モロッコ その1 海の玄関口タンジェ そこはすでに濃密なアラブ世界

ポルトガル、スペインへと陸続きで移動してきたチームシマのゆっきー、僕の2人は、スペイン・タリファからモロッコ・タンジェへとフェリーでジブラルタル海峡を渡った。長いこと旅してきたヨーロッパに別れを告げて、アフリカ大陸の旅へと入った。

モロッコはどんな国?

ひとえにアフリカといっても、いろいろある。一般的にイメージを浮かべるであろう肌の黒い人たちは、サハラ砂漠よりも南の「サブサハラ・アフリカ」に多く見かける。モロッコやエジプトなど、地中海に面した国々では、そうではなくてアラブ系の人たちが住んでいる。

モロッコの民族構成はアラブ人が約3分の2、残りの約3分の1がやはりアラブ系のベルベル人で、街を歩いていても黒人を見かけることはほとんどない。

宗教はイスラム教が盛んで、ほとんどの国民はイスラム教徒。そのため、飲酒には寛容ではなく、酒が飲めるところは限定されるため、アルコールを好む人には辛い国だ。

モロッコの広さは日本の約1.2倍。国を北東から南西に斜めに横切るように山脈が走っていて、4000メートルを超える山もある。そして、気候は地中海沿岸、内陸の高原地帯、大西洋沿岸、山岳地帯、サハラに面した砂漠地帯と、とても多様だ。モロッコはアフリカ大陸とはいっても赤道から離れていて、冬は意外と寒いところも多い。

交通は、北のタンジェ、首都ラバト、商都カサブランカ、観光地として知られるマラケシュなどを結ぶ鉄道があり、それ以外の都市への移動は基本的には長距離バスになる。主要都市なら飛行機ももちろん飛んでいる。

ほかに特徴的なのは、食事ではタジン、クスクスなどのモロッコ料理。特産として知られているのは、土産物としてよく目にする革製品、なかでもモロッコならではのスリッパ「バブーシュ」だと思う。室内履き、外履きの両方ある。

そんなモロッコを、僕たちチームシマは北のタンジェから南の西サハラとの境まで、ある程度、時間をかけてぐるっと旅することにした。

タンジェの旧市街と新市街

タンジェといえば、イベリア半島、そしてアンダルシア地方から北アフリカにやってくる人たちの海の玄関口だ。他にもスペイン・アルヘシラスやマラガなどから、モロッコ側のセウタやメリリャなどにフェリーが出ているが、実はこのセウタ、メリリャはモロッコの領土ではない。ちなみに、マラガ、メリリャは上の地図よりもっと東側にあり、セウタとメリリャの距離は車で400キロ弱。日本でいうなら、東京から名古屋を越えて岐阜あたりだろうか、そこまで離れた2つの港町が歴史的な経緯からスペインの飛び地となっていて、モロッコは返還を求め続けているらしい。

タンジェの港にフェリーが着いて、乗っていた人たちが我先にと出口へと向かい、僕たちも遅れずに下船した。あとで少し触れるが、僕にとっては3年ぶりのモロッコ、そしてタンジェだった。懐かしさは感じなかった。

スペイン側のタリファから船で1時間もかからないここタンジェの港からは、ヨーロッパとの違いをさほど感じ取れなかったものの、近くにモスクの尖塔が見えて、やはり北アフリカに、そしてアラブに来たんだな、と思いを新たにした。

出口の案内は上からアラビア語、フランス語、英語、スペイン語の順。ちなみに、モロッコの公用語はアラビア語と、この案内にはないベルベル語。モロッコはかつてフランスの保護領だったことから、フランス語もよく通じる。スペイン語は、地中海沿岸のスペインと往来がある地域ならともかく、それ以外はほぼ通じないし、英語も通じにくい場面が多い。

港から大きな道路を挟んで見える城壁から先がメディナ(旧市街)で、この城壁を境に、見える光景は一変した。あとで詳しくみることにしよう。

ひとまず、僕たちはメディナにある手ごろなホテルで1泊することにして、部屋を見せてもらってチェックインした。事前に予約なしで宿泊先を決めたのはいつぶりだったか。おそらく9月のチュニジア以来ではなかったか、はっきりとは思い出せないくらい久しぶりだった。写真はそのホテルの窓から見えた光景で、アラブにありがちな、高いところにまでカラフルな商品がディスプレイされた土産物屋が目の前に広がっていた。カメラの焦点が合っているのは、チームシマのメンバーで、ペルー出身のロバ太郎。

休憩もそこそこに、早速、次に向かうシャウエン行きのバスチケットを買うため、新市街にあるバス会社CTMのオフィスまで歩いて向かうことにした。

モロッコの長距離バスは、国営のCTMと、モロッコ国営鉄道の系列のSupratours(スープラトゥール)の大手2社が競っていて、それぞれサービスも乗り心地もいいらしい。両社はチケットをインターネットでも取れるということだった。しかし、ネット予約はトラブルも多いようで、いまいち信頼を置く気にはなれなかった。

他には民営の会社が地方によっていろいろあるものの、さまざまな面で大手2社には大きく劣るらしく、当然ながら、ネット予約もできないという。

さて、僕たちは2キロ余り、寄り道をしなければ30分ほどの道のりをぶらぶらと歩いて向かった。途中でSIMカードを2人分、手に入れてモロッコを旅する態勢を整えていった。

メディナを抜けたあたりで見かけた「I love Morocco」の壁画と、いくつもの国旗が立てられた新市街のラウンドアバウト(環状交差点)。どちらも官製のにおいが漂っていた。モロッコには、国民に愛国心を駆り立てるような政策でもあるのだろうか。

チケットを無事に買って、メディナに戻ってきた。

タンジェのメディナはさほど大きくはなかったが、それでもひとたびスーク(市)の中に入ると、ヨーロッパでは見られない雰囲気が広がっていた。八百屋もそうだし、カラフルに彩られた階段とともに広がる光景も、所変われどアラブでよく見る街並みそのもの。

それにしても、僕はここタンジェには、日帰りとはいえスペインのアンダルシア地方と同じように、2015年にも一人旅のついでに訪れたことがあったはず。それなのに、初めて来た街と同じくらい、様子がほとんど思い出せなかった。あのときは、あまりにも短時間の滞在だったからだろうか。日本からはるばるやってきて、記憶にも残らない旅をするなんて、何ともったいないことをしていたんだろう。詰め込みすぎて旅を楽しむ余裕を忘れていたのかもしれない。

謎の時差問題が発生!

