻き戻した。
今回のバスは、黄緑色の車体をした「フリックスバス」(FlixBus)。ポーランドのクラクフで初めて乗って以来、何度も長距離移動の際に使ってきたフリックスバスも、この世界旅行では今回が最後になるかもしれなかった。
フリックスバスを手がけるフリックスモビリティ社(Flixmobility)のホームページやウィキペディアなどによると、ドイツ発祥の同社は最初のバス路線を設けたのが2013年で、まだ歴史が浅いにもかかわらず、すでに36か国2,500か所(2021年10月現在)を拠点に路線を展開しているという。自社で車両を持ったり運転手を雇用したりしているわけではなく、バスの運行自体は地元のバス会社に委ねているそうで、チームシマでフリックスバスと同じく、よく利用したユーロラインズ(Eurolines)と似ていた。
巨額の資金が必要そうな交通インフラの分野で、新進の企業がここまで躍進できたのは、ビジネスモデルとして非常に優れていたことに加えて、市場のニーズ、人々が求めるものにきっちり応えてきたからなのは間違いない。目の付けどころの大切さを思わされた。
さて、リスボン市域の北西端にあるオリエンテ(Oriente)のバスターミナルには夕方に到着。早速、リスボンメトロに乗って宿まで移動した。メトロの車両は古めかしく、日本でいうなら昭和を感じさせた。
今回、予約した宿の「Central Park Namast’Inn Guest House」に到着。ユーラシア大陸の西端に来て、インドやネパールのあいさつの言葉、ナマステ(namaste)にちなんだナマスティン(Namast’Inn)とはこれいかに。赤や青のカーテン、窓に貼られたフィルムは、どう解釈しようにもナマスティンという雰囲気ではなかった。ただ、ゆっきーは、窓に設けられたカウンターがいたく気にいったらしく、あまり外に出ていこうとしなくなった。
こちらは、部屋の出入り口付近。竹を使っているあたりがインド風なのかも。ゴダイゴの有名な曲「ガンダーラ」や、それほどには知られていない曲「ナマステ」でもかけてみたら、さらに雰囲気が出たかもしれない。部屋は間接照明が中心で、リラックスして滞在できた。あと、右上に見えている照明は来て早々に電球が切れてしまい、取り替えてもらった。
もう暗くなりかけていたリスボンの街で、晩ご飯を探しに出かけた。リスボンの市街地は坂が多く、年老いた後に生活するのは大変そう。
日は30分ほどであっという間に暮れていき、夜のとばりが下りていた。
チームシマはここ4日間のうち3日間が長距離移動となっていて、晩ご飯を積極的にリサーチする気力もなく、結局、近くのバーガーキングでテイクアウトして宿で食べることに。このファストフードのハンバーガーやポテトの味は久しぶりで、体にはよくないんだろうなと思いながらも、たまにだと少し楽しみになったりする部分もあった。
そしてもう1つの問題、たまっていた洗濯物を何とかしたかったが、宿にはランドリーサービスがなかったため、僕1人で夜の街に出て、コインランドリーまで行くことに。
道中、橋から下の道を眺めると、石畳が整っていた。ポルトガルのこの石畳のスタイルは「カルサーダ・ポルトゲーザ」(calçada portuguesa、ポルトガル式歩道)と呼ばれていて、車道も歩道もこの石畳という場所をよく見かけて、僕の中ではポルトガルの市街=(イコール)石畳というイメージができていくことに。
それにしても、壁の落書きの多さ。デンマークあたりの街並みを彷彿させた。
コインランドリーに到着。考えてみたら、旅でコインランドリーを使うのは、7月のラトビア以来だった。僕たちにとって、洗濯は特に慎重さを求められる家事で、柔軟剤や洗剤のにおいが残らないよう、いつも気を配っていた。
このときは、事前にグーグルマップのレビューや店の紹介ページなどで、洗剤や柔軟剤が自動投入されないことを確認したうえで足を運んだ。店内に「FEEL FREE TO BRING YOUR OWN DETERGENT AND SOFTENER」(自由に洗剤や柔軟剤をお持ち込みください)と書かれてあって一安心。 洗濯機の容量は9キロと14キロの2種類で、洗濯にはさほど時間がかからないのに対して、乾燥させるのに時間がかかるのは世界共通のようで、宿に戻ると時刻はもう22時を回っていた。
中国語系の観光客がやたら目立ったロカ岬
翌日、いよいよユーラシア大陸の最西端へ。ゆっきーは部屋でのんびりしていたいらしく、僕1人で向かうことにした。天気予報がよくなかったのは残念だったが、先を考えるとこの日しか訪れるチャンスはなかった。
メトロに乗ってロシオ駅(Rossio)へ。駅舎が美しかった。19世紀後半、ポルトガルで流行したネオ・マヌエル様式というらしい。このロシオ駅から鉄道とバスを乗り継いでロカ岬へと向かった。
40分ほど電車に揺られ、シントラ駅(Sintra)で降車。続いてバスに揺られること数十分、晴れたり雨が降ったりと、風が強いのか、雲の動きが早く、空模様が安定しなかった。
ロシオ駅からは、待ち時間も含めて約2時間でロカ岬のバス停に到着。岬に向かおうとすると、きれいな虹がかかっていた。
ついにユーラシア大陸の西の果て、ロカ岬に到着!
