シエラレオネ その2 こんなところに日本人旅行者 Youは何しにこの国へ?

しばらく滞在したギニアから2019年の元日、シエラレオネの首都フリータウンに来た僕は、街の喧騒に気おされてしまった。この状態は新年だからというわけではなさそうだった。僕はにぎやかさが年中行事となっているような街にとどまりたいわけではなかったので、自然を求めて東へと移動することにした。

そして、乗り物を乗り継いで、物好きな人しか訪れないような自然あふれる片田舎に行った。

そこで待っていたのは、何もかも忘れて過ごせるような環境と、セネガル以来で久しぶりに見かけた日本人だった。

車とバイクを乗り継いでティワイ島へ

大西洋に面したフリータウンから東に向けて長距離移動を始めようとしていた1月4日の朝5時半、バスターミナルに着いた僕は、あっけに取られていた。

行き先は約250キロ離れたボーという町。バスの長い列を作って待つ人たちの最後列に並んだものの、チケットは途中で売り切れてしまった。

乗り合いバンのターミナルまでいくしかないか……。当てが外れた僕は、フリータウンに降り立った時と同じく、市街地から4キロ近く離れたところまで、大荷物を持って歩くことにした。

とぼとぼ歩いていると、バスターミナルを出たてのところでポダポダに乗った男の人に声をかけられた。

このポダポダというのは、前回も説明した通り現地語でミニバスを指している。どうやら、このポダポダはボーまで向かうらしい。僕は迷うことなく車内に乗り込んだ。

多少待ったものの、6時40分ごろ出発した。すると、一番後ろの列に座っていた家族連れのおじさんが「アーメン」と唱和を始めた。これまでアフリカ大陸でイスラム教徒が多い国を回ってきたときにはなかったことだった。

ただ、シエラレオネはイスラム教徒の割合が最も多く、6割を占めるという。そしてキリスト教徒が続くが、よくありがちな宗教対立はなく、双方は友好的な間柄というのがこの国独特の事情らしい。

車内では助手席に座れたものの、運転席を合わせて最前列には何と4人が座っていた。これだけ詰め込まれたのは今回が初めてかもしれない。

首都を出ると、ボロ屋が多い地区もあり、道も未舗装となって、いかにも西アフリカのインフラの行き届かない国といった風情になった。それでも、道はギニアやギニアビサウよりはよほどしっかりしていて、シエラレオネの行政の真面目な一面に感じ入った。結局、ボーには休憩をはさんでも10時30分にならないうちに到着。あまりにも早く着いてしまったため、次を目指して移動することにした。

目指した場所は、英語版ガイドブック「ロンリープラネット」の西アフリカ版で紹介されていたティワイ島(Tiwai Island)。モア川(Moa River)に囲まれた島で、豊かな緑が特徴という。世界遺産の暫定リストにも載っている。モア川自体はギニアが源流で、シエラレオネと東隣の国、リベリアの国境を成している部分を経てシエラレオネ東部を縦断し、大西洋に流れ込む。

こちらがモア川の流域。同じくギニアを源流とする全長4,180キロのニジェール川と比べると、その規模ははるかに小さい。それでもざっと400キロほどはあり、日本最長の信濃川と同じくらいか、それよりも長い。

さて、そんな川に囲まれた島には、まずポトルーという町を中継地とする必要があった。

降りた場所の近くにいたバイクタクシーの兄ちゃんに、乗り合いタクシー乗り場に向かってもらった。ちなみに、シエラレオネではバイクタクシーのことを「オカダ」と言う。そうか「岡田」かと、小学校の同級生にいたいじめっ子のことをちらっと頭によぎらせたりした。僕のような日本人にとっては覚えやすいことこの上ない。

