モーリタニア その1 これぞ西アフリカ!? 衝撃の街ヌアディブ 

モロッコが実効支配している西サハラのダフラで小休止したチームシマは、さらに南のモーリタニアへと向かった。今回の目的地は、西サハラとの国境からも近い海沿いの街・ヌアディブ。首都のヌアクショットに次ぐこの国第2の都市らしい。どんな都会なんだろうか。

モーリタニアは国土のほぼ全土が砂漠で観光地化されておらず、そのためか、モロッコとは違ってなかなか日本に情報が伝わってこない。

アラビア語が公用語で、アラブ世界の一員でありながら、黒人の比率も高いという。ちなみに、この後に訪れる予定のヌアクショットは、日本人バックパッカーの間では「世界一しょぼい首都」とも言われていて、どんな国、そしてどんな街なのか興味をそそられていた。僕にとってはその前に、楽しみ半分、不安半分の「アイアントレイン」も待っていた。

ヌアディブ滞在中には12月に入ることとなり、ゆっきーが日本に一時帰国するタイミングもいよいよ近づいてきた。図らずも、チームシマが離ればなれになる前の予行演習をこのモーリタニアで体験することにもなった。

「世も末」の国境越え

西アフリカの真ん中やや南の大西洋岸にある街、ダフラを早朝に発とうとしていた僕たちチームシマ。朝、6時過ぎに起きて荷造りをして、7時に出発と思い、フロントへと向かったら、宿のオーナーが「ドライバーはまだ寝ている。あと1時間待て」と言われたので、いったん自分たちの部屋に戻った。

しかし、15分ほど経ったところで部屋をノックする音が。ドアを開けて出ると、この日、国境を越えてヌアディブまで連れていってくれるドライバーだった。

しかし、このドライバー、何かに似ている……と思っていると、ゆっきーが「スターウォーズに出てくる『ヨーダ』みたい」と的確に言ってくれた。

結局、7時出発だったのか、8時だったのかは分からないまま出発した。あたりはまだ真っ暗。

ヨーダの黒いベンツに乗り込んで、途中で若い女性と年老いた女性を乗せて、4人の乗客で国境へと向かうと、徐々に日が昇ってきた。

途中、約200キロほど進んだところのドライブインのような施設で小休止。ダフラから国境まで4割ぐらい来たところだろうか。トタン屋根のような造りの簡素な建物で、客もほとんどいなかったが、それもそのはず。

ここには砂漠というよりは土漠に囲まれたドライブインがあるだけで、それ以外には幹線道路と大西洋の海岸線しかなかった。黒のベンツが景色に映えていた。

ヨーダは「コーヒーを飲まないか?」と誘ってくれたが、親切心なのかどうかよく分からなかったのでそれには乗らず、持っていたパンとヨーグルトを食べた。

車に乗って再び南へ。僕もゆっきーもウトウトして、起きたときにはもう国境が迫っていた。国境までに同乗の2人は降りていて、あとは僕たちをヌアディブに運ぶだけになっていた。

まずはモロッコ側のチェックポイントで降りて、出国カード記入の代行屋らしき人にパスポートを渡した。出国に必要な紙が手元にないので頼まざるをえず、少し損した気分になりながら、ヨーダを通じて10ディルハムを支払った。別の場所で出国スタンプも押してもらい、いよいよモロッコの支配圏を抜けた。

この国境では、今まで見たことのないような服を着た男性の姿も見かけた。外側の青い服はモーリタニアの民族衣装「ブーブ―」で、たいていは青か白の布でできている。モーリタニアに入国すると、この姿の男性をよく見かけるようになった。日本で例えるなら、道行く男性がみな、着流しのスタイルで歩いているようなもの。すごいところに来てしまったような感があった。

このブーブーは、頭や腕を通す場所のほか、胸の前にはポケットがあり、思いのほか実用的なよう。モロッコとは違うと文化圏に行くことを改めて実感した。それにしてもこの男性、スマホとケータイの2台持ちとは、かなりのやり手だったのかもしれない。この先、ヌアディブではなかなか見かけないシチュエーションだった。

車に乗り込んで、今度はモーリタニア側の国境へと向かった。地図上では約4キロの距離が緩衝地帯になっていて、西サハラの独立を目指す武装組織「ポリサリオ戦線」が実効支配しているとされるエリアだ。

「!!」

ここでもさらなる驚きが。

僕たちが走る車の両サイドには、舗装されていないガタガタの道なき道に、廃車というのも合わないような、鉄くずとなった車体がひっくり返ったり横たわったりしている廃墟のような光景が広がっていた。

