シエラレオネ その1 毎日が年の瀬のアメ横!? 賄賂街道の先に見た熱気

ギニアの首都・コナクリ滞在の最大のポイントとなったナイジェリアのビザを手に入れた僕は、その達成感とともに、東隣の国、シエラレオネに向けて出発することにした。

コナクリでは結局、シエラレオネのビザを得ることができず、国境の場でビザ(アライバルビザ)が発行されるかどうかの確証もなかった。ただ、僕はギニアのマルチプルビザ(複数回入国可能なビザ)を持っていて、いざ国境まで行ってみて、国外に出られないとなれば、またコナクリに戻ってきたらいいとも思っていた。

この見どころのないコナクリでの滞在もいつの間にか9泊を数えていて、これ以上、ギニアにいても旅が停滞するだけで、どうにもならないことが分かっていた。僕は次の一歩を心から望んでいた。

「謹賀新年」もカツアゲのネタという賄賂事情

2019年の元旦。コナクリのレストランのオーナーに「ここでの年越しはすごくいいぞ」と言われていたものの、僕はすっかり寝てしまっていた。

朝5時過ぎに起きて、明け方6時でまだ真っ暗な中、宿のミッション・カトリックを出た。

元旦だというのに、宿の前ですぐに乗り合いタクシーが見つかり、バスターミナルへ。降ろされたところから5分ほど歩いてたどり着いたバスターミナルでは、幸運なことに国境のパメラップ(Pamelap)行きのセットプラスがすぐに満席になって出発。

まだ夜明け前の元旦でも、公共交通で移動する人がこんなにいるのか……と思いながら、道路事情の悪いギニアでどんな道かと警戒していると、途中までは舗装された道路で、その後は未舗装になったものの、走りやすい道のりだったので少し安心した。

むしろ、途中1か所で乗客全員が10,000ギニアフラン(120円)の賄賂を支払わされたことの方が不安をあおった。何の見返りもなく金を巻き上げる行為は、もはや賄賂とはいえなくて、ただのカツアゲではないか。

コナクリとフリータウンを結ぶ道のりは、旅行者の間で「賄賂街道」として名が通っている。まさにその名の通りの展開だった。

今回の移動経路を地図上に表すとこのような状況。パメラップに着き、国境をつなぐバイクタクシーを雇った。

ギニア側の国境の前には、警察によるチェックポイントがあり、「10,000フランを払え」と何度も言われた。しかし、何の根拠も示されなかったので、ビザがあることを伝えて支払わなかった。相手はしびれを切らしたのはか、しまいには黄熱の予防接種カードを見せるようにも要求されたが、僕はその場でたたずんでいるだけ。すると、「もう行け」というそぶりをして解放してくれた。明らかに賄賂の要求だった。

国境では、スタンプをポンと押してもらってあっさりと通過できた。

シエラレオネ側の国境のグバラムヤ(Gbalamuya)では、国境検査で副官らしき男性のところに連れていかれた。国境にいる係官にしては珍しいスーツ姿の男性は、バタンとドアを閉めて「ビザ代は100ドルと25ユーロ」と短い言葉を発した。いや、正確にいえばそのように聞こえたものの、自信はなかった。ビザ代は本来なら100ドルか、あるいは75ユーロが正しかったからだ。

僕が100ドルを渡すと「25ユーロは?」と聞かれた。どうやら聞き間違いではなかったらしい。賄賂を求めているのだろうか。

聞こえなかったふりをしていると、両替屋がやってきて、シエラレオネの通貨のレオン(2019年1月1日現在で1円=0.01262レオン。なお、レオンは2022年に1000分の1のデノミネーション(通貨切り下げ)が行われている)に両替してくれて、あとは男性が手続きをしてくれた。申請用紙もすべて男性が書いてくれて、すごく楽だったのが印象に残った。そして、シエラレオネにどのくらいの期間いるつもりなのか聞かれた。

僕が「1か月かそれ以下になる」と言うと、男性はスタンプをポンと押してくれて「ビザは1か月有効だ。それ以上滞在したいときは、フリータウンのイミグレーションオフィスに行け」と言われた。そして最後に、

“Welcome to Sierra Leone, happy new year!”

