モーリタニアの第2の都市ヌアディブに滞在した僕たちチームシマは、しばらく別行動をとることになった。ゆっきーが首都ヌアクショットまで南に向かった一方で、僕はゆっきーの出発を見送ったあと、世界最長の列車ともいわれる「アイアントレイン」に乗るためほぼ真東の内陸部に向けて移動することに。
アイアントレインは心して乗ったほうがよい「ドМ」のための乗り物、というのは聞いていたが、実際に乗ってみると想像以上の厳しさで、途中からは苦痛に満ちた時間を送ることになった。
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乗る前のしたく
言葉として何度も出てきたアイアントレインはどういうものかというと、モーリタニア北部で採れた鉄鉱石をヌアディブまで運ぶための列車で、まさしく「鉄の列車=アイアントレイン」となっている。
アイアントレインはそのほぼすべてが貨物車両で成り立っていて、かろうじて最後尾に客車が1両あるのみ。貨物車両の数は200両以上、全長2~3キロに及ぶという。今回の投稿では、途中の動画で出発前のアイアントレインが出てきて、全車両数が数えられるかもしれないので、ヒマがあるならトライしてみてほしい。
このアイアントレイン、バックパッカーにはよく知られている。その理由は、貨物車両だと無料で乗ることができ、ほかでは味わえないような経験ができるからだ。
ヌアディブからモーリタニア北部のズエラットまで向かう列車の貨物車両は、鉄鉱石を積んでいて風にさらされ、しかも砂塵まみれとなるヌアディブ行きと違って何も搭載されておらず、まだ移動が楽だという。
しかも、ヌアディブから真東の内陸部に点在する町々へは、車だと東の方向に道路がないため「レ」の文字を刻むように一旦、ヌアクショットに立ち寄ってから向かう必要があったが、アイアントレインならばシュムという町で降りて、直接行くことができた。僕は、アイアントレインを降りたあと、アタールを経由して世界遺産に登録されている町の1つ、シンゲッティを目指していた。
さて、ヌアクショットに向かう乗り合いバンまでゆっきーを送り、別れたあとにはいったん宿に戻り、出発準備を整えた。
しばらくまともなご食事はできないかもしれないので、おいしいご飯の食べ収めをしておこうと、3日連続でレストラン「Pleine Lune」に寄ってから、アイアントレインの駅へと向かうことに。
パスタだった前日までとは趣向を変えて鶏料理を試してみた。こちらもいい味だった。
お昼時の店内はこんな感じ。閑散としていて、やはりレストランに来られる客層は限られるよう。
タクシーに乗って貨物列車の駅へ。
駅はヌアディブの街の北外れにあり、距離にして10キロ余り。細長い半島なのに、車窓から見られた街並みの砂漠感は内陸部と変わりないのが不思議だった。
駅が見えてきた。周りにはめぼしい建物がほとんどなさそう。
運んでくれた銀色のタクシーは、僕を下ろすとUターンして市内のほうに去っていった。逆光だから見にくいが、今回乗ったタクシーというのがまたびっくりするほどオンボロで、トランク部分がひどくへこんでいて、外装はごっそりはがれていて、車体はボコボコだった。
後部座席の右側の窓が閉まらなくて、しかも外側からしかドアが開かないので窓が開いていてくれた方が都合がいいという、使いやすいんだかどうだかよく分からない仕様。雨の日はどうするんだろうか。だが、これでもモーリタニアのタクシーではましな方だと思う。
いざ乗車
駅舎までやってきた。列車は日によって出発時刻が違うようで、早ければ14時に来るらしく、運が悪ければ夜まで来ないとか。13時30分過ぎには到着したので、ひとまず乗り逃すことはなさそうだった。
係員が「ワゴン?(貨物車?)」と聞いてきたので「そうだ」と答え、駅舎に入った。
駅舎の中はこんな感じ。これまでに訪れてきた国々と比べて、この国のレベルの低いサービス水準にしては珍しくたくさんのベンチがあり、ひとまず荷物を枕にして横になって待った。最初は人もまばらだったが、しばらくベンチで横になっていたら、次第に乗客が集まってきてベンチの椅子が埋まるくらいになった。
すると、14時過ぎに早くも列車の足音が。駅からは線路側の様子が全く見えないので、飛び起きて線路へと向かった。
それがこちら。残念ながら、反対方向の列車だった。どうやら鉄鉱石が積まれた貨物列車のようで、やはりとても長かった。
