意外なように思えるが、ウクライナはロシアに次ぐヨーロッパ第2の広い国土を持っている。その国土を東西軸で見ると、首都キエフは国の真ん中の辺りにあり、リヴィウは西端になる。
リヴィウはポーランドやオーストリアに編入されていた時代が長く、西欧にも近い。一方で、かつてあったキエフ公国はモンゴルに滅ぼされ、その後、リトアニア・ポーランドの影響圏に入り、ロシア帝国が引き継いでいった。国際問題となっているウクライナ東部は中世以降、モスクワ大公国の領域になっていったとされ、リヴィウとは比較にならないほどロシア色が強そうなことが想像できる。
リヴィウでは滞在時、トラブル続きでじっくりと街について思いを巡らせる心の余裕がなかったものの、訪れた後には、同じ国なのにキエフとは街のカラーがかなり違う、と感じた。
キエフからリヴィウに向かうバスは11時に出発。20時ごろには着く予定で、途中までは順調だった。が、しかし!
リヴィウまで6、7割ほどやってきたところで今回の第1のトラブル、車両故障が発生。まだ空は明るいものの、時刻は18時過ぎ。
どうやらエンジン回りの問題らしく、深刻そう。道路脇の歩いてすぐのところにガソリンスタンドがあったので、妻のゆっきーとしばらく休憩。しかし、簡単には直りそうになかった。
ガソリンスタンドとは反対の道路脇の草むらには小屋があり、乗客の男の人たちが中に入っていく姿が見えたので、様子を見にいった。すると、窮屈そうに集まりながら、こそっと酒盛りする男たちの姿が。僕もアルコールや食べ物をいただいた。言葉はあまり通じないものの、同じトラブルを共有する仲間だけあって、すぐに打ち解けられた。
そろそろ車の修理が終わりそう、というころになって外に出てきて、記念撮影。2時間あまりの立ち往生だった。気を取り直して出発。
リヴィウに着いたのは23時前。鉄道駅で降ろされ、予約していたホステルまでタクシーで向かおうとした。ここで第2のトラブルが発生。キエフに続いてUBERでタクシーを呼び、運転手とはスマホで合流場所をやりとりしたものの、もともと適当に仕切られていたバスターミナルの位置関係は、夜でさらに分かり辛くなっていた。
それでも粘り強く交渉して何とか合流できて、ようやくリヴィウの中心市街地へ。宿には迷わずに着けて、深夜帯でもすぐにチェックインできた。部屋に落ち着いた頃には日付が変わろうとしていた。
翌日はリヴィウの街をゆっくり散策して過ごした。リヴィウ(Lviv)の語源となった「Lev」には、ウクライナ語でライオンという意味があり、街中のあちこちでライオンをモチーフにしたものを目にした。これはごみ箱。
キエフでも訪れたウクライナ料理店「PUZATA HATA」で昼ご飯を食べた。セルフサービスで好きなものを取って精算、食べる仕組みで、ロシア以降おなじみのスタローバヤ形式。キエフでは1度行ったきりだったが、リヴィウでは雰囲気が気に入り、宿で自炊できなかったこともあって滞在中、毎日訪れた。
土産物屋では、ロシアのプーチン大統領グッズが目に付いた。それも、トイレットペーパーやフロアマットなど、大統領の似顔絵でお尻を拭いたり、似顔絵を踏みつけたりと、いわくつきのものばかり。当地でのロシアの嫌われ具合が伝わってきた。
日が明けて7月最終日、この日も街歩きをしていると、花嫁衣裳を着た女性を発見。
顔やスタイルから判断して、明らかにモデル。スチール撮影のようだった。ウクライナには美人が多いと聞いていたが、「本職」は街を行き交う人たちとは違って、放っているオーラが強烈だった。そうはいっても、このモデルがウクライナ人なのか別の国の人なのかは、僕には一見するだけでは分からないわけだが。
昼ご飯を食べて、今度は僕1人で散歩に出かけた。まず向かったのは、リヴィウ大学のキャンパス。中庭に建てられている「バックパッカー記念碑」というモニュメントを見にいった。ザックに寝袋、靴などが備え付けられてあり、まるで本物のよう。モニュメントが位置しているのは地理学部の敷地内のようで、学問的な探究心をくすぐられそうな、ユニークな仕掛けだった。僕が学生ならこんな雰囲気のところで学びたい。
この大学の近くにはトラムの停留所があり、トラムとバスの連なる姿をのんびりと見入ってから、リヴィウの鉄道駅まで向かった。この後、トラムをめぐって自らの身に事件が降りかかるとも知らずに。2日後に予約していたポーランド行き長距離バスの乗車場所がよく分からなかったので、あらかじめ現地で下見しておこうと考えたのだった。しかし、それは裏目に出た。
ウクライナのトラムでは、乗車して運転士などから切符を買った後、壁に据えられたパンチ穴の機械で切符に穴を開け、有効化しなければならない。他の国でこういったシステムがあったときは大抵、タイムレコーダーのような機械で切符に利用日時が印字されて戻ってきたが、ウクライナではもっと原始的だった。