とも。英語でのしゃれた別れの挨拶。そう、今日は新年最初の日、元日だったのに、賄賂のやり取りばかりが印象に残ってすっかり忘れかけていた。ここシエラレオネは、11月初旬にアフリカ大陸に入って以来、ガンビアに続いて久しぶりの英語が公用語の国なのだと実感した。

国境を脱出したのは11時10分ごろ。そして、ここからが賄賂街道の本領発揮だった。

フリータウン行きのバスターミナルまで15分の道のり。途中、警察のチェックポイントで賄賂をせびられたものの、「もう国境で支払った」と言って切り抜けた。

バスターミナルに着くと、乗り合いバンがすぐに見つかり、バイクタクシーで運んでくれたお兄さんとはここでお別れ。バンの切符を売ってくれた男性は、最後には「フランをくれ」としつこく迫ってきたものの、それも無視した。

シエラレオネ側は幹線道路がきちんと舗装されていて、心地よかった。しかし、車内はギニアと同じくぎゅうぎゅう詰めで居心地が悪かった。

少し進んだところで警察のチェックポイントがあり、僕は別室の粗末な小屋に連れていかれた。そこで出てきたのは、このチェックポイントのボス格らしき男性。

「10,000レオン寄こせ!」
「国境で通行に必要なお金は支払ったよ」
「ここでも支払いが必要だ!ほら、新年(new year)だろ?」
「それならこっちのほうがほしいよ。国境で高いビザ代を払ったんだから」

僕がそう言うと無事に解放された。先の民間人も合わせて、この日の朝から数えて6回目の賄賂要求だった。

しかし、外に出ると、道路沿いに座っていた部下の者たちが「Happy New Year」と書かれた缶をジャラジャラさせ、「金をくれ!」と叫びながらこちらに寄ってくる。貯金箱のような見かけの缶は、親切にもコインが入るサイズの穴が手作りで開けられていた。

ここまできたら、もう失笑するしかない。写真や動画に撮ったら、話題になること間違いなしだろう。だが、相手を刺激する危険を冒してまでやろうとも思わなかった。

ボスが腐っていると手下も腐るもんだなあ、と思いながら、無視してバンが待っている方向まで歩いていった。

その先で通ったどのチェックポイントでも、外国人の僕だけはパスポートのチェックをさせられた。シエラレオネの治安情勢は、多くの関門を設けなければならないほど緊迫していたわけではない。そして、日本でいえば昔の関所の通行税(関銭)のようなものを、何の公的根拠もなく取っている。薄給の公務員が賄賂をせしめるためとしか考えられず、実に無駄なシステムだと感じた。

元日のむなしい“正月料理

フリータウンには14時過ぎに到着。順調すぎて、逆に小さな驚きを感じるくらいだった。西アフリカにだいぶ毒されてしまったのかもしれない。

そこからは、乗り合いバンに同乗していた60代くらいの男性が、向かう方向が一緒ということで、現地語で「ポダポダ」と呼ばれるミニバスに一緒に乗ってくれて、下車後もフリータウンの目印となっている時計塔のあたりまで道案内してくれた。

上の2つの写真は、別の日に訪れた際の時計台とその周辺。フリータウンへの到着時は大荷物を抱えて大変だったものの、シエラレオネに来て早々、賄賂の話ばかりでこの国に嫌気がさしそうだっただけに、街に暮らす人の優しさに巡り合えて、救われた思いだった。

