コートジボワール その5 世界一の大聖堂と2度目のアビジャン、そして緊急事態

ブルキナファソからコートジボワールに戻った僕は、まずは経由地の首都ヤムスクロに向かった。そこでは、世界最大の大聖堂を見ることをやり残していた。

そして、旅の最終目的地にしてこの国の最大都市、アビジャンに向かっていた。すでに帰国便のチケットは取っていて、アビジャンから日本に向けて発つことになっていた。

前月、強盗被害に遭った街を、いろんな思いの詰まったこの旅の最後の地とするのには多少、心に引っかかる部分もあったが、それはそれと思いながら先に進むと、帰国を促す新たな緊急事態が日本で発生していた。結果として、僕はまた重大な決断に迫られることになる。

ヤムスクロの大聖堂のステンドグラス

2月10日未明から乗り続けてきた長距離バスは12時30分ごろ、ヤムスクロに着いた。6日前まで滞在していた宿「AUBERGE KILNANA」に行くと、10,000セーファーフラン(約1,900円)の部屋を案内された。前回泊まった7,000セーファー(約1,300円)と比べて高かった。これは足元を見られているかもしれないと思い、「別の宿を探す」とグーグル翻訳のフランス語を交えて伝えると、7,000セーファーの部屋に通してくれたので、ここで1泊を過ごすことにした。

そして、前回の滞在では行けなかった大聖堂に行くことに。歩いていくとかなりの距離になりそうだった。

ヤムスクロの街は、首都とはいえないほどのんびりしている印象そのままだった。

徐々に大聖堂に近づいていった。歩くこと数十分、ようやく近づいてきた。ただ道路が広い。周辺には何もない。

この大聖堂は、正式な名称を「la Basilique Notre-Dame de la Paix de Yamoussoukro」(平和の聖母大聖堂)といい、ステンドグラスが見どころという。ウィキペディアによると、バチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂より大きく、世界最大の教会としてギネス記録にもなっている。

チケットを買って中に入ると、噂どおりステンドグラスが広がっていたが、ただ大きいだけで感動するようなものは何もわいてこなかった。前年の10月にスペイン・バルセロナで見たサグラダ・ファミリアが、太陽光を活かしつつ綺麗という一言だけでは表現できない何ともいえない世界を演出しているのと比べると、今ひとつだった。

それでも写真には収めておこうと思ったのだが、うまいこといかない。というのも、この国で強盗被害に遭って僕が使っていたスマートフォンも盗まれて以来、妻のゆっきーが残してくれていたiPhoneを使っていたものの、画面のタッチ感度が悪く、しかも使い続けていると症状が悪化しつつあって、全く操作できない時間が増えていた。

結局、iPhoneのタッチ感度の機嫌は悪いままで、撮れたのはこの1枚だけだった。

それでも、自分のまぶたには収めたのでいいとしよう。そう思いながら敷地を後にする前に、大聖堂の売店に寄ってみた。

そこには、コートジボワールのビール「IVORIAN」が売っていた。今までずっと気になってきた銘柄だが、ビン以外で売っているのを見た記憶がなく、買って帰るのもおっくうでまだ飲んでいなかった。

この日はほとんど食べ物を口にしておらず、すきっ腹に600mlのビールを入れて、いい気分になった。大聖堂には片言の日本語を話せるガイドさんがいて、敷地を出ていくときに声をかけてくれたのがまたうれしかった。雲一つないヤムスクロを市街地まで歩いて帰った。

この日は卵が食べたいと思っていて、ゆで卵入りのサンドウィッチを買って昼食にして、スーパーに行ってジュースやアイスクリームなどを買って宿に戻った。

部屋で横になるといつのまにか寝てしまい、起きたらすでに19時を回っていて、すっかり暗くなっていた。

地元住民も恐れるアビジャンのバスターミナルで

翌11日は朝早くから起き出して、近くのバス会社までチケット買いにいった。9時45分発と言われて、それに合わせて宿をチェックアウトして再びバス会社まで行くと、バスは30分あまり遅れてやってきて、さらにその30分後に出発した。

このバスを利用する人たちは皆、スマホなどを持っていて裕福そう。預け荷物を入れるときに、運転手から「アジャメ(Adjamé)で降りるのか」と聞かれて、他に知らなかったので「そうだ」と答えた。少し嫌な予感がした。というのも、このアジャメは僕が前回の滞在時、強盗被害に遭った地区だったからだ。