ただ、あまり最果て感はなかった。その理由の1つは、バス停からすぐに来られるため。青空が広がっていたのは何よりだったけれども。
最果て感が薄いもう1つの理由は、周りが観光客だらけで、しかも聞こえてくるのは中国語ばかりで、東アジアにでもいるような気分になったからだった。この理由のほうが大きかったかもしれない。ここまで来たありがたみがないというか、なんというか。
それにしても、旅をスタートさせたときには、それから4か月半が経っても、まだヨーロッパに滞在しているとは想像していなかった。そして、今やヨーロッパから出ることに怖じ気づいてさえいた。
ロカ岬にそれほどの感慨がなかったこともあって、割とあっさりとシントラに戻ることに。この街もリスボンと同じく坂が多くて、いくつかの物件は世界遺産に登録されているというだけあって、いい雰囲気だった。
そして、左に見えるのは……オートリキシャ?ここの部分だけインド感が強烈で、ナマスティン・ゲストハウスを超えていた。
この街にある有名なスイーツ店「Casa Piriquita」で、エッグタルトに似た「ケイジャーダ」というポルトガル伝統のチーズタルトなどを持ち帰りで買い、鉄道でリスボンに戻った。
プチ首都観光とポルトガル料理
再びリスボンに。翌朝にはリスボンを発つこともあり、しばらく街を散策することにした。ここは首都のど真ん中、ロシオ広場(Praça de Rossio)が目の前に見える道。
ロシオ広場から歩いて7、8分のところにあるマルティン・モニス広場(Praça Martim Moniz)で、観光客に人気のトラム(路面電車)28番の始発駅を訪れてみた。もう夕方に差しかかっていたのに、1両編成のトラムの前であまりにも多くの人が並んで待っていたので、乗車は諦めて周りを歩き回ることに。
坂を上って歩いていける距離にあるサン・ジョルジェ城(Castelo de São Jorge)。ここから眺める街並みは絶景というが、出入り口はうっそうとした雰囲気だった。城内には入らなかった。
坂を上り下りするトラム。リスボン市街地を所狭しと走っていく姿は初めて見るのに、なぜか郷愁を誘った。そういったところも、観光客に人気の理由なのかもしれなかった。
宿に戻ってゆっきーと合流し、晩ご飯へと出かけた。訪れたのは、地元客に人気というポルトガル料理のレストラン「Casa dos Passarinhos」。突き出し(お通し)として、むき出しのチーズが出された。
言葉だけだと「ふーん」で終わってしまうが、写真で見るとなかなか衝撃的。どのように食べたらいいのか分かなかった。笑顔のなかにも困った様子が感じ取れるロバ太郎。
この店の名物、アンコウのリゾットと、エビが入ったアソルダというポルトガル料理2品を頼むと、鍋のままで料理が出てきて、度肝を抜かれた。
鍋の後は、デザートのプリン。鍋のほうは正直なところ、とてもおいしかったというよりは、純粋にポルトガル料理とその雰囲気を楽しんだような感じだった。特にアソルダは、細くちぎった多量のプランスパンが水気のある他の食材に浸されていて、日本人でこの料理を好む人はかなり少ないかもしれない。プリンのほうは、ロバ太郎も前足を後ろにのけぞらせるほどのおいしさだった。
帰りは、小雨の降る中を歩いた。ゆっきーは、雰囲気のあるリスボンの街並みを見ながら、部屋にこもらず、もっと散策してもよかったと思ったようだった。
翌朝は、次なる目的地のポルトガル南部の街、ラゴスに向かうため、ゆっくりする間もなく宿を去ることに。ゆっきーが気にいっていた部屋のカウンターともお別れして、出発した。
この日は10月最後の日。ポルトガルやスペインをはじめ、シェンゲン協定の加盟国内に留まれるのは、この日を含めてとうとう残り1週間となった。
旅の情報
今回の宿
Central Park Namast’Inn Guest House
デラックスダブルルーム 2泊 61.04ユーロ(約7,800円) 素泊まり
設備:共用バスルーム、電子レンジあり Wi-Fiあり
予約方法:Booking.com
行き方:リスボンメトロ青線のパルケ駅 (Parque)から南に歩いて5分。
その他:ビルの6階ワンフロアを使ったゲストハウス。なぜ宿の名称に「 Namast’Inn 」が入っているのか尋ねた気がするが、返事はよく覚えていない。施設はDIYの手作り感が強かったものの、清潔に保たれていたところに好感が持てた。2021年10月現在、Booking.comなどの予約サイトからは抹消されているか、受け付け休止の状態となっている。
訪れた食事処
Casa Piriquita
注文品:ケイジャーダ6個、ココナッツケーキ、Pastel de Sintra 計7ユーロ(約900円)
行き方:シントラ駅から南西の旧市街に歩いて12分。
その他:店舗に入って番号が印字された紙を取るシステムを取っていて、比較的回転が速く、持ち帰りを注文できた。ケイジャーダはそれほど濃厚な味ではなく、食べやすかった。
Casa dos Passarinhos
注文品: アンコウのリゾット(写真手前)、エビのアソルダ(写真右奥) 、ビール2本、プリン 計40ユーロ(約5,100円)
行き方:リスボンメトロ黄色線のラト駅(Rato)から西に歩いて10分。
その他:地元客向けの店構え。英語のメニューはなかった。アンコウ、エビなどの魚介類が惜しげもなく、ごろごろと入っているところに好感が持てた。グーグルマップやトリップアドバイザーでの評価は高い。金属感のあふれる鍋がそのまま出てくるスタイルが面白かった。