フリータウンの中心部は、最近訪れたコナクリやギニアビサウの首都ビサウと比べてにぎわっていた。

暑さと人の多さにやられそうになったところで、目星をつけていた安宿の「The Place Guest House」にたどり着いた。Wi-Fiがないなど、安宿ならではの弱点はあったものの、部屋をチェックして、泊まる分には問題はないことを確認してチェックインした。

荷物を置いてフリータウンの街へ。銀行で現地通貨のキャッシングをして、SIMカードを買い、なるべく食事しやすそうな店を探すという、その国に来たらまず最初にすることに目を向けた。

まずは銀行のATMで現地通貨を手に入れ、宿に戻って宿泊費を支払ってから、宿の人にSIMカードをどこかで買えないか尋ねた。すると、元日は祝日で携帯電話のショップは開いていないため、道端の売人から買えとのこと。宿の人は買い物に付いていってくれて、ここでも、現地に住む人の親切心を感じることができた。SIMカードは、路上のテントのようなところで売っていた。

データ量もチャージして、最後に残った食事へ。しかし、ここからが難関だった。

宿の近辺はダウンタウンでも特ににぎやかなエリアで、屋台や人、車や「ケケ」と呼ばれる三輪タクシーがひっきりなしに行きかっていた。ポダポダといい、ケケといい、シエラレオネの乗り物はおもしろい名前ばかり。

ただ、この日は元日で祝日。このにぎわいにもかかわらず、まったくと言っていいほど飲食店や食料品店は開いておらず、目につくのは屋台だけ。その屋台飯も、ろくなものがなさそうだった。

街を歩いている人たちも、元日とあってか、店という店はことごとく閉まっているのに、みな何をしているのだろうか、日本みたいに初詣に行くわけでもないのに、と思ってしまう。

そうこうしているうちに、シエラレオネのシンボルともいえるコットン・ツリーまでやってきた。

樹齢は500年ともいわれるものの、正確には不明。18世紀末のイギリスからの奴隷解放運動と自由のシンボルとなったらしい。なお、ブリタニカ国際大百科事典によると、フリータウンは「1787年イギリスが解放奴隷の入植地としたのが都市の起源で、カナダ、ジャマイカをはじめ大西洋上の奴隷船から解放された黒人の自由の町としたことが地名の由来」という。

こちらは宿に帰ってから撮影したもので、コットン・ツリーは10,000レオンの紙幣にも描かれている。ちなみに、宿のベッドはヒョウ柄だった。

そのすぐ近くにある国立博物館の看板は、国旗がデザインされていた。なかなか優れたデザインだと思うが、最初に見たときにファミリーマートを思いだしたのは、ただ単にお腹が極端に減っていたからだろうか。最後にファミマを見たのはいつのことだろう。

コットン・ツリーの近辺では、黒人ばかりのこの街でめずらしくアジア系の人の姿を見かけた。服装や雰囲気からして日本人のようにも見えたが、空腹と移動の疲れが先立っていて声をかけられなかったのが、少し心残りだった。

フリータウンは坂の多い街で、土地の起伏も激しく、坂を意識しながら歩いていると、どことなく東京を連想させるところもあった。

結局、日が暮れるまでに見つけたお店はたったの2軒だけ。1軒は、この日はチキンと飲み物しかないというので入るのをやめて、もう1軒は入ってみたものの、飲み物を飲んでいる人しかおらず、席に座っても注文を取りに来る気配がゼロだったので、注文を諦めて外に出た。

結局、屋台でフランスパンを買い、マヨネーズを塗ってもらって食べたあと、宿の近くの薬局でビタミンなどが入ったフルーツジュースを手に入れて飲んだ。日本にいたなら、元日はおせち料理だっただろう。何ともむなしい“正月料理”だった。

フリータウンは連日お祭りのにぎわい

翌1月2日になると、多くの店がオープンしていた。僕は前日の無念さを晴らすべく、まともな食事にありつけるために街をぶらぶらした。すると、前日も通った国立博物館の敷地内に雰囲気のよさげなレストランを見つけた。「NATIONAL MUSEUM」の2つの単語の間に看板が挟まれていて、そこには「NIX NAX CAFE」と書いてあった。

