モーリタニア その4 “世界一しょぼい首都”で見つけたこの国の魅力

モーリタニアで一旦、二手に分かれた僕たちチームシマ。妻のゆっきーは先に首都ヌアクショット着いて、特産の絞り染めの布地を日本に持って帰るべく、市場で見定めつつあった。一方の僕は、世界遺産の町シンゲッティから、ゆっきーの待つ首都に向かっていた。そして、チームシマの2人が離れ離れになるときが次の国、セネガルに迫ってきていた。

ごみ溜めのような街

前回、僕は乗り合いのマイクロバスで首都に向かい、郊外のこの会社のターミナルに13時過ぎ、到着した。

ところでこのヌアクショット、前にも少し触れたが、バックパッカーからは“世界一しょぼい首都”と揶揄されることがたびたびあった。街並みがしょぼいだとか、公共交通がほとんどないだとか、話のタネはいくつがあったが、実際にはどんな街なのか、僕は興味をそそられていた。

バックパックなどの重い荷物はゆっきーに預けてあって割と身軽だったこともあり、目星をつけていた宿まで歩いて向かうことにした。

降りた場所に面した幹線道路を都心方向に歩いていくと、ごみ溜めのようになった更地をいきなり発見。

この写真を撮る前に、幹線道路で交通整理をしていた警察官に写真を撮っているところを見られてしまい、「撮ってはダメだ!」と言われてしまっていた。数メートルやそこらの距離ではなく、撮っているところを見られた感覚はなかったものの、さすがはアフリカの人、裸眼でもかなり遠くまで見えるようで、バッチリ見られていたようだった。呼びつけて因縁をつけられなかったのは幸いだったが、この先、西アフリカでは治安に不安を抱えた、セキュリティにうるさい国々が続いていく。気をつけなければならない、と思い知らされた。

幹線道路では、荷役に使われているロバの群れもいた。そうなると、チームシマのメンバー、ロバ太郎のことが頭に浮かんだ。そしてもちろん、ゆっきーのことも、無事に着いているとは思うものの、頭から離れなかった。

ここしばらく、ゆっきーとの通信手段は絶たれていて、ヌアクショットで歩いていたらフリーで使える野良Wi-Fiが見つからないだろうか、と淡い期待を抱いていた。しかし、甘かった。首都とはいえ、この国にはさすがにそんなものなどなかった。ネットカフェがないかと目を凝らしても、そんなしゃれた店は一向に見つからず、とにかく歩を進めるしかなかった。

脇道に入っても、路上に様々なものが捨てられていて、地面にめり込んだ車のタイヤも。

アスファルト舗装されている道路でも、路肩にはごみがうずたかく積まれていた。これは、この日がごみ回収の日だから積まれているというわけではなく、他に置き場所がないため積み重ねられていっているようで、衛生概念の違いを思い知らされた。

ここまできて改めて認識したのは、街中そのものがごみ溜めかと思わんばかりに汚れていて、異臭を発しているところも所々にあるということだった。特にペットボトルと廃タイヤの捨てられようが激しかった。ただ、そういったことをすべてひっくるめてのモーリタニアらしさだ、ということも理解して、もうあまり驚かなくなっていた。

一方でこちらは、ホタテガイの貝殻が敷き詰められた道路。日本では北海道・稚内の「白い道」が知られていて観光名所にもなっているが、遠く離れたこのモーリタニアで似たような造りの道が見られるとは思ってもおらず、新鮮な驚きがあった。

ここまでで歩くこと1時間半弱。日差しが厳しく、アフリカ大陸をだいぶ南下してきたからか暑さもあって、かなり体力を奪われていた。さらに1時間ほど休憩を挟みながら歩いて、ゆっきーが待っていると思われる宿「L’Auberge Restaurant Café Menata」、通称・メナタに到着した。

はたして、ゆっきーはいるかどうか……と思っていたら、早々に発見!数日ぶりの再会だったのに、かなり長いこと離れていたような思いになった。そして、前回、ゆっきーが泊まっている宿を知らせるために送ってくれていたメールは、宿に着いてから確認することになってしまった。

僕はこの日、早朝からの移動で食事をとっていなかったこともあり、宿に併設されているレストラン・カフェでご飯を食べることに。

注文したのは日替わりメニューとジュース。栄養がありそうな鶏料理が出てきて、あっという間に平らげてしまった。

ゆっきーが取ってくれていたツインルームの部屋に戻った。最低限の家具と扇風機があるだけのシンプルな部屋で一息つき、少しばかり街を散策しに出た。

宿から15分ほど歩いたところにあるカフェ「La Palmeraie Cafe & Bakery」に入って、冷房で涼みつつ、ジュースを飲んで落ち着いた。昼間に見た薄汚れた街並みとは違う世界があることに、少しばかり感動した。どこの国の首都でも、現地の金持ちを対象にした商売は成り立つということか。カフェに備わったWi-Fiは、この国ではとても速く、この先についてネットでいろいろと調べ物をすることができた。