駅舎に戻ってベンチで待っていると、警察官らしき人に駅のすぐそばの小屋に連れていかれた。貨物車に乗る外国人は警察の登録が必要ということで、事前に情報を得て知っていた。警察官にパスポートとそのコピーを渡し、台帳のようなものに記帳してもらうと、このあとの旅程を聞かれた。
「お前の宗教は何だ?カトリック?プロテスタント?仏教?」
「仏教だよ」
「イスラム教はすごいぞ。モーリタニアはイスラム教徒ばかりだ。なんせ、国名に『イスラム』と入っているくらいだからな」
確かに、正式な国名はモーリタニア・イスラム共和国で、パスポートのビザにはフランス語で「REPUBLIEQUE ISLAMIQUE DE MAURITANIE」と書いてある。旅程とは全然関係のないことも聞かれつつ、乗車前の手続きは終了した。
15時30分ごろ、再び列車の音がして乗客が動き出したので、僕も荷物を持って外へ出てみたらタンク車の車列で、肩透かしを食らった。でも、他の乗客は駅に戻る気配もなく、西日と風の具合がちょうどよかったので、線路に腰を下ろし、景色をぼーっと見て考えごとをしながら、僕も外で待つことに。
ちなみに、乗るときの構えはこんな格好。ゆっきーから借りたストールで顔全体を覆い、明るさによってサングラスにも変わるメガネに付け替えていた。このメガネはこれまでの旅の間、ほとんど使ったことはなく、久しぶりの登場。
ちょっと暗いのでよく分からないかもしれないが、明るくするとこんな感じ。上半身はゴアテックスのレインコート、下は黒のジーンズという出で立ちだった。
駅から少し進んだ場所から、進行方向の逆を見渡したらこんな感じ。線路に立ち入ってもだれも何も言わず、実に大らかな雰囲気だった。左のほうに見える白い建物群は、駅舎とそれに付随する施設。
結局、外に出てからも1時間以上待ち、16時50分ごろになってようやく、列車の姿が見えてきた。他の人のブログを読んでいると、16時に来たという時もあれば、21時30分や22時という人もいたので、この日は割と早い方だったと思う。
先頭車両が間近にやってきた。
砂煙を上げて列車は止まった。客車のほうは他の乗客がわらわらと群がっていて、どうやらこの車両に乗るので間違いないよう。
ちなみに、アイアントレインの入線は5分くらいの時間がかかっていたようだ。それを早送り再生するとこんな様子。先頭車両が僕の真横を通ってから停車するまで3分45秒、合計175両(若干の誤差はあるかもしれません)が連結されていた。
面白さ半分、不安半分、待ちに待ったアイアントレインに乗るタイミングがいよいよやってきた。
束の間の交流
貨物車両はどの車両に乗り込んでも構わないのだが、1人で孤立するよりも、現地の乗客もいる車両に乗り込んだほうがよさそうだったので、先に2人が乗り込んだ車両に僕も入った。
この日は僕以外に欧米やアジア系のバックパッカーは1人もいなかった。同じ車両の2人のうち、白いターバンを巻いた男性が僕に声をかけて、荷物の上げ下ろしを手伝ってくれた。
荷台はかなり深く、1メートル以上はあった。
同乗の2人は手慣れた様子でそれぞれ毛布を敷き、反対側の角には砂をまいて簡易トイレを作って、自分の場所に落ち着いていた。簡易トイレの砂は、なければ小便が車両中に流れてしまい、とても悲惨なことになるため、ないがしろにできない重要な一品らしい。僕は、ルクセンブルクで買っていたシャワーカーテンをゴザ代わりで床に敷き、さびた荷台の汚れから自分の身と荷物を守っていたが、生地があまりにも薄手だったため、あとで後悔することに。
これは荷台の上から外をのぞいた様子。
ガン!ガン!ガン!ガン!……
出発を待っていると、遠くの方から次第に音が近づいてきた。そして、前の車両から順にガン!という音が鳴っては、連結部が伸びきって引きずられるように動きだしていった。立っていたらこけてしまいそうなほどの振動だった。
アイアントレインは、停車してから10分ほどで出発。僕は嫌な予感がした。連結部には緩衝材などがないようで、加速、原則の旅に振動をもろに受けて激しく揺れ動き、その衝撃は思っていた以上に大きかった。この衝撃がずっと続くものならば、長いこと乗っていると、荷台と僕の骨が接する部分が痛みだしそう。しかも、予想していたとおり砂が風にあおられて次から次へとワゴンの中に入ってくる。はたして耐えられるだろうか。
しかし、このころの僕にはまだ余裕があった。ちなみに、僕の右肩の後ろに見えるのが簡易トイレで、この写真にはすでに小用を足した跡がある。
