プラハの夏は絶不調&好調

世界で一番美しい街、世界で最も美しい図書館、世界で最も大きい古城……。チェコのプラハは旅を始める前から訪れるのを楽しみにしていた都市だった。実際に行ってみると、古さとはまた別の薄汚れた建造物がちらほらあり、ホームレスが多くて土下座して金をもらおうとしている人たちの姿も見られ、思っていたよりも街の雰囲気が暗かった。

妻のゆっきーは終始、頭が重く具合が悪かったようで、あまり外出せず、ここまでの旅で最大の不調に陥った。一方、僕は特に街との相性を気にすることもなく、気ままにまち歩きをしながら、ベルリンの余韻にも浸る日々だった。

ちなみに、「シマ人」の「はじめに」の投稿にアイキャッチ画像(記事一覧ページに配置されているサムネイル画像)として使った写真は、投稿時にたまたま見つけたものを貼っていたが、旅の記事を書きつつ写真を整理していくと、ベルリンで僕が撮影したものだった。期せずして、ベルリンへの思い入れが表れていたようだ。

プラハには、冷戦時代の「プラハの春」のような、旧東側陣営の悲劇を感じさせるものは一部しか残っておらず、ひたすら中世、近代までを意識させられた。チェコスロバキアが社会主義国になってから民主化を経て、チェコとスロバキアの2か国に分かれるまでの間は、歴史の暗部としてあまり触れてほしくないのかもしれない。

ベルリンの宿からSバーンに乗り、中央バスターミナルへ。バンザイするクマのデザインもこれで見納めか。

今回はクラクフ、ワルシャワに続いて3回連続で長距離バスの「フリックスバス」を予約。昼過ぎに出発し、5時間ほどでプラハに着き、そこからはバスで宿のある地区まで移動。宿はベルリンに続いてエアビーアンドビーで予約した。

着いてみると、建物の1階ワンフロアをエアビー用に仕立てていて、民泊というよりはホステルかゲストハウスといった雰囲気。廊下に出ると洗剤や柔軟剤といった化学薬品臭がして、清潔ではあったのだが、化学物質に強くないゆっきーはそのにおいにやられてしまったのかもしれない。

宿の近くのスーパーで買い物。天ぷらうどんのカップ麺を見つけた。英語とともに書かれていたのが日本語や中国語ではなく、韓国語だったことが少し引っかかった。韓国語を使う人の需要が多いのだろうか。

宿の近くにあった大学の敷地内には、チャーチルの銅像が建っていた。なぜイギリス人の彼がチェコに? と思って後で調べてみると、第二次世界大戦中、英国には当時のチェコスロバキアの亡命政府があった。

プラハを占領していたナチス・ドイツの高官を暗殺する「エンスラポイド作戦」が実行され、作戦は成功したものの、ナチスは報復として現地で約13,000人を殺害し、いくつかの村を壊滅。当時の英国首相・チャーチルがこれに激怒して、壊滅された村1つにつきドイツの村3つを破壊することを提案したという。この作戦は、何度か映画の題材にされているようだ。

そんなことは知らず、大学の構内ではチームシマで記念撮影。20時を回っていてもまだ日は暮れておらず、長い影が日本の晩秋や冬を思いださせた。

翌日はプラハの街を2人で見て回る予定だったが、ゆっきーは不調だったため僕1人で外出、街の様子を報告することに。すると、いきなりパレードにぶち当たった。性的少数者、LGBTの支援を目的に欧州などで広がっている運動の一環で、「プラハ・プライド」というイベントのプログラムに含まれていたらしい。