車の通り道を踏み外すと、地雷が埋まっているらしい。あまりにも凄惨なので、ロバ太郎と写真を撮ってみたが、やはり景色の厳しさはゆるがなかった。

「何だかすごいところに来てしまったな……」

まるで漫画「北斗の拳」にでも出てきそうな、世紀末というか20世紀末は何もなかったので、世も末のような光景。緩衝地帯ではこの光景が延々と続き、僕たちの車列は前の車をなぞるように進んでいった。

モーリタニア側の国境のチェックポイントに到着。11月末のこの時期、西サハラとモーリタニアの時差は本来、ないはずだったが、西サハラを実効支配するモロッコはこの年の10月下旬、いきなり通年サマータイムとしてしまったため、1時間の時差が生じることになってしまい、時計の針を1時間戻した。

このチェックポイントでモーリタニアのビザが取れるのだが、作業が遅々として進まないようで、屋外で待っていてなかなか順番が回ってこなかった。そして、ゆっきーは照りつける日差しで一気に体調を悪化させてしまった。

12時台から待つこと、2時間くらいが経っただろうか。しびれを切らしたヨーダがつかつかと割り込んでいき、「お前ら行け!」とでも言わんばかりに案内された。

顔写真を撮影、ビザ代として1人55ユーロ(約14,200円)を支払い、パスポートに貼られたアライバルビザを見ると、なんと顔写真の部分が真っ白のまま。どうやら、ビザを発行するパソコンか何かの機器が壊れていたようで、それで時間がかかったのかもしれない。別の建物で入国スタンプを押してくれて、指紋採取があった。ビザの顔写真がないのはもちろんおとがめはなかった。

モロッコ側から合わせると3時間ほどでようやく国境を抜けて、モーリタニア第2の都市のヌアディブへ。国境からは約60キロ、西サハラのダフラと同じく大西洋に面した半島の途中にあった。

ヨーダが、僕たちのこの日の目的地としていた宿「Baie Du Levrier」まで運んでくれるのを前に、食料品店に立ち寄った際、ゆっきーのカメラがついにその姿を捉えた!……こうして見てみると、あまり似てなかったかもしれない。

ヨーダはついでに、街の入り口の位置にあったガソリンスタンドにも寄っていった。そこに止まっていた車の車体がボロボロで、ドアだけ別の車からつけたように黒々としていて、それもあちこちにこすったりぶつけたりしたような跡があった。

日本なら間違いなく廃車扱いで、せいぜい鉄くずがキロ当たり何円になるかというレベルだろう。しかし、ヨーロッパやモロッコとは違って、モーリタニアではこういった車が黒煙を上げて、当たり前のように走っていた。

長距離移動をお願いしたヨーダは僕たちを無事に宿まで送り届けてくれて、目的の宿にもチェックインできた。室内はこれまでになく監獄のような雰囲気で、これも今までに旅してきたヨーロッパやモロッコと違って、観光ルートから外れつつあることを思わせた。

現地通貨を引き出せない⁉

宿で少し落ち着いてからは、暑さにやられて体へのダメージが大きかったゆっきーを置いて僕1人で街を散歩しつつ、この国を回る態勢を整えようとした。

しかし、これまでの国々とは勝手が違った。まず困ったのは、現地通貨を手に入れる方法だ。モロッコと西サハラで余ったモロッコ・ディルハムの現金をモーリタニアの通貨ウギアに両替はできたものの、宿泊費に充てると、残るのは1日しのげるかどうかくらい。

ところで、ヨーロッパでの長旅でユーロに親しんできた僕たちにとって、初めて聞く通貨「ウギア」はその響きからして、叫び声みたいで面白く、チームシマのちょっとした話のタネになっていった。通貨の呼び方が話題になるのは、ポーランドの「ズロチ」以来だった。

それはともかく、アフリカに入ってからは、マスターカードのクレジットカードでキャッシングをして現地通貨を手に入れてきていた。ここヌアディブでも銀行をいくつか回ってみたものの、現地のキャッシュカードしか受け入れていないか、ビザのクレジットカードがかろうじて使える状況だった。

困ったことになった。レートは相当悪くなるけど、ビザのカードを使うしかないか……あるいは、手持ちのユーロかドルの現金を切り崩していくか……。歩き回るとともに焦りを募らせていったところで、救世主が現れた。それは、フランス資本の銀行「ソシエテ・ジェネラル」(Société Générale)。この銀行はマスターカードでもキャッシングできて、事なきを得た。僕にとっては、しばらく心の揺さぶられた時間だった。