この店で頼んだのはカレーライス。

「魚、チキン、牛肉の中から選んで」

店員にそう言われたので、ぼくは迷わずに「チキンで!」と答えた。すると、「魚しかないよ」と返されてしまった。アフリカに限らず、外国ではよくあるパターンで、何でこんなコントみたいなやり取りになるんだろうといつも思ってしまう。ないならないで、最初からそう言ってくれたらいいのに。

見た目はセネガルで食べたヤッサ・ポワソンに近く、魚が丸1匹入っていた。カレーはご飯にもカレー味がついていて、ソースはピリ辛でおいしかった。

そこからは、前日に続いてフリータウンの街を散策。市街地をさまようと、屋台と人の熱気は変わらずで、例えるなら「アメ横」の通称で知られる東京・上野のアメヤ横丁で年の瀬に見られる大にぎわいが、毎日続くような様相だった。正確にいえば年末のアメ横ほどの混雑ではなかったものの、ただでさえ人でいっぱいなのに、車が道をふさいでいるところもあり、より込み入っていた。

子連れでは、手をつないでいないとすぐに迷子になりそう。これがフリータウンの特色ということを実感した。

こちらは、人通りの少なめだった路地。それでも人の波は途切れず、露天商が切れ間なく存在した。活気という点ではモロッコのマラケシュ以来だろうか。人疲れしてしまった。

それにしても、このような路傍の商売人たちは、どのくらい税金を納めているのだろうか。インフォーマルセクターが幅を利かせていると、街がにぎやかでも国や自治体は潤わず、インフラの整備もなかなか進まない。

次の移動先を決める必要があり、ひとまず、シエラレオネ東部の街ボーかケネマを目指していくことにした。翌1月3日には、バスターミナルに行って翌日のボー行きのチケットを買おうとしたものの、「明日の朝5時半にここに来てくれ」と言われて目的を果たせなかった。

YMCAのある丘のほうにも足を伸ばしてみると、宿の周りとは打って変わって閑静な住宅地が広がっていた。遠くにも、丘に沿って建物がびっしりと並んでいるのが見えた。活気と人の多さで疲れる街よりも、どこか自然あふれるところに行きたい。そんな思いがさらに強まってきた。

翌朝には、正月3が日間とどまったフリータウンを離れて、シエラレオネ東部を目指して出発した。朝5時に起きて、前日に言われた通り朝5時半にバスターミナルを訪れた。

しかし、そこはすでに長蛇の列。しかたなく最後列に並んだものの、ボー行きのチケットは途中で売り切れてしまった。

何とも幸先が悪いな……そう思いながら、かなり離れた乗り合いバンのターミナルに向けて足を踏み出した。

旅の情報

今回の宿

The Place Guest House
シングル 3泊 195,000レオン(約2,500円)
設備:共同バス・トイレ(バケツシャワー)
予約方法:なし
行き方:フリータウンの時計塔からメインストリートを西に歩いて10分。
その他:電気は24時間通っていて、部屋には扇風機があったが、上水道が弱点で、ゲストハウス内の蛇口という蛇口から水は一切出なかった。そのため、体を洗うときには、巨大なバケツから水をすくうことになった。いわゆるバケツシャワーで、24時間いつでも蛇口から水が出ないのは、ガンビアで最初に泊まった宿以来。この先は、バケツシャワーの宿も増えていった。

訪れた食事処

NIX NAX CAFE
注文品:カレーライス(初回訪問時) 30,000レオン(380円)
行き方:シエラレオネ国立博物館の南西すぐ。
その他:最初に訪れたときに食べたカレーライスがおいしく、翌日の昼も訪れてキャッサバのライスを食べた。両日とも料理は辛めだったが、おいしかった。