アビジャンで泊まる宿は、前回の滞在時の反省を踏まえてすでにネットで予約してあった。今回は宿のある地区にこだわった。高級住宅街が広がるココディ(Cocody)地区の中でも、ブッキングドットコムで見つけた、雑踏から離れた北の方にある一軒家の宿に泊まることにしていた。

バスは順調に進み、13時30分くらいにはアビジャンのヨプゴン(Yopougon)に到着しようとしていた。ここは強盗被害に遭ったあと滞在した地区で、前回の滞在時はヨプゴン発の長距離バスでリベリア方面に向かっていた。

ヨプゴンに着く直前、赤ん坊を連れたカップルの、女性の方から英語で声をかけられた。

「あなた、ここで降りないの?」
「降りたいけど、泊まる宿からは少し離れているんだ。だから、バスの運転手にもアジャメで降りると伝えているよ」
「アジャメは危険だから、そこまで行かずここで降りたほうが絶対にいい」
「アジャメはそんなに評判が悪いの?」
「あそこは犯罪に巻き込まれる可能性が非常に高い。だから、ヨプゴンで降りてタクシーを使った方がいい」

僕はその言葉に従って、ヨプゴンで降りることに決めた。地元の住民でさえこれだけ恐れるくらいだから、外国人の僕なんて、犯罪者からしたら格好のカモなのだろう。

その一家の後ろについて一緒に降りた。
「ところで、宿はどこなの?」
僕の宿泊先を地図で見せると、「方向が同じだから一緒にタクシーに乗っていく?」と提案してくれた。
「いいの?」
「もちろん」

僕の宿泊先は「Villa CB」というところで、この一家が電話で連絡を入れてくれて、先に彼らの家に寄ったあと、女性が英語が話せるというので僕の宿泊先まで着いてきてくれた。

宿があったのは、ガードマンが住宅街の出入口で不審者の侵入を見張っている、セキュリティーの強固そうな一角だった。その出入口の手前で僕は自分の分のタクシー代を払い、女性に感謝の言葉を告げて降りた。宿は看板が出ていなくて分かりづらかったけれど、何とか見つかった。

この宿では、日本に帰るまでの1週間を滞在する予定にしていた。空室の都合で最初の3泊はダブルルーム、そのあとの4泊はシングルルームを予約していた。

ダブルルームはスペースにゆとりがあり、バス、トイレもセパレートでホットシャワーも出て、エアコン付き、ネットも早くて快適と文句の付けどころがない。こちらの部屋にずっと連泊してもよかったかもしれない。

夕方から、外をしばらくうろついた。交通量の多い大通りがあり、道路に面してレストランなどもあったが、どれも気さくに入れる雰囲気ではなかった。

1本入った道を通ってみると、このあたりでは珍しく黒板に看板メニューと値段を記していた店があり、そこにふらっと入ってそれほど高くはないヤッサプレを注文したら、おいしいとまでは言えないものの、きちんとした味付けだったので安心した。

宿に帰ってからは、いつぶりだろうか、と思えるほどのネット三昧だった。さほど高くはない部屋ではあるものの、こういったところでメリハリを利かせると、心も体も楽になる。

快適な部屋暮らしからの暗転

アビジャンの滞在2日目と3日目は、近場と市街地を回って時間を費やした。市街地へ行く際には、宿から歩いていける距離にあるバスターミナルに行き、そこからガレ・スッド(Gare Sud)行きの路線バスに乗って終点まで行った。そこは中心市街地のプラトー(Plateau)で日本大使館も近かった。しかし、同じ市内というのに交通事情も良くはなく、宿から優に1時間はかかった。

宿の方面に帰ってくると、それなりに遅い時間になっていた。

宿の居心地のいい部屋で過ごすのも滞在3日目が最後の日となり、屋台とスーパーとパン屋で晩ご飯の食料を調達して、セルフの部屋食とした。

翌日は部屋を変える日だった。一旦、荷造りをして正午前にダブルの部屋を出た。すると、若い女性がこの日から僕の入るシングルの部屋をまだ掃除していたので、荷物を預けて外出することに。

すでにチェックしていた店「Restaurant Vietnamien Chez Kevin」で昼ご飯をとることにした。

この店はその名のとおりベトナム料理店。前回、アビジャンに滞在した1月下旬には、最初に泊まったトレッシュビル(Treichville)にある別のベトナム料理店で食事しようとしたが、長期休みと重なっていて諦めざるを得なかった。それがずっと心残りになっていた。1月下旬はベトナムの旧正月・テトからは外れていたはずだが、なぜ閉まっていたのかよく分からない。ひとまず、今回は別の店での再挑戦、リベンジという形だ。

