芸術以外に小ネタも楽しめる街ウィーン

おそらく、オーストリアの首都ウィーンに観光に来る人は、クラシック音楽をはじめとする芸術鑑賞に興味がなければ物足りなさを感じるかもしれない。ウィーンは中世からの大都市でありながら、誰もが訪れたがるような名所、旧跡があまりないように感じた。その華やかなイメージとは裏腹に、街からは歴史の積み重ねを体感しにくいのだ。妻のゆっきーは「ハードを楽しむというよりは、ソフトを楽しむ街」と感想を漏らしていたが、その通りだったと思う。

前回も少し触れたとおり、ウィーンは物価が高めで、特に外食は値が張った。一方で、買いたいものが何でも揃いそうな、買い物に適した街でもあった。前から探していたトラベルシーツが簡単に手に入り、バターオイルの「ギー」(Ghee)やミルク泡立て器も買うことができたし、スーパーでは日本の食材も手に入れやすそうだった。

そういった点では、日本人の感覚からすると暮らしやすい街なのかもしれない。実際に街を歩いていると日本人をよく見かけた。ただ、ウィーンの夜は早く、大半のスーパーが20時で閉まるのは不便に感じた。

オーストリアでは日本との2国間協定があって、日本のパスポート所持者はビザなしで最大180日間滞在できる。ヨーロッパのシェンゲン協定加盟国では、連続する180日間で最大90日間までしか滞在できず、オーストリアは加盟国でありながら滞在可能期間は2倍。どういう経緯があったのかしらないが、日本国籍の人は優遇されている。

協定非加盟国のイギリスでも、日本国籍があれば6か月以内の滞在がビザなしでできることにはなっているが、入国審査が非常に厳しい。目的が何であれ、イミグレーションで入国時、説明するときに問題とならないのは3週間から1か月くらいだろう。ノービザの状態で「6か月滞在したい」と言おうものなら、入国拒否される可能性は一気に高まる。

2019年8月現在、ヨーロッパでこの2カ国以上にビザなし滞在の規定が長いのは、1年間も滞在できるジョージア(旧グルジア)のみ。同国では、就労も許可されているようだ。他には、ジョージアの隣国アルメニアで180日間のビザなし滞在が可能らしい。

さて、あわやスロバキアに置き去りか、という事態があった翌日は、僕1人でウィーンの街を見て回ることに。バルト三国を過ぎたあたりから、このパターンが顕著になってきた。

向かったのは、ウィーン郊外にある集合住宅「カール・マルクス・ホーフ」。オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊した第一次世界大戦後に建てられた大規模な住宅で、全長1.2キロという。

この巨大さが共産主義を思い起こさせたが、調べてみると、社会民主主義の政党がウィーン市政を担っていた時期のものだった。オーストリアにはその後、ファシズムが浸透、ナチス・ドイツに併合されて第二次世界大戦を迎え、戦後は連合国による占領を経て独立回復、永世中立国を宣言するという複雑な経緯をたどっている。

この集合住宅を往復する途中、メトロに乗っていて、おとぎ話かアラビアンナイトか、というようなデザインの建造物を見つけた。この建物は初めて見たのに既視感があった。大阪・舞洲にあるごみ処理施設と瓜二つ。

調べてみたら、やはり両方ともオーストリアのフンデルトヴァッサーという建築家が設計したものだった。氏はすでに故人で、彼の設計によるごみ処理施設は、世界中でもここと大阪の2か所だけだとか。ごみ処理場が見たくてウィーンまで来たわけではないけれど、これでコンプリートしてしまった。

宿の近くには、地下鉄とつながった巨大な大学病院もあり、最寄駅から歩いてみたら、建物の中の直線だけで1キロぐらい歩いた。スターバックスなどの店舗も色々と入っていて、ショッピングモールの雰囲気も少しだが醸し出されていた。こうして、ウィーンには街にさほど歴史は感じなかったものの、街の規模が大きいからか、細かな発見はちょくちょくあった。

その細かな発見の1つは「ビーバー案件」。ウクライナ以来だろうか。トラムに乗っていて、沿線でたまたま「BEAVER BREWING COMPANY」という店を見つけて、ウィーンで過ごす最後の夜に訪れてみることに。

チームシマの2大マスコットキャラクター、ビーバーの「はじめ」とペルー出身の「ロバ太郎」で、店内のコースターとともに記念撮影。

確か店名の由来を聞いたのだが、すっかり忘れてしまった。ハンバーガーとビールがメインの店で、おいしかった。ウィーンでは食費にだいぶお金をかけて、その分、当たりをよく引いたように思う。

翌日、ハンガリーに出発する日の朝。初めて手に入れたギーとミルク泡立て器でバターコーヒーを作り、飲み始めた。朝ご飯の代わりにバターコーヒーを飲む健康法が、日本でも注目されてきているタイミングだった。ファミリーマートが2017年12月から店で売り始めたところ、人気商品になったらしい。

ギーはヨーロッパでは手に入れやすかったため、この先しばらく、バターコーヒーがチームシマの定番メニューとなっていった。