僕はヌアディブでゆっきーと別れて以来、アイアントレインに乗って夜を過ごしたり、シンゲッティを見て回ったりしてたまっていた疲れが一気に出てきてしまったようで、この日の夜、寝袋にくるまってミノムシのようになって寝入った。

宝の山、それは絞り染めの布地

僕がヌアクショットに着いて2日目、先にこの街に入っていたゆっきーにとっての4日目は、宿でゆっくり休むことにして、暑さも落ち着いた夕方から外出した。

ゆっきーに導かれるがままに、ヌアクショット最大のマルシェ「Marché Capitale」へ。夕焼けがまぶしくも美しかった。

このあたりはゆっきー期待の布地のほか、靴など衣料品がメイン。露天商の割合が非常に高く、誰がこの市場を管理して、どのようなお金の流れになるのかさっぱり分からない、闇市のように見えた。行政の手の及ばない、インフォーマルセクター(非公式経済)の発達ぶりがうかがえた。

このマルシェの画像を加工してみると、こんな様相に。絞り染めの布地の鮮やかさがより映えていた。布は触ってみると、ごわっとした手触りでパリパリしていて、独特の触感があった。ある程度見て回ったあと、ゆっきーが気に入った布3枚を買って帰った。

ゆっきーは「モーリタニアにならまた来ていい。布を買いつけにまた来たい!」と力を込めて話していた。

この日の晩ご飯も宿のメナタに併設されたレストラン・カフェで。夜は照明が落とされていて、なかなか雰囲気があった。この日は魚料理を頼んでみると。

魚が丸々出てきた。

恐る恐る食べるゆっきー。見かけはギョッと思わされたが、おいしかった。

ヌアクショットの整った部分

これまで散々、ヌアクショットの街の汚さについて語ってきたが、翌5日は、この街のきれいな側面、いうなれば表の顔も垣間見ることになった。

この日はヌアクショット滞在の実質最後の日ということで、これまで訪れていなかったエリアへ。とはいっても、宿から徒歩15分圏内をうろうろとしただけだったが。

訪れたのは、ヌアクショットでも珍しい、あまり砂っぽさを感じさせないオフィス街を思わせるエリア。

だが、歩道を歩いているといきなり落とし穴があった。日本でこんな歩道があったら即、通報されそうだし、万が一ケガをしてしまったら補償問題になりそう。

そして、手前の歩道の後ろに見える白い車、おそらくベンツのボロさも相当なもので、左の前面をぶつけたのか、ヘッドライトがなくなっていて、後ろのバンパーも外れかけだった。日本なら間違いなく廃車レベルだが、ここモーリタニアではこんな車も普通に走っていた。

これはサウジ・モスク(Saudi Mosque / La Grande Mosquée saudique)と呼ばれるモスクで、サウジアラビアの支援で建てられたらしい。青空が広がっていたこともあって、この場面だけ切り取ると、モーリタニアとは思えないほど美しい景色だった。

それはさておき、前日に続いてマルシェへ。やはりこの雰囲気のほうが、ヌアクショットらしいといえばらしかった。そして、モーリタニアの民族衣装「ブーブー」を着た男性を見るのも、この日が最後かもしれなかった。

日本への一時帰国を控えたゆっきーは、日本で使うためにこの日も布を購入し、ほくほく顔で宿まで帰っていった。

そして、この日も、3日連続で宿に併設されたレストラン・カフェで食事。日替わり料理を頼むと魚料理が出てきた。ゆっきーは、この料理に写っているような形状のタマネギが苦手なため、大半を僕が食べることに。

夜とは違ってムーディーさのない店内。食べ終わったあと、残りの時間は宿でゆっくりした。

ちなみに、この宿はバスルームがやたら広いわりには、浴槽が狭く、どうしてこういう造りになったのかよく分からなかった。そして、トイレは便座がなかった。これは、アフリカではあふれた光景だった。

宿にまつわるこぼれ話

この宿では、こまごまとしたトピックが他にもいくつかあった。

まずは、よく見かけた新入りスタッフのジョエル。ゆっきーが手などを撮影させてもらっていた。気さくな青年だった。前回、ゆっきーの話に出てきた宿のオーナー、ボスコは、僕はほとんど出会わなかった。

こちらは、部屋の前の廊下。僕が泊まった初日、2日目は、僕たちより年配のフランス人の男性バックパッカーが泊まっていて、この廊下で少しばかりやり取りをした。

地図と辞書を手にセネガルの旅の情報か何かを書いて渡してくれたものの、使い物にならなさそうだった。

宿でもう1つ目に付いたのは、以前から興味のあったオーバーランドツアーのトラックの存在。僕が滞在中、宿にやってきて、2泊ほどしていった。オーバーランドツアーは、多国籍の参加者が集まり、長距離旅行向けに改造したトラックに乗って国境を越えて観光地をめぐるツアーで、アフリカや南米をめぐるものが多い。今回の宿メナタでは、テントを張ってそこに滞在する参加者もいたようだ。おそらく、プライベートの時間を確保するためだったのだろう。ただ、このツアー、少し距離を置いて見ている分にはあまり雰囲気がよくなさそうで、参加したい気にはならなかった。