気温は暑かったものの、ベトナム料理店に来てまず試したいものといえば、やはりフォーだろう。コーラとともに注文したが、注文した食べ物も飲み物も、量がもの足りなかった。

続いて、バスに乗って市街地を散策することに。普段、路線バスを利用するときにはSOTRA社(アビジャン交通公社)のバスに乗っていたが、今回は「Wi-Bus」とロゴがあしらわれた小型のバスに乗ってみることにした。どうやら、Wi-BusはSOTRA社がWi-Fiも使えるバスとして鳴り物入りで導入したものらしい。ちなみに、前回のアビジャンの滞在で乗った水上交通の渡船を運営しているのもSOTRA社で、まさに同社はアビジャン市民の生活の足を担っている。

宿の近くを通っていた701番のバスに乗ってみたが、バス路線は特に面白くもない生活路線だった。目玉のWi-Fiもつながらなかった。終点で降りて、しばらく街歩きをしながら撮ったのがこちらの写真。こういう高規格の道路があるところがアビジャンの特徴で、日本の首都圏の道路を思いだした。

別の系統のWi-Busに乗ってみると、宿の近くまで帰ってこれた。こちらの沿線には木々がそこそこあって、リベリアのハーパーのような寂れた雰囲気の区画もあってなかなか楽しめた。

宿に戻って、シングルの部屋に移ると環境が一変した。前日までの部屋と比べるとWi-Fiのつかみが悪く、ストレスがたまった。

夜になって再び外に出て、アビジャンに着いた日にも行ったレストランでヤッサプレを頼んだ。見た目はそれほどいいとも思えなかったが、この前よりおいしかった。

部屋に戻り、Wi-Fi電波を気にしながらパソコンを使った。この宿に来てからはWi-Fi環境が整っていたることもあり、パソコンに向かいながら過ごす時間が長くなっていた。

日本にいる親族に連絡をしたり、この先のことをいろいろと考えたりもして、今を生きていない感が強い自分の基盤はどこにあるのだろう、と思う。身近には誰とも話ができていないし、悩みを相談できる友人もいない。

夜、義母とやり取りしていて、がんで闘病している義父が前日から入院していることを知った。義父の入院自体はこれまでも何度もあり、僕が仕事を辞めて旅に出るまでの間には、通院先への自動車送迎を担ったことも何度もあった。だから、入院自体はさほど珍しいことではなかった。

しかし、今回の入院理由は「輸血のため」という。これまでに聞いたことのなかった理由だった。どうやら、これまでとは違うレベルで悪い方向になっているのは間違いない。今回の入院では退院がいつになるのか分からないらしく、帰国後すぐにお見舞いにいくと連絡した。

翌日には、義父に関してさらなる連絡が舞いこんできた。風雲急を告げていた。

旅の情報

今回の宿

Villa CB
ツイン 3泊 39,000セーファー(約7,400円) シングル4泊(予定) 40,000セーファー(約7,600円)
設備:専用バスルーム、専用トイレ Wi-Fiあり
予約方法:Booking.com
行き方:ココディ地区にある交差点「Carrefour Mandela」から北東に歩いて3分。
その他:前回のアビジャンの滞在時、最後に泊まった「Détente Hôtel」と同じくらい快適な宿だった。民家をそのまま宿泊施設に流用したような部屋割りだったが、それぞれの部屋に専用バスルームがついていた。

訪れた食事処

アビジャン・ココディ地区の店名不明の食堂
注文品:ヤッサプレ 2,000セーファー(380円)
行き方:Carrefour Mandelaから南に4分。大通りから1本東に入った道にある。
その他:僕が訪れた際には、他に客はほとんどいないようだった。大通りの喧騒を避けたようなところに店があり、看板は出ておらずパッと見では分かりづらかった。料理はヤッサプレばかり頼んだが、味は安定していなかったと思う。

Restaurant Vietnamien Chez Kevin
注文品:フォー、コーラ 4,000セーファー(760円)
行き方:Carrefour Mandelaから西に3分。大通りに沿った道の北側にある。
その他:ベトナム料理レストランとして店構えはしっかりしていた。具材や味は本場とはかけ離れていると感じたものの、食べられないレベルではない。西アフリカまで来て多くを求めるのは難しいのかもしれない。