僕のバックパックは、ヌアクショットに向かったゆっきーに預けてあり、今回はボストンバッグ1個での移動だった。ごみ袋に包んで砂煙対策としていたものの、思っていた以上の風とほこりにさらされて、すでに破れているところも。こちらも耐えきれるのかどうか。
走り出して数十分もしないうちに、鉄鉱石を満載したアイアントレインとすれ違った。
いま、あっちの車両に飛び移ればヌアディブに戻れるのか。飛び移れない速度でもないな。
そんなことを思って弱気になりながらも、進行方向に身を委ねた。すると、同乗の2人が晩ご飯の準備に入ったようで、砂をまいて炭火を焚き、湯を沸かして、お茶をつくっていた。
白いターバンの男性がお茶を僕にくれた。英語はあまり話せないようだが、この風の中では言葉はむしろ必要ないくらい。
「この紅茶、おいしいだろう?」
「うん、おいしい。何という紅茶なの?」
「どこの銘柄か知りたいのか。これだよ!」
そう言って、ティーパックが入ったパッケージを僕に示してくれた。砂糖入りのティーはとても甘かった。
「オーケー、分かった。ありがとう!また探してみるよ!」
そう言うと、気を良くしたのか、男性はお代わりをいれてくれた。
それにしても振動の衝撃がすごいので、眠れるうちに寝ておこうと思って横になった。しばらくすると、僕の腕をトントンとたたく気配が。
何事かと思うと、同乗者の2人が夕食に作ってくれたサンドイッチを食べないか、と誘ってくれている。その優しさに、涙が出そうになった。
フランスパンにタマネギやジャガイモを挟んだ簡素なものだが、その心遣いがとてもうれしく、おいしくいただいた。そして、激甘のティーをまたもらった。
日が沈みかけて、夕暮れ時が近づいてきた。進行方向の1つ前の車両には、僕たちの車両よりも多くの現地人が乗っていて、彼らは前方をずっと見ていて、なんだか余裕がありそうな雰囲気なのがうらやましかった。僕の方は、寝ていても鼻骨や腰回りの骨がこすれて痛みを帯びだしていて、乗っているのが辛くなり始めていた。
進行方向とは逆を眺めると、夕焼けが見えていた。振動やほこり、風切り音は相変わらずだったけど、目の前の景色は絵画のようで、ただ美しかった。
大変な思い
日も暮れて、夜になろうかといころ、進行方向の右側に明るい一角が見えた。どうもボン・ラヌアーという町で、ここまでは線路とともに幹線道路も走っているが、道路はこの町から右に折れてヌアクショットまで向かうよう。一方で、線路はさらにまっすぐ、西サハラとの国境線に沿って東に向かっていくようだ。
さて、あとは寝て到着を待つだけ。しかし、列車は暗くなってからが悲惨だった。荷台と僕の体の間には、薄いシャワーカーテンしかなく、速度が変わったり左右に揺れたりして、ガン!という強烈な一撃を受けるたびにどこかしら体の骨が痛んだ。寝袋は持ってきていたものの、出すとほこりで汚れてしまい、取り返しのつかないことになりそうなので出さないことに決めていた。
しかも、シャワーカーテンは軽すぎて、隅を止めていてもすぐにひらひらと舞って飛んでいきそうになったので、体に巻き付けていた。ただ、それもベストポジションを探して寝返り打つたびに、体から離れて風にあおられていった。自分の準備不足をいまさら恨んでも仕方がなかったが、とにかく耐えるしかない。風で口の中にまで砂利が入ってくる感触も、何ともいえなかった。
これまでの旅では、寝るときにはほとんど不快な思いをしたことがなく、せいぜい夜行バスに乗ったのが多少、体力的に厳しかったくらいなので、今回は群を抜いて過酷な夜となってしまった。
「これは、旅の中でもワースト3に入るくらい悲惨な睡眠体験ちゃう?タダやったとしてもこんな環境で寝たくないわなあ。ドMでもこれはムリやろ!ゆっきーは来なくて本当によかったなあ」(関西弁での心の叫び)
「旅のアフリカ横断ウルトラクイズというのがあったら、罰ゲームにちょうどいい。風はきついし全身砂まみれだし、この季節は夜がすごく冷える。鉄板の上にシート1枚だと寒さが身に染みる」(標準語での心の叫び)
眠れないにしても、音楽を聴きたかった。でもこの中で使ったらイヤホンが砂でだめになってしまう。もはや固く閉ざした貝のようになるしかなかった。そして、脳内で音楽が勝手に再生されていった。
♪さあ行くんだ その顔をあげて
新しい風に 心を洗おう (「銀河鉄道999」 ゴダイゴ)