車内移動ができないくらい混み合った車内で、乗客がバケツリレー形式でお金を渡して運転士から切符を買っている流れに沿って、僕も切符を購入。パンチ穴の機械には近づけなかったのでそのまま切符を持って乗車していた。そして、終点の鉄道駅前の停留所まで近づいてきて多くの乗客が降り、車内が少し空いた。その後で太ったおばちゃんが声をかけてきた。切符を見せろ、というのだ。
そのおばちゃんは「コントローラー」と呼ばれる検札係で、見回りして無賃乗車している客がいないかどうかをチェックしていた。僕が切符を差し出すと、「穴が開いていないから無効だ。罰金を払え」と言ってきた。
「身動きが取れなかった」「切符はちゃんと買ったよ、彼(リレーで切符を渡してくれた近くの乗客)が見ている」「これだけ混んでいるから、押せない人もいるでしょう?」と言っても聞き入れられず、「罰金を払うか?それとも警察に行くか?」と情け容赦なかった。最終的には、「(罰金の)100グリブニャを払え!」と耳にタコができそうなほど連発。コントローラーはしばしば外国人を標的にするという話をネットで見ていたが、自分がターゲットになるとは。街に西欧風の遊び心を感じながら、平穏に旅していた前日に戻りたい。
リヴィウで3回目にして最大のピンチ。100グリブニャは日本円でいえば420円、大したことのない額だが、1回の運賃が5グリブニャということを考えると乗車20回分。日本なら罰金10,000円くらいの感覚だ。近くの乗客も「残念だがルールだ」と言って、僕を哀れそうな目で見ていた。警察に行っても勝ち目はなさそうだが、このおばちゃんの雰囲気からして、罰金を支払っても恐らく公金にはならず、おばちゃんの懐に入れられてしまうだろう。このおばちゃんには払いたくない。そう思った。
言い合いをしているうちに次の停留所に着いた。とっさに、おばちゃんの腕をすり抜けてトラムを降り、走って逃げた。フルマラソンを何度も完走してきた足だ。自信はあった。シチュエーションはかなりショボいが、アクション映画のような気分だった。何分経っただろうか、後ろから誰かが追ってくる気配はなく、走るのを止めた。鉄道駅に行くのは諦め、今度はバスに乗っておとなしく宿に戻った。
宿に戻ってゆっきーに状況報告すると、決して褒められない犯罪行為だったにもかかわらず、慰めてくれた。外は通り雨が降ってきて、タイミングとしては幸運だったかもしれない。雨が止んだ後、気を取り直して今度は2人で外出。目的地は、キエフでも通ったお店「LVIV HANDMADE CHOCOLATE」。
リヴィウの建物はかなり年季が入っていて、階段からの眺めが楽しかった。
チョコレートも、安定したおいしさで心を和ませてくれた。
一夜明けて、3泊の予定だった宿を出て、ブッキングドットコムで1泊で予約した別の宿まで向かった。ところが、ここで第4のトラブルが発生。宿が入居している建物まで行ったものの、ドアが開いておらず、電話で連絡すると「オーバーブッキングで泊まれない」という。しかも、相手が「キャンセルは無料だ。別の宿をあっせんする」と話しているのに、ブッキングドットコムのサイトでキャンセルしようとすると、1泊分が請求された。
元にいたホステルに戻り、事情を説明すると「別の部屋が空くので、しばらく待って」と言われて待つことに。今度は僕1人であっせんされた宿を見にいき、そこのマネージャーを通じて、この日、宿泊予定だった宿に1泊分のキャンセル料が発生しないよう連絡、手続きをしてもらった。あっせん宿は不衛生に見えたので予約せず、元いたホステルに戻ってくると、待っていたのは第5のトラブル。部屋が結局、空かないことになったのだった。
この日の暑さも相まってゆっきーはすでに疲れ果てていて、僕1人で近場のホステルを当たってみると、何とかそこに滑り込むことができた。部屋はきれいで、ようやく一息つけた。
何かと振り回されたこの日も、チョコレート屋で一息。連日のチョコレートでさすがに飽きがきていて、2人そろってケーキを食べた。
翌朝、トラブル続きのリヴィウもこれで最後、と街をぶらぶら。早めの昼ご飯を食べて鉄道駅に向かった。駅で長距離バスに乗り、国境を越えてポーランドのクラクフに向かおうとしていた。しかし、最後の最後に第6のトラブル。この前からの不安が的中し、バスが見当たらなかった。しかも、どんな色のバスなのかもさっぱり分からなかったので、チケットに書かれたバス会社名を頼りにネットで検索すると、黒っぽい車体かもしれない、ということが分かった。
出発予定時刻の12時30分が過ぎ、広い敷地内に点在する停留所間をあちこち歩いてバスを探しているうちに5分、10分と時間が過ぎていき、焦りばかりが募った。バスはリヴィウが始発ではなかったものの、始発の街からそう離れていないので、20分や30分も遅れるとは考えにくい。見つけられない間にとうとう置いていかれたか、このトラブル続きのリヴィウに足止めされないといけないのか――。乗れなかったらその時はそれまで、と悠然と構えていたゆっきーとは裏腹に、そうやって落ち込んでいると、黒いバスがやってきて、数百メートル離れたところに止まった。
あのバスではないか、と一目散に駆けていくと、待ち望んでいたバスだった。13時すぎに出発、ポーランドに向かった。