ところで、バス会社のCTMを訪れてから、新たな問題に悩まされることになった。モロッコの現地時刻が何時なのかよく分からないという、人生でも初めての体験だった。

CTMのオフィスでバスのチケットを買ったのは16時台のはずなのに、なぜか17時台になっていた。スマホの時計は16時台を指していた。窓口の人も時刻のことを何か言っているようだったが、よく分からなかった。この1時間の差は何なのだろうか。後できちんと調べる必要があった。

それはともかく、海も見えるというカフェレストラン「Le Salon Bleu」に寄った。ゆっきーがネットで検索して見つけてくれていて、地球の歩き方の限られた紙面にも取り上げられるくらい、有名店のよう。

青で統一された室内は写真映えした。しかし、海が見える店とはいうものの、海までは微妙に遠め。一向に注文を取りに来る気配もなく、別のところでモロッコ料理を食べることに。

訪れたのは、宿から目と鼻の先にあった「Restaurant Ahlen」。グーグルマップでの評価が異様に高く、それにつられて行ったら評判通りで、タジンも、クスクスも、ハリラスープも文句のつけようがないおいしさだった。

本当においしいお店に出会うと、長距離移動の疲れも吹っ飛んでしまうもの。幸せな時間だった。

翌日、朝7時過ぎに起きて、前日からの謎だったモロッコ時刻の問題にとりかかった。すると、数日前のニュースを見つけて、ようやく全貌をつかむことができた。

モロッコは冬時間を廃止して、夏時間を通年で採用することに決定したらしい。つまり、日本との時差はずっと8時間になったということのようだ。ただ、2018年は10月28日から冬時間になるのに、政府がその廃止を発表したのが前々日の26日だったのが問題で、そのために混乱が続いているのが現状のようだった。

行き当たりばったりのアラブ世界らしいことだ、といえばそうなのだが、こんな急な話、日本ならありえへんよなあ。国民への影響をかえりみない、ひどい話よなあ!「いま海外にいる」という感覚が西欧ですっかりなまってしまっていたところに、いきなりカウンターパンチを食らったよなあ……。

いろんな思いが噴き出しながらも、9時間あると思っていた時差が8時間だったので、1時間前倒しで出発しなければならず、いそいそと準備した。

モロッコ人の優しさと激しさと

朝の宿では、まだ若いのに頭がはげあがって親近感の湧くホテルの男性に「コーヒーを飲みたかった」と話したら、お湯を温めて注いでくれて、後から起きだしてきたゆっきーの分も作ってくれた。

「砂糖はいらないのか?モロッコ人はたっぷり入れて飲むんだよ」

茶目っ気たっぷりにそう話し、僕の2分の1ほどの分量のグラス半分ほどのコーヒーに、小さじで山盛り2杯の砂糖を入れて飲んでいた。そして、親切にも、このあたりのタクシーの相場を教えてくれた。

チェックアウトの際、ゆっきーが宿の名刺をもらうと、「これをあげるよ」と言って、たった1泊しただけの僕たちに、宿のキーホルダーをプレゼントしてくれた。

前の日に歩いた距離の2倍以上離れているCTMのバスターミナルへ。宿で相場観を聞いていたこともあって、すんなりとタクシーに乗ることができ、モロッコの旅の滑り出しは思っていたよりも順調だった。それなりにきちんとした西欧になじんでしまっていた身には多少、違和感を感じる部分はあっても、これならやっていけそう。僕はひそかに自信を深めていた。

ターミナルに着き、荷物預けの代金を払って乗車手続きをしていると、隣の民営のバス会社のチケット売り場でけんかが始まった。

殴り合いの事態になり、ターミナル内が騒然とした。けんかを始めた2人を周りの人たちが引き離しているうちに、片方の男性が別の人に食ってかかって小競り合いになるなど、4、5分ぐらい混乱が続いた。そしてようやく収まった。血の気が多いのも、またアラブらしさだろうか……。さっきの自信とは打って変わって、この国の文化風土に少しばかり、不安を覚えてきた。

そうこうしているうちに出発時刻が近づき、バス乗り場から出発。のどかな山岳地帯を走るバスは、旅情たっぷりだった。

旅の情報

今回の宿

Hôtel Maram
ツインルーム 1泊 291ディルハム(約3,500円) 素泊まり
設備:共用バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:なし
行き方:タンジェ港から南西に歩いて15分、メディナの中。
その他:写真でも分かるとおり部屋は手狭だったものの、清潔にされていた。そして、何といっても印象的だったのが、宿の男性の明るさだった。

訪れた食事処

Restaurant Ahlen
注文品:タジン、クスクス、ハリラスープ、ジンジャーティー、オレンジジュース 計160ディルハム(約1,900円)
行き方:宿泊先から南に歩いて1分。
その他:本文にもあるとおり、どの料理も非の打ちどころがなく、この店の味がモロッコでの基準となった。そのため、レストランをみるハードルが高くなってしまった。モロッコ料理は、味付けの薄い店が多かった。