さて、12月6日になって、いよいよモーリタニアを去る日がきた。朝6時台から準備して、次なる目的地、セネガルの港町、サン・ルイを目指そうとしていた。途中には、旅行者をカモにする詐欺師が多いことで悪名高いロッソの国境が控え、ゆっきーの帰国ムードも一旦ストップして、チームシマの中には、にわかに緊張感が漂っていた。

旅の情報

今回の宿

L’Auberge Restaurant Café Menata
ツインルーム 2泊 1,400ウギア(約4,400円) シングルルーム 3泊 1,800ウギア(約5,700円) 素泊まり
設備:共用バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:なし
行き方:Marché Capitaleから北に歩いて15分ほど。
その他:本文では触れなかったが、部屋にはよく蚊がいて、彼らとの戦いが繰り広げられていた。ホットシャワーが出たほか、扇風機である程度、室内を涼しく保つことができた。

訪れた食事処

L’Auberge Restaurant Café Menata(レストラン・カフェ)
注文品:(初回)日替わり料理2つ、ジュース2つ 380ウギア(約1,200円)
行き方:上と同じ。
その他:日替わり料理はリーズナブルで、ジュースのほうが高いくらいだった。夜の部門も結構な値段がしたものの、料理自体は確かなものだったと思う。

La Palmeraie Cafe & Bakery
注文品:ジュース2つ 250ウギア(790円)
行き方:Marché Capitaleから北東に歩いて10分。
その他:店内は冷房が効いていて、Wi-Fiも申し分なかった。この店が主力としているスイーツは注文しなかったが、モロッコでもよく見かけた、見るからに甘そうなケーキなどがあった。

旅する40代男の視点からみたモーリタニア

モーリタニアは、観光客目線で見ると、サハラ砂漠の真っただ中にある砂っぽい乾燥した国。この国がいかに砂漠に覆われているかは、GoogleEarthを見るとよく分かる。ただ、ヌアクショットは8~9月には多少の雨が降るという。訪れるタイミングによっては、乾燥している国という印象は変わるかもしれない。

モロッコと比べると経済状況は格段に落ちるようで、それを象徴しているのが街を走っている車だった。日本の基準ならスクラップ状態といっていいものも少なくなく、フロントガラスは割れ、ドアは内側から開かず、ところどころ塗装がはげて日本の鉄道車両みたいなシルバー色、あるいは錆びて茶色になっていた。

そんな車が黒煙を上げながら、懸命に前へと進んでいる印象は、この国の経済状況とダブるように思えた。あちこちの道路脇では、ボロボロになった車をジャッキアップして修理したり、タイヤを換えたりしている男性たちの姿も見かけた。

国の行政の財政状況の厳しさは、舗装されたアスファルトがあるのは基本的に大きな道路だけだったことにも現れている気がした。首都の高級住宅街っぽいところでも、道路は完全に砂で覆われていた。裏を返せば、首都ヌアクショットはサハラ砂漠の中にある街ということで、実際に、サハラ砂漠の中では最大の都市らしい。

ただ、この国では首都であっても、街の中では路線バスのような存在がなく、自転車やバイクなども身近ではないため、移動はタクシーか徒歩かという選択を迫られた。その不便さの中でも、昼間に街を歩く分には治安上の不安を感じさせない点が救いだった。

ヌアクショットのマルシェに代表されるようなインフォーマルセクターの規模が大きく、国などの行政には税金があまり入っていないのかもしれない。

ゆっきーがとても気に入っていた絞り染めの布も、モーリタニアのインフォーマルセクターと、そこに乗っかっている、経済的に裕福ではないであろう人たちを支える特産物の1つ。アフリカの途上国では、こういったインフォーマルセクターの存在の大きさを感じる機会が何度もあった。そこに、これまでに訪れたヨーロッパの多くの国とは異なる魅力を感じた。

ただ、その魅力も、移動の不便さや見どころの少なさ、劣悪な衛生環境に勝るとは思えない。日本ではありえないような体験をしたい、ごく一部の旅行者にははまる要素があるかもしれないが、そういった体験を希望するなら、何も日本から遠く離れたモーリタニアくんだりまで来る必要はない。インドをはじめ、もっと近くに様々な国がある。

それに、モーリタニアには「これ」というイメージもない。しいて言えば「砂漠」なのかもしれないが、それはあくまで旅行しての感想であり、他の国と比べてみると、あえて旅先としてモーリタニアを選ぶには、決め手に欠けるようにも映った。