しかし、現状は
顔を上げられない!(砂嵐をもろにかぶってしまう)
風に心を洗えない!(砂まみれでそれどころじゃない)
そんなことも考えたりして気を紛らわせていた。時々、列車のすれ違いなどで止まることがあり、その時が至福の時間だった。移動の旅なのに、移動していないときのほうがうれしいとは、おかしな話だが。ふと目を開けて見た空、列車が止まったときに立ち上がって見た空は、月が出ていなかったからか、満天の星空で、その時ばかりはキツい思いも吹き飛んだ。
結局、ほとんど眠ることができず、翌日3時ごろ、シュムに着いた。
念のため、スマホのGPSで確認したが、間違いなさそう。以前に他の旅行者のブログで、シュムで降りるはずが寝過ごして、終点のズエラットまで行ってしまい、その後も移動で悲惨な目に遭ったケースを読んでいて、気をつけてはいたが、間違いない。大丈夫だった。まだ乗り続けるため寝ていた同乗の2人に「ありがとう」と静かに別れを告げた。
しかし、どうも油断をしていたようだ。車両を降りると、真夜中にもかかわらず客引きがいた。
「こっちだ!」「いや、こっちだ!」と現地語で話しているのか、言い争いをしながら、僕の両腕を左右に引っ張ってきた。
「痛い!痛い!」
僕の左手親指を握っていた男性が無理に引っ張ってきて、激痛が走った。僕は何とか手を引きはがしたものの、親指と人差し指が引き裂かれるようになって、筋をひどく痛めてしまった。
結局、僕の左手を傷めつけた客引きの車両には乗らず、右手を引っ張った乗り合いワゴンに乗って、この地域の拠点、アタールへと向かうことに。
乗り合いワゴンの車内でやっと眠ることができて、左手はひりひりするものの、ぐっすりと寝ていたところで5時ごろ、アタールに到着。ここからシンゲッティに向かおうとしたが、辺りはまだ夜明け前で人の動きが全くなかった。
朝になって乗り合いバンが走るようになるまで待て、ということらしい。真っ暗闇の中、静寂な町に放り出された。
がらんとして暗い町を歩き回る気力もなく、ただ時間が経つのを待っていたら、ようやく夜が明けだした。
町の輪郭も見えてきた。それにしても、平面的な町並み。そして美しい色合いをした空。
我に返って、自分がどれだけ汚れているのか確認してみたら。
かなり砂塵を浴びていたようで、黒のレインウエアがかなり白っぽくなっていた。砂の威力はやはり侮れない。
こちらは下半身。同じ車両に乗った現地の人たちの優しさに癒されたとはいえ、準備不足もあって全身砂まみれで右足、左足の側面の骨が痛んでいて、しかも左手に深刻なダメージを負ってしまった。
アイアントレインに乗ってアイアンマン(鉄人)になるどころか、満身創痍になってしまった。アイアントレインは一生の思い出になったものの、もう一度、乗ってみたいかと言われたら、もう十分だと答えるだろう。最後に左手を痛めたことも含めて、大げさにいうならば、地獄を見た気がした。まあ、多少は根性がついたから、アイアンマンに一歩近づいたとはいえるかも。
少し歩き回っていると、ロバの姿が見えた。悲しげな様子をしていた。ゆっきーは無事ヌアクショットに着いただろうか、どうしているだろうか。いつも穏やかに笑っているロバ太郎は元気だろうか。気になった。
旅の情報
アイアントレインの備忘録
アイアントレインに乗る際の注意点は、主に持ち物で、以下のものがあれば不快さが減ると思う。
・砂煙への対策1 頭や顔にかぶるものか、巻くもの
・砂煙への対策2 メガネ、サングラス、ゴーグルなど砂煙から目を守るもの
・砂煙への対策3 バックパックにはかけるカバーとごみ袋
・食料、飲み物
・簡易トイレに使うための砂 1袋ほど
・荷台の床に敷く厚手のクッション等
・パスポートのコピー
頭にかぶるものとサングラス、バックパックカバー以外は、いずれも使ったあとに捨てる前提でいたほうがよい。パスポートのコピーは、モーリタニアを移動中にも必要になることがあるので、ある程度用意しておいたほうがよいと思う。
列車の来る時間は、本文にも書いたが日によって違うため、14時くらいには駅に到着しておいた方が無難。ただ、待ちぼうけを食らうと10時間近く待たされる可能性もある。
なお、客車は座席と寝台があるらしく、それぞれ運賃が必要だが、他の人のブログで確認すると数百円から1,000円程度。ただ、車両の設備はとてもひどく、しかも乗客で満杯らしいので、どちらにしてもある程度の覚悟はしておいたほうがいい。