虹色の旗がLGBTの社会運動の象徴で、この日、グーグルマップを見ているとパレードコースが虹色の線で示されていた。心憎い演出だった。

プラハ旧市街の見どころの1つ、火薬庫。

大勢の人でにぎわう旧市街広場。プラハの旧市街はどことなく暗い、うらぶれた雰囲気もあったが、この広場は見て回っているだけで楽しめた。

ワルシャワでも見かけたような不思議な大道芸。

レコードをくり抜いたアートを売っている店。

これはチェコの伝統菓子「トゥルデルニーク」。パン生地を焼いて砂糖をまぶす、あるいは砂糖をまぶしたパン生地を焼くようなイメージ。中は空洞だったり生クリームを入れたりする。

旧市街の中にあった「ハヴェルスカー市場」は観光客向けの露店でにぎわっていた。

チェコにしかない建築様式というキュビズム建築の代表作「黒い聖母の家」を見てから宿に戻った。

少し調子を取り戻したゆっきーとチェコ料理を食べにいった。僕が頼んだメニューはアメリカのハンバーガーのような見た目。

ゆっきーはそれよりあっさり目。食事を済ませ、会計をすると、店を仕切っている男性から釣銭として小銭がジャラジャラと返ってきて、チップを寄こせと言わんばかり。この店がたまたまそうだったのかもしれないが、心の豊かさについて考えさせられた。

夜、1人でスーパーまで足を運ぶと、主要駅の1つ、プラハマサリク駅の前をトラムが通過した。ヨーロッパの空気感を味わった瞬間だった。

翌日はチームシマの2人でお出かけ。プラハ本駅の前の巨大ウインナーと映りこんだ。

郊外にあるチェコ料理店「ウ・クロカ」へ。この店は前日と違って料理、サービスともとても満足した。

観光地として外せないプラハ城にも行った。茶色の屋根が広がるプラハ市街を見渡せる場所で記念撮影。

城内にある聖ヴィート大聖堂。歴史の重みが伝わってきた。

別角度から。

入場待ちの間、寿司柄のシャツを着ている女性が。ゆっきーがかわいいデザインをとても気に入っていた。

内部はステンドグラスが幻想的だった。

プラハ城では衛兵の交代式も見ることができた。所作はさほどキビキビしている印象ではなかったものの、かなり間近で見られて感動。

旧市街に向かう途中でトラバントを発見。車高を低く落としていて、オールドカーの良さが消えているように感じた。

前日も見たトゥルデルニークを食べてみることに。甘いものが好きな身として、アイスクリームを載せたものを買った。持ち帰りのみで1個120コロナ(約600円)は、少し高いようにも感じたが、日本の感覚でいえばこんなものか。店には、甘さにつられた蜂が集まっていたのが印象的だった。

最初は喜んでいたものの、ボリュームがありすぎて途中から味に飽きてきた。どうにか食べきった。

宿に戻り、夜には1人でプラハの夜景を見にいった。また調子が悪くなっていたゆっきーは留守番。これは旧市街広場から旧市庁舎を見たもの。22時30分ごろでも多くの人が集っていた。

ブルダバ川からプラハ城を眺めた。「ブルダバ」はチェコ語で、ドイツ語では「モルダウ」という。プラハにいる時には、スメタナの名曲「モルダウ」のような美しい世界を感じることはできなかったものの、改めて写真などで見ると、歴史的な街の姿は貫禄が十分だと思う。

旧市街の真ん中あたりに戻ってくると、「KOBE」という名のレストランが。神戸出身の身として、以前にウクライナでオデッサに行こうとしていたとき、「Kobe」という日本料理店があることはチェックしていたが、プラハではノーマーク。虚を突かれた。

寿司もステーキもあるといえば、神戸ならば「なんやそれ?」という感じだろうが、ここはプラハ、チェコでは数少ない貴重な日本料理店。しかも、店名がKOBEで、提供している料理がステーキともなれば、否が応でも神戸ビーフが思い浮かぶ。いい線を突いていた。お店には入らなかったけれども。

翌朝、プラハからオーストリアのウィーンに向かうためバスターミナルへ。目の前に座った少年が「東京 JAPAN」のシャツを着ていて、思わず写真を撮ってしまった。どこで手に入れたのかは聞けなかった。