その乗り場で話を聞くと、目的地まではタクシーをチャーターしていくか、オカダで行くしかないとか言う。本当はポダポダに乗りたかったが、しかたなく今乗っているオカダで向かおうとすると、運転手の兄ちゃんは「Two hundred thausand」と言い出した。20万レオン(約2,500円)?いくらなんでも高い。そんなアホな、とポカーンとして立ち止まっていると、近くの家に住むおばあちゃんがやってきて、この兄ちゃんと現地語で話し出した。

話はしばらく続き、そしておばあちゃんが僕に向き直った。

「このバイクに乗るのは止めておきなさい、バッドボーイよ。私についてきなさい」

この兄ちゃんには乗り合いバン乗り場の間の運賃3,000レオン(40円)を支払って別れを告げた。

おばあちゃんはティワイ島近辺の出身で、かつて旅行会社に勤めていたので、英語が不自由なく話せるらしい。

言葉に甘えておばあちゃんの家の軒先でしばらくゆっくりさせてもらった。おばあちゃんといえば、自分の娘とみられる女性たちにことの顛末を現地語で話して聞かせていて、みな楽しそうに聞いているのが印象的だった。どうやら、このおばあちゃんは悪い人ではないようだ。

おばあちゃんの夫がポトルー行きのターミナルまで案内してくれるというので、オカダをつかまえて2人で移動。さっきとは違うターミナルに着くと、そこにはポトルー行きのポダポダがあった。ちなみに、このおじいちゃんの往復分の運賃はもちろん僕が支払ったのだが、釣り銭をおじいちゃんにかすめ取られたうえに、このおじいちゃんはチップまで要求してきた。

僕が1,000レオンを渡すと「まだ足りない」というので、倍にして渡した。最後はまた「金、金」かと思うと後味が悪かったものの、現地の人からすると分かりやすい金づるが歩いているようなものだし、あのおばあちゃんは本当にいい人だったので、それに免じて忘れることにした。

ポダポダでは数十分待った。それでも正午を過ぎたくらいで、まだ時間は十分にあった。今回のポダポダも朝と同じく助手席だったが、かなり楽に座れて、休憩や客の乗降で時間をかけて進んでいった。ちなみに、運賃は荷物代を含めて35,000レオン(440円)だった。

朝からの移動疲れでウトウトしていると、ポトルーの町の直前で降ろされた。ここからオカダでティワイ島に向かった方が早いらしい。その場に待っていたオカダに乗り、早速、島の入り口となるカンバマ(Kambama)という村まで向かった。

ここから先は、乗用車がすれ違えないような狭い悪路で、飛んだり跳ねたりしながら村を目指した。驚くのは、延々と道と雑草しかなさそうなところでも現地の人たちが歩いていたこと。農業などが営まれているのだろうか。

途中、立て看板があったので写真に収めて後で見返してみた。「GOLA RAINFOREST NATIONAL PARK」と書いてあり、このあたり一帯が国立公園になっていることを示していた。

途中で集落も通った。前日まで滞在したフリータウンとは180度近く違う、質素な暮らしがうかがい知れた。

ようやくカンバマまで到着。村の案内人にティワイ島に向かう渡船場まで送ってもらい、村長や警察官の紹介を受けた。車やバイクを乗り継いで、長かったように感じながらも、半日足らずの冒険だった。

短い休みで遠路ここまで来る心情は

現地の人の合図で対岸からの船がやってきた。

他の乗客3人とともに島へと渡った。島に着き、案内されるがまままに食堂まで行くと、白人の男女2人が座っていた。この2人はオーナーではなく、滞在しにきていたイギリスとアイルランドのカップルらしい。

2人と話をすると、いま日本人女性が泊まっているという。こんなところに日本人が?どういうことだろうと思っていると、早速その女性が現れて、小話をした。

その後、宿の人に僕がこの日、寝泊まりするテントを案内してもらった。

白人の男女と日本人女性の3人はこれからボートクルーズに行くというので、僕も同行することにした。

すると、二手に分かれることになり、僕は日本人女性と一緒に小舟に乗って、島の周りをのんびりと渡っていった。

先ほど、島に乗りつけたときは汽船だったのでモーター音がしていたが、今回は船頭が櫂で漕いでいるので川の流れがよく聞こえた。手つかずに見える豊かな自然が、大河となっている川の上から延々と続いていた。