ところで、ヌアディブの街では人に向けて写真を撮るのもはばかられるし、カルフールのような大手資本のスーパーと呼べるものは皆無。大通り以外は大した道もなく、地図を見ると、西に行けばすぐに西サハラとの国境にぶち当たるよう。

それでも、かろうじて食料品店はあり、生命線となるペットボトルの水とヨーグルトを買うことができた。この地にも中国人はビジネスで訪れる人たちが一定数いるようで、中国人相手とみられる店はいくつか発見できた。言葉は現地のアラビア語か、モロッコと同じく植民地の名残でフランス語が通じるものの、英語はほとんど使い物にならなかった。

宿に戻る前に、この街を1年半ほど前に訪れた日本人旅行者が「おいしかった」とネットでレビューしていた、街の南外れにある中華料理店まで歩いていった。しかし、そこはすでに閉店していたようで、かろうじて建物は残っていたものの、店は形をとどめていなかった。

宿にいたゆっきーは調子が上がらず、それでも夜の8時ごろになって一緒に外出。宿の近くにある「Pâtisserie Pleine Lune」という店にも目星をつけていて、きちんとした洋食を食べられるとのこと。ゆっきーも僕も、海の幸が豊かなモーリタニアらしく、シーフードパスタを注文した。

モロッコでひいた風邪がようやく回復しつつあった僕に対して。

ゆっきーは本当にしんどそう。パスタ自体はおいしかった。

この国第2の都市とは思えない街並み

さて、この先の行程として、ゆっきーは首都ヌアクショットへ、そして僕は世界一長い列車といわれるアイアントレインに乗る予定にしていた。

アイアントレインは、モーリタニア内陸部で取れた鉄鉱石を港湾まで運ぶ列車で、200両以上の貨車が連なっているという。屋根もない空の荷台に乗って砂まみれのまま半日ほど揺られるらしい。内陸部に移動したあとは、砂に埋もれつつある世界遺産の町が割と近く、そこにも訪れることにしていた。

一方のゆっきーは、そんな僕を「奇特な人」扱いしつつ、すでに魅せられてしまった美しいモーリタニアの絞りの布(女性の民族衣装の布)を探しに、一足先にヌアクショットへと行き、布を物色するつもりらしい。

ゆっきーいわく「相容れない興味の違い」により、しばらく別行動の日々を送ることになっていた。

翌日の午前中はゆっきーも僕も体調が思わしくなく、ゆっくりと過ごすことに。ちなみに、監獄のような部屋の中とはこんな様子。

ここヌアディブでは1泊5,000円前後で泊まれるホテルはほぼなく、もっとお金を出したところでホットシャワーが出るか、水回りがきちんとしているか、Wi-Fiがつながるかも保証されていない。ある程度は分かっていたものの、西アフリカはこんな感じなんだな、と改めて身構えた。今回の宿は2人で1泊1,900円ほどと、ヌアディブの中では群を抜いて安いようだった。

宿にあったヌアディブの近隣の地理を描いた絵。こうして見ると、ヌアディブはこの前に滞在したダフラと同じような立地だったが、最大の違いは、ヌアディブのすぐ西側は西サハラの領土だということ。

ヌアディブのさらに南に行くと、モーリタニア側からしか道がつながっていない西サハラの「ラ・アグエラ」という集落があるようだ。ただ、英語版などのウィキペディアによると、ゴーストタウンになって久しいという。

昼下がりから散歩がてらヌアディブの街をうろうろした。この日が唯一、ヌアディブを楽しめる日だった。

いや、違っていた。ヌアディブは観光を楽しむような街ではなかった。舗装されているのはほぼメインの道路だけで、少しでも中に入るとこんな感じ。国土が日本の約3倍もある国の第2の都市が、こんな感じだなんて。

幹線道路の道端には、文字通りの廃車が砂ぼこりにまみれて放置。幹線道路でさえこんな状態で、僕たちチームシマもロバ太郎も、あっけに取られるしかなかった。

舗装されている脇道も、道路の掃除が追いついていないのか、ほとんどなされていないのか、道の左右から砂に侵食されていっている様子。

そして、朽ち果てた車がここにも。日本でも、地方都市などでごくたまに、捨てられた車を見ることがあるけど、ここヌアディブでは、これが日常風景らしい。

そんな道を、ブーブーを着て歩く現地の人は、まるでムササビのよう。

「今までのアラブな感じより少しだけアフリカ感がある。男性の民族衣装の布の量が半端ない。女性は今まででいちばん薄手でカラフルでステキな布に包まれていて、めっちゃ目を奪われてしまう」というのは、ゆっきーの感想。

