ロシア その4 ワールドカップの試合会場に立つ!

僕たちチームシマは6月28日朝、ロシア南西部の産業都市、ボルゴグラードに降り立った。この日は、サッカーのロシアW杯H組グループリーグ第3戦、日本対ポーランドが17時にキックオフ。

ホームには早速、ポーランド国旗を手にしたサポーターの姿も。

彼らは意気揚々とどこかに向かった。僕たちも予約していたモーテルへと向かった。宿の看板が見当たらず、予約したのが3月だったので、ひょっとして廃業したのかと思い、しばらく戸惑った。宿の出入口が建物の2階にあることが分かり、階段を上ると普通に営業していて、荷物を置いてまずはスタローバヤで腹ごしらえ。南の方に来たからかとにかく暑く、宿に戻ってくると妻のゆっきーは早々にダウン。ロシア鉄道では冷房がガンガンに効いていたこともあり、落差が激しかったか。ともあれ、15時すぎから準備して宿を出発。

無料バスで会場近くまで行き、そこから歩きはじめると、日の丸をまとった日本サポーターの姿が目に留まった。

中田のユニフォームを着た金髪の女性も。少なくとも12年前のものだ。よほどのファンなのか。

民族音楽を披露している人たちもいて、会場にたどり着く前からお祭り気分を味わえた。

ようやく会場に到着、高値で売られていた飲み物を買って階段を上がる。

浴衣姿の日本人のカップルもいた。このお2人、同じ宿に泊まっていて、「会場で会いましょう」と挨拶していたものの、4万人以上が入ったスタジアムでこうも簡単に出会えるとは。

サッカーや野球を見にいくと、最も心躍る瞬間が通路から観客席へと入る時。この高揚感を味わうためにスタジアムまで通っているのではないか、と思うほどだ。ここ10年近く、ヴィッセル神戸のサポーターをしているが、日本代表の試合を見るのは初めてだった。

訪れたのが試合開始時刻に近かったからか、観客席はよく埋まっていて、周囲は日本のサポーターが多かった。否が応でも気分が盛り上がる。出発ギリギリまで寝ていたゆっきーも、お祭りムードの楽しさに触れてか、もっと早く会場まできていたらよかった、と話していた。

両チームの入場セレモニーが始まり、試合開始。この試合のハイライトは、物議を醸した「負けていながら時間稼ぎのパス回しをする」日本代表の姿だった。後半の最後、長谷部が交代枠の3人目として投入され、パス回しが露骨になると、会場は大ブーイング。これまでブーイングの場面は数えきれないくらい目にしてきたが、ワールドクラス、世界一流とはこういうことなんだな、というくらい、会場全体が迫力のあるブーイングで盛り上がった。

試合終了直後、両手を広げて不満の意を表す観客の男性。結局、試合は0対1で日本がポーランドに負けたものの、別会場の試合結果により、わずかな差でセネガルをかわして決勝トーナメントに進んだ。

チームシマも記念ポーズ。ゆっきーは試合観戦が思いのほか楽しかったようで、結果はともかく笑顔満面で浮かばれた。当時、書いた記録の中に僕の生々しい思いが残っている。

「ここまであからさまな時間稼ぎと、相手チームの忖度は見たことがなかったです。相撲で言えば無気力相撲のようなもの。必要悪なのかもしれないけれど、見るものに不快感を与えてくれます。」
「次の決勝トーナメントの勇姿よりも、目の前のゴールがみたかったんや~嫁さんとゴールを喜びたかったんや~!」

1年後の今となっては、むしろ歴史的な試合を目の当たりにできたという思いが圧倒的に強い。

帰り際、HISのツアーで来ていた人たちと遭遇。チームシマの旅とこの人たちのツアーとは、試合観戦という部分で点として交わっただけで、それ以外に接点はただの一つもない。僕たちの最大の楽しみがこの試合だったなら、どういう思いになっただったろうか。まあいい、感じ方は人それぞれ。自分が楽しみたいように目の前のことを楽しめばいい。

翌日、宿を移った。モーテルの主人がチームシマ2人分のバックパックをひょいと持ってタクシーまで運んでくれた。旅の間に出会った中で最も力持ちの人だった。

ボルゴグラード2泊目は、この旅で初めてとなる民泊。駅まで歩いていける距離にあり、立地条件が良かった。予約サイトの「ブッキングドットコム」で3月中に予約していた。キッチン、ダイニングにバスルームがあり、きれいで広くて過ごしやすく、この先しばらく、民泊するときはボルゴグラードの宿の影を引きずることになった。

夕方、食料品の買い出しをしつつ街を歩いていると、すでにロシアW杯グッズのディスカウントが始まっていた。確かに、ボルゴグラードでの試合は前日でおしまい。それでも昨日の今日というのに、売れ残りのクリスマスケーキのよう。時の流れは残酷なものだ。

翌朝、ボルゴグラードを出て、2度目となるFIFA号に乗り込む。

今回は同室の人が1人いて、チームシマが入室したときから太ったおなかを出して寝ていた。このあと24時間ほど、1度も会話を交わすことがなかった。

何度も使ったロシア鉄道の寝台列車もこれで最後。クーラーがガンガンに効きすぎるので、支給されたタオルを天井にある通風孔に挟んで風を減らす。ロシア号で同室の父子に教えてもらった技だ。

ロシア鉄道やそれ以外の場所で何度か遊んだLaysのポテトチップスのパッケージ。こういう仕掛けは面白い。

朝は晴れていたものの途中で雨が降り、そして虹が見えた。

翌朝、ロシアに入国してから12日目、7月に入って最初の日、ロシアの首都モスクワに着いた。ウランバートル以来の一国の首都だ。