ツアーを終えて島に戻ってくると、暗くなりかかっていた。僕は、夜の21時からのナイトウォークを予約して、それまでは晩ご飯を取ったり女性と話したりしてすごした。

面と向かって日本人と話すのはセネガルのダカールを出て以来で、およそ20日ぶりだろうか。その間、日本人にもまったく出会っていなかったことになる。日本語での会話が妙に懐かしかった。これだけ長いこと日本人と会わなかったのも人生で初めてながら、それでもたった20日ほどと思うと、自分史のちっぽけさを感じざるを得なかった。

この女性は公共団体に勤めている人で、海外旅行が趣味だそうだ。そりゃそうだよな、と思う。よほどの旅行好きでも、こんなに観光客が来なさそうな国の、人里離れた交通不便なところにまで1人でやってこようとは思わないだろう。どこかのねじが外れているか、感覚がおかしいとしか思えない。

そしてそれは、僕自身にもいえることなのかもしれない。でも、何に興味があってどういう価値観を大切にするのかは、最終的には誰かに決められるものではなく、自分自身で築き守っていくものだ。

それにしても、年末年始の休暇ならわざわざこんなところに来なくても、欧米やアジアなどにもっと滞在しやすくて楽しげな旅行先が数え切れないほどあるのに、と思ってしまう。

女性は前からアフリカ大陸にもいろいろ来ているようで、世界中を旅してまわった結果、残ったのがこのエリアだったようだ。今回はギニアビサウから入って陸路で東に向かい、ここまで来たという。僕がフリータウンで見かけた日本人らしき女性は、まさにこの人だった。

半年以上かけてヨーロッパからアフリカへと流れてきた僕の身からすると、限られた休暇で、何から何まで時間の読めない西アフリカを旅すること自体が窮屈だし、そんな旅をせざるをえないことが気の毒だった。

しかし、本人は恐らくそんなことなど意に介しておらず、むしろ楽しんでいるのだろう。欧米やアジアでは刺激が足りず、満足しきれなくなった結果、こうしてこの地にまで足を運んでいることが、容易に想像できた。

この女性は仕事が忙しく、日々残業に追われていて、実際の残業時間は月160時間くらいになるとか。パートナーがいて、今の仕事を辞めて外国を旅しつつ、どこかに住みたい願望があるともいう。

ある面では、少し前の僕を見ているような気分にもなった。

僕も世界を旅するまでは、女性と同じように公共団体で働いていた。そこから仕事を辞めて、ただ流浪の身となるのであれば、それまでの人生を全否定するようなものかもしれない。何よりも気持ちがしんどい。いくら仕事がハードだとはいっても、過労死レベルほどにはきつくはなく、ある程度にとどまっているなら、流されるままに仕事を続けるのが最も楽だ。辞めるときには、行動力はもちろん気力もいる。

この女性とは、アフリカの援助の話題にもなったが、頭でっかちで安っぽい話になって、聞いているこちらのほうが辛くなった。考えが合わない気がしたので、深入りはしなかった。

この日の一連の話からは、この女性は2種類の草に例えられそうな印象を受けた。雑草のようなたくましさと、根無し草のような芯のなさと。その2つが同居しているように感じられた。

夜のティワイ島の雰囲気は、小中学校のときのキャンプのようで、子ども心を思い出させるものだった。ナイトウォークはガイドとマンツーマンで暗い森の中を探検する趣向で、時には数分間立ち止まってライトを消し、真っ暗闇のままサルや鳥をはじめとする動物の鳴き声に聞き入っていた。

手つかずの自然に癒されて

翌5日は朝からフォレストウォークを予約していた。これはナイトウォークの朝版で、7時過ぎにテントの外からガイドの声が聞こえて、サッと準備して出発した。このときもガイドとのマンツーマン。

