ポーランド その1 歴史の光と影を考えさせられる

多くのトラブルに見舞われたウクライナを離れて、向かった先はポーランドの古都、クラクフ。11世紀から16世紀末にかけて首都が置かれ、第二次世界大戦の戦禍も免れて歴史的な街並みが残る。1978年にユネスコの世界遺産の登録が始まった際、最初に選ばれた12件のうちの1件でもあり、その評価は非常に高い。

一方で、クラクフは第二次世界大戦期にはナチス・ドイツによってユダヤ人の追放、隔離、移送が大々的に行われた都市でもあり、映画「シンドラーのリスト」の舞台にもなっている。悪名高いアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の跡地も半日ツアーで一通り見て回れる距離にある。

そんな歴史の両側面を併せ持つクラクフを訪れてみると、旧市街は散策しやすい明るくて魅力的な街だった。アウシュビッツ=ビルケナウも、訪れた日は晴天に恵まれて、あまり悲惨な印象は受けず、それがかえって痛々しさを僕の心の中に響かせた。妻のゆっきーは、夏空と暗黒の歴史のギャップにひるんだそうだ。

クラクフは、見て感じて、自分の中で思いを巡らせる、あるいは自分の思いについて誰かと話し合うのに適した都市だと思う。チームシマの2人は訪れなかったものの、クラクフにはシンドラーの工場もあるし、最初に登録された世界遺産12件のうちの別の1件「ヴィエリチカ岩塩坑」もクラクフから日帰りで行ける。3泊4日では足りず、もっと長居したかった。

ウクライナ・リヴィウから長距離バスが出発、クラクフへと向かった。日本人バックパッカーで評判になっているリヴネの「愛のトンネル」に行けなかったことは少し心残りだった。キエフからリヴィウに向かうバスのルート上にリヴネの街もあったものの、写真映えする景色を求めて、1泊かけて沢山の蚊と対峙しながら訪れるほどでもないな、と思っていた。ウクライナでは何かに憑かれたかのように良くないことばかり起きていたので、向かわなくて正解だったのかもしれない。

出発時には薄曇りだったのが、雨が降ってきた。国境付近で雨が激しくなり、外を見ると洪水のような状態に。

国境を越える頃には小康状態になった。約2週間ぶりにEU圏まで戻ってきて、ホッと一息。ベラルーシから続いていたキリル文字からアルファベットに変わり、気分も新たにした。

クラクフでの宿はホステルで、バスターミナルから歩いて行ける場所。20時ごろには到着したものの、現場には大きなビルがあるだけで看板も表札も出ていなかった。何かの間違いなのか。

と思っていたら、近くにいた親切なお兄さんがホステルの電話に連絡してくれて、オーナーがビルの中から出てきて案内してくれた。まだ経営し始めて間もないらしく、看板などは整備できていなかったという。

外まで晩ご飯を食べにいって、雰囲気のある店で乾杯。この日は長距離バスを捕まえるまで気苦労があったからか、疲れた顔。

帰りに寄ったスーパーで見かけたカップめん。「OYAKATA」って、何の親方?この言葉には、料理人の世界よりも大相撲や大工などのイメージが強い。

翌日は、数日前にネット予約したアウシュビッツへの日帰りツアーに行くことになっていた。早起きした僕1人で鉄道駅まで行き、ショッピングセンター内でSIMカードが売っている店を見て回った。

各国の国旗のワッペンが付いたリュックを背負っているバックパッカーらしき男性がいて、どこの国の出身なのか気になった。右隣にいた彼女がブラジル国旗しかつけていなかったので、おそらくブラジル人だろうと想像した。

宿の付近は前日の夜と打って変わってにぎわっていて、宿まで帰ってくると、建物のドアの前で商売している人も。

宿からの眺め。中央から右に広がるのは地元の人がよく利用していそうなローカルな市場だった。

今度は2人でお出かけ。昼過ぎからのツアーの集合場所まで行く途中で昼ご飯を食べた。ラフな雰囲気の観光客の姿が多く、EU圏に戻ってきたことを実感した。

アウシュヴィッツへのツアーバスは多国籍の人が乗っていて、英語ガイド付きだった。2時間ほどで現地に到着、まずは第一強制収容所へ。

有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文言が刻まれた門。青く晴れ渡った空との対比が何とも言えない気持ちにさせた。

ナチスが犠牲者から奪った靴の山。メガネ、髪の毛なども展示されていた。

監視塔と高圧電流付き有刺鉄線と「止まれ」の標識。絶望しか見えない。

次に、第二強制収容所へ。奥に見えるのが出入り口で、鉄道の引き込み線が残っていた。

ナチスが証拠隠滅のため破壊したガス室などの施設。

当時のまま残っている施設群もあった。建物の中にも入ったが、地面は舗装されておらず、土がむき出し。当時の様子が想像できて、異様な雰囲気が漂っていた。

アウシュビッツを覆っていたのは恐怖心だった。人間が誰でも持っている恐怖心だ。今やネットで様々な情報に接することができる時代になっているが、現地では、写真などではなかなか伝わってこない、その場所でなければ実感できないものが存在していたように思う。

また2時間ほどかけてクラクフに戻った。

この日の夜、スーパーで見かけた飲み物「武士道」。前日の「OYAKATA」といい、日本ではまず商品名にならなさそうな、微妙な日本語を絶妙に突っ込んでくる。

翌日は旧市街を2人で散策。アウシュビッツとあまりにも違っていて、眩しかった。

宿近くのローカル市場も歩き、チーズなどを買い食い。明るい雰囲気だった。

観光客を載せた馬車も華やかだった。

昼ご飯を挟み、今度は1人で散歩。昼下がりには大規模な自転車レースが開催されようとしていて、選手と大勢の観光客で中央市場広場の付近はにぎわっていた。

スタートの号砲を聞いた後、ヴァヴェル城まで歩いていった。16世紀までポーランド王国の国王の居城として使われていたそう。川が近くにあって、牧歌的な光景が目に入った。

城内にある大聖堂。敷地内は無料で入れて、この日も快晴だったことを差し引いても素晴らしい空間だった。この後、ユダヤ人居住区のカジミェシュ地区へ。

シナゴーグが点在し、歴史のある建物の壁面アートにヘブライ文字も。地区には、独特の雰囲気と緊張感を感じた。

地区内にある、クラクフでも名の知られたアイスクリーム店にも足を運んだ。

添加物不使用というアイスクリームはとてもおいしくて、ゆっきーと一緒に来れなかったのが残念だった。代わりに、チームシマのもう1人のメンバー、ロバ太郎とともに撮影。

翌日の午前、後ろ髪をひかれながら、首都ワルシャワに向けて出発した。