この日は、早めの時間に昨日も行ったレストランへ。徒歩圏内でまともな食事にありつけそうなところは少なそうで、このレストランの単価は日本並みに高かった。

外がまだ明るく店内に光も入ってくるからか、薄暗さを感じた昨夜と比べて店はとてもいい雰囲気。

ゆっきーも、前日とは見違えるほど精気が宿っていた。頼んだのは2人とも、前日と同じくシーフードパスタだった。

飲み物として、この日は紅茶も頼んでみたら、ティーパックが出てきた。まだティーパックに浸した紅茶が出てくるならまだしも、これが現地のクオリティなのだろうか……。ともかく、パスタはこの日もおいしかった。

夜になって、今後のことも考えて買い出しに行った。昼間はこの時期でも暑いからか、現地の人たちも夜のほうが多かった。このときは結局、そぞろ歩きをしただけで何も買わず宿へと戻ることに。

「★△□……」

宿への帰り道、父親らしき大人の男性と連れ立った女の子が、理解不能な言葉を話しながら、僕に絡んできた。

僕の左腕を引っ張って離そうとしなかった。物乞いかスリか、嫌な予感がした。何とかやり過ごし、盗られたものもなかった。男性は女の子に怒っていた様子で、ただの人懐っこい女の子だったのかもしれない。疑って申し訳なかったような気がする。

宿に帰ってきて少し休んだあと、部屋から離れた場所にあるシャワールームまで行った。宿はこんな感じで長屋風になっていて、僕たちが泊まったのは写真の真ん中あたり、窓に明かりがついた部屋。

遠目から眺めると、砂地の庭に木が植えられていて、モーリタニアの乾いた風土に若干、嫌気がさしかけていた僕の心に、潤いをもたらしてくれていた。

しばしの別れ

僕たちがしばらく別行動をする日がやってきた。夫婦旅ながら、しばらく別行動となるのもとても奇妙な感じはしたが、どこに行くにも連れ立ってというわけではない、このスタイルが僕たちチームシマ。

この日の出発はゆっきーのほうが先で、首都ヌアクショットに向かう乗り合いワゴンまで連れ添っていった。僕は最小限の荷物でアイアントレインに乗ることにしていたので、多くの荷物をゆっきーにゆだねることになった。

「くれぐれも無理しないでね! Wi-Fiが届くところにきたら連絡ちょうだいね!」さっぱりとした顔で旅立ちを迎えるゆっきー。

ところで、宿の外壁には朽ち果てつつある絵が飾ってあり、なぜこれを日差しや風にさらされない室内に入れておかないのだろうかと思った。オーナーの趣味がよく分からなかった。

乗り合いワゴンの乗り場は歩いていける距離にあり、到着すると出発準備が進んでいた。

そうこうしているうちに出発のタイミングとなり、ゆっきーが車内に乗り込んでいよいよお別れ。旅の財布はずっと僕が管理していたが、当面の旅には十分なお金をゆっきーに渡していて、その面での不安はなかった。

「元気でな!しばらくの1人旅、楽しんでね!またアイアントレインの感想を報告するよ」

僕はにこやかにゆっきーを見送った。

そして扉は閉められ、ゆっきーを乗せた車が遠くへと去っていった。

あー、去っていってしまった。

急激に寂しさがやってきた。何か体の大事な一部を失ってしまったような喪失感が、後に残った。

旅の情報

今回の宿

Baie Du Lévrier (Chez Ali)
ツインルーム 2泊 1,200ウギア(約3,800円) 素泊まり
設備:共用バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:なし
行き方:ヌアディブを南北に貫く大通り沿い、ヌアディブ市庁舎から道路を挟んだ向かいに移り、南に100メートルほど行ったところにある。
その他:1つずつのベッドの幅が狭く、室内の設備も最低限だが、清潔感は保たれていて、ヌアディブの他の宿と比べると料金はかなり安い。テント泊も可能らしい。別名として「Chez Ali」とも呼ばれていて、ロンリープラネットでは宿の名称として「Camping Baie du Lévrier」と紹介されている。ホットシャワーは、ネットでは「出る」「出ない」という両方の情報があったが、出なかった。Wi-Fiはかろうじてあるというレベルだった。

訪れた食事処

Pleine Lune
注文品:(初回)シーフードパスタ2つ、コーヒー2つ 570ウギア(約1,800円)
行き方:Baie Du Lévrierから南に歩いて2分、大通りから西に入ってすぐの建物の1階にある。
その他:Googleマップ上では「Pâtisserie Pleine Lune」と「パティスリー」の扱いとなっているが、レストランやカフェとしても使える店。価格を考えると地元ではかなりの高級店といえそうで、Wi-Fiも使えた。価格なりにおいしかった。