当たり前のことだが、前夜は暗くてよく分からなかった森の様子が、朝ははっきりと見える。それでも木々が生い茂っていて、ガイドが不在なら進むも地獄、退くも地獄といえそうな、何が飛び出すのか分からない環境だった。

歩いている様子がこちら。実際には、自然豊かで気持ちよかった。

この島に植わっている木の特徴は、高木の板根だろう。パソコンで漢字変換しようとすると「晩婚」としか出てこないほど、なかなかなじみのない言葉で、熱帯雨林で見ることができる。

それでも、ここの板根の高さには驚かされた。僕の身長以上に高いものもあった。想像を超える創造力。何とも言い表しようのない自然と相対していると、心が洗われて無になっていく感じがした。

ガイドが「見ろ!」という方向に目を向けると、遠目にサルの姿が見えた。コロブスと呼ばれるサルの一種で、顔が白くて赤い体毛を持つ。正確にはニシアカコロブスというのだそう。英語版ウィキペディアによると、セネガルからガーナにかけて生息する絶滅危惧種のようだ。

そんな希少なコロブスが15匹以上もいる集団が次々に枝から枝へと移っていく様子も見ることができて、なかなか楽しかった。惜しかったのは、僕からは明確にとらえきれない遠さだったこと。一眼レフのカメラでようやくはっきりと捉えられるくらいの距離だった。

ウォークから帰ってきて、食事をしつつこれからのことを考えた。1泊2日だったが、この島には満足した。もう1、2泊したところでたぶんこの満足感は変わらない。滞在費もシエラレオネにしては安くはない。新たな町、新たな国を目指す気力も沸いてきた。島を出て次を目指すことにした。

ただ、この日は毎月第1土曜日に設けられている「クリーニングデー」と呼ばれる日で、すべての公共交通が正午まで動かないらしい。国民が総出で町をきれいにする国を挙げてのプロジェクトで、午前中に公共交通で移動していることが所々のチェックポイントで見つかると、厳しくとがめられるという。

昨日出会った日本人女性は、朝8時半に南のリベリア国境へと向かうオカダを予約していたが、それも正午にならないと動かないため、待たないといけなくなったそうだ。

僕はここから北東に向かい、再びギニアに入って、さらにはマリとの国境へ向かう予定にしていた。ティワイ島に泊まっていた裕福そうながっしりとした黒人男性が、車でポトルーまで行くというので、白人カップルと一緒に乗せてもらうことになった。ポトルーからはポダポダをつかまえて、前日、運賃のぼったくりの被害に遭いかけたボーまで戻るつもりだった。

出発を待っている間、印象に残ったのは、この白人カップルが持っていた英語のガイドブック。「Bradt」(ブラド)というシリーズで、イギリスの会社が発行している。

僕がこれまで頼りにしてきたロンリープラネットでは、西アフリカの20か国弱が「West Africa」としてひとくくりにされているのに対して、このBradtは、シエラレオネが単独で取り上げられていた。この先、行こうと思っていたケネマやギニアとの国境付近の町のことも載っていて、スマートフォンのカメラで写真を撮らせてもらった。

ちなみにこのBradt、アジアの国の版も発行されているが、そのラインアップには日本がなければ韓国もない。もちろん中国も。その代わり、北朝鮮が取り上げられている。これは、他の英語ガイドブックがたどり着けていない場所を志向しているからだという。それでも、ギニアやリベリアなどは取り扱われている形跡がなかった。

ティワイ島からは11時の少し前に出発。日本人女性も含めて、この日チェックアウトした宿泊客は全員、島を出た。船に乗った人たちは、前日の行きよりもかなり多かった。対岸に着いたところで、リベリアの首都・モンロビアを目指すという日本人女性と別れた。

黒人男性が運転してくれたのは日産のSUVタイプの車で、西アフリカにありふれている、ボロくて狭くてほこりっぽい乗り合いバンとは違って快適に移動できた。しかも、ポトルーから出るポダポダの時間が過ぎてしまっていたため、僕にとっては幸運なことに、結局、ボーまで送ってくれることになった。

紛争ダイヤモンドを思う

ボーには13時半過ぎに着いた。白人カップルをホテルに送り、僕は目星をつけていたホテルに送ってもらった。いつものとおり予約はしていなかったが、これもいつもどおり部屋は空いていてチェックインできた。

レストランも併設していたので、昼ご飯にチキンのクスクスを食べてから街に出た。

ボーはバイクの多い田舎町といった風情で、スーパーはざっと見たところ1軒のみ。町の短いメイン通りを何度か往復しながら、食材を買った。それなりに人出があり、車の通行もあったものの、首都のフリータウンに比べるとせわしないという雰囲気はなく、緩い空気が流れていた。

通りには、ダイヤモンドの輸出業者の店舗があった。それを目にすると、どうしても「紛争ダイヤモンド」のことが思い起こされた。

シエラレオネでは、1990年代から10年あまりにわたる内戦中、現地で産出されるダイヤモンドが主に反政府勢力の資金源として用いられた。ダイヤモンドの採掘にあたっては、紛争の当事者ではない人たちを武力によって強制労働に駆り立てた。また、年端もいかない子どもたちを麻薬漬けにして、少年兵に仕立て上げることも行っていたという。

2006年に公開されたレオナルド・ディカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」は、内戦中のシエラレオネを舞台にしたサスペンスだ。紛争の資金調達のため不法に取引されるダイヤモンドを題材にしている。フィクションとはいえ、内戦当時の状況を分かりやすく映し出している。

少年兵として内戦の当事者となったイシメール・ベアの体験記「戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった」は、「ぼくの現実はいつも『殺すか殺されるかだった』」と紹介されているとおりの内容だった。僕と5歳ほどしか年齢の違わない彼の壮絶な生きざまを通して、戦争や紛争に対して多くの問いを投げかけている。僕はシエラレオネ滞在時には手にすることができなかったものの、のちに読んだ。

その代わりに、シエラレオネでは、ギニアの首都コナクリでダウンロードした紛争ダイヤモンドのドキュメンタリーを見た。内戦後の2006年に制作された作品らしく、2023年1月現在もYoutubeで見つけることができる。

シエラレオネ最大のダイヤモンド産地は同国東部のコノと呼ばれる地方で、僕はこれからその地方に近づこうとしていた。だが、不安はなかった。産地からそれほど遠くないこの町でも、ダイヤモンドの輸出業者が大手を振って商売をしているくらいだから、一介の旅行者のレベルでは、もはや気にかける必要はないだろうことが想像できた。

翌6日、今度はギニアとの国境の町、カイラフンを目指して出発した。

旅の情報

今回の宿

Tiwai Island Wildlife Sanctuary, Reseach & Ecotourism
テント 1泊 255,000レオン(約3,200円)
設備:共用バス、共用トイレ
予約方法:なし(ホームページから可能)
行き方:ポトルーの町を拠点にオカダと渡し船で移動する。
その他:それぞれのツアーはオプションで、ボートクルーズが100,000レオン、ナイトウォークが50,000レオン、フォレストウォークが30,000レオンだった。夕食もつけることができ、具の少ないジョロフライスのような料理とスープで30,000レオンと、高く感じた。

HOTEL SAHARA
シングル 1泊 100,000レオン(約1,300円)
設備:専用バス・トイレ Wi-Fiあり
予約方法:なし
行き方:ボーの時計塔から南東に歩いて3分。
その他:洗面台の排水が床にたまるという大きな弱点があり、くつろげなかった。昼間は停電の影響でトイレの電気以外はつかず、Wi-Fiフリーの意味がなかったが、夜に自家発電で電気がつくようになると、速度が速く快適なネット環境になった。昼食のクスクスは35,000レオンだった。