だらだらと1週間ブダペスト 夜景は見ごたえ抜群だった

オーストリアの次は、かつて19世紀から20世紀にかけてハプスブルク家がオーストリア=ハンガリー帝国を率いたハンガリー。ヨーロッパの陸続き移動が長くなってきて、国に対するイメージはぼやけがちになってきた。第二次世界大戦後は東側諸国となったこと、2000年代のジンバブエドルでさえ超えられなかったほどのハイパーインフレが大戦後に起き、「10垓(がい)」の位(垓は兆に0を8つ、または京に0を4つ加えた単位)の紙幣が発行された時さえあったこと、1950年代にハンガリー動乱を旧ソ連軍に鎮圧されたことは知っていたが、近年の知識はほとんどなかった。

ブタペストには同じ宿泊先で1週間滞在した。この旅では初めての長期滞在だったものの、近隣都市までプチ遠出などもせず、ハンガリー料理に舌鼓を打つこともなく、宿泊先の部屋にいることが多かった。エアビーアンドビーで予約した1室貸し切りのアパートの居心地がとてもよく、日本でいえば猛暑日のような日が多く暑かったこともあって、部屋での滞在が長くなり、特に妻のゆっきーはこもりがちになった。ずっと移動を続けてきたので小休止の意味合いもあり、この先の旅の予定もここでかなり組み立てた。

そういうわけで、観光はさほどしなかったものの、ブタペストは景色が素晴らしく、ゆっきーは「本当に美しい街だと思った」「特に夜景がドナウの真珠と言われただけのことはある」と感想を語っている。ブダペストはドナウ川を挟んでブダ側とペスト側に分かれており、僕たちチームシマはブダ側に泊まった。印象としては、ブダ側は旧王宮などを抱える閑静な住宅街、ペスト側は繁華街が多くにぎやかな街に思えた。街自体は特に洗練されているわけでもなく、他の旧東側諸国に見られたような無機質感ももっさり感もなく、そういう意味ではオリジナリティがあったのかもしれない。ただ、ベルリンのように住んでみたいと思わせるものはこの街にはなかった。

ウイーンからブダペストまでの移動は、例に漏れず長距離バス。特別な感慨もなく国境を越え、ブダペストには昼下がりに到着。ここからメトロで宿まで向かった。今回の宿はオーナーが外国に住んでいることもあり、完全にセルフで最初の開錠から出発までを行った。

歴史を感じさせる、味のあるアパート。

ゆっきーが写真を撮っているところを撮影。吹き抜けが美しかった。

部屋の内部はリノベーションされていて、ダイニングキッチンも新しかった。

主にゆっきーが寝る時に使っていたソファーベッド。

その上のロフト部分にもベッドがあった。

こちらは寝室。ここは一度も使わず。

自炊のため、近くのスーパーまでお出かけ。ハンガリーに着く頃までには、ドイツ資本の「Lidl」(リドル)が安めでBIO食材も扱っていて使いやすかったため重用するようになっていて、ベルリンのほかプラハ、ウイーンなどでも何度も訪れていた。似たチェーンでドイツ資本の「Aldi」(アルディ)もよく見かけた。写真は、リドルのある辺りからみた大通りの風景。トラムが頻繁に走っていた。

2日目はほとんど部屋にいて、3日目には郊外にあったIKEA(イケア)まで買い物のためお出かけ。トラムのターミナルを横目にバス停まで向かい、そこからバスで移動。

イケアに行ったのはいつぶりか、神戸に住んでいた時に訪れて以来か、と記憶を辿った。この先、フランスまで繰り返しお世話になるとは、この時は思っていなかった。ここを訪れた第1の目的は、2泊3日くらいの小旅行に耐えられそうな安くて軽いカバンを見繕うことで、割とあっさり見つけられた。ライオンのクッションを見かけたので記念に撮影。

ゆっきーの情報でイケアの食堂は安いと知り、軽食を食べていくことに。この先、物価の高い北欧で、この食堂が特にありがたい存在となる。

イケアでの買い物を終えた後、近くのスーパーにも立ち寄ってみると、アイルランド産などに囲まれて日本産のウイスキーを発見。サントリーのような大手ではない醸造会社の銘柄がこんな中東欧でも流通していることに驚いた。ニッカやキリンのウイスキーも置いてあった。

その翌日は僕1人で散歩。前日、新たなバッグを買ったため、まだ使用には耐えられたバッグを道の途中にあった消火栓に残していった。帰りにはなくなっていたので、誰かに貰われていったのだろう。

歩いている途中で、旧東ドイツ車のトラバントを発見!ベルリンで見かけたトラバントは全て観光客用だったため、こうして現役で使われている車を見るのは初めてで、かなりうれしかった。

この日の目的地はブダ側の城塞。といっても、標高235メートルのゲッレールト山の頂上を目指す軽い山登りで、山のふもとにあった温度計は37度を示していた。体温と同じほどの暑さの中、まずは小高い丘からドナウ川に架かる橋を眺めた。

これは洞窟でできたカトリック教会。反対側を向けば、ブダペストでも特に有名なゲッレルート温泉が入ったホテルの建物があった。

頂上付近まで登ってから、先ほどの橋を眺めた。

こちらは左側を眺めた様子。川の向こうに市街が広がっていた。さらに左を向けば旧王宮があるエリアだが、この場所からは木々が広がっていて見えず。

ゲッレルート山の見どころの1つ、自由の像。別名の「女神像」で知られ、旧ソ連軍がナチス・ドイツからハンガリー国民を解放したことを記念して大戦後、建てたものらしい。

山を下って川の対岸に渡り、今度はペスト側から自由の像を眺めた。

幾何学模様が雰囲気のあるこの建物は中央市場。訪れた時は閉まっていた。

その近くにあったデザート店で売っていたアイスクリームが安かったので食べてみた。

ペスト側のドナウ川に近いエリアはツーリスティックで、観光客向けの店が立ち並んでいた。そのうちの1つ、Tシャツ店ではユニークな商品が揃っていて、有名なデザインをもじったものあり、しばらく眺めていた。1枚買いたいと思ったものの、チームシマで持っていたTシャツは飽和状態だったので諦めて立ち去った。

賑わいを見せる広場。このあたりは、チームシマが滞在したブダ側とは違い、先進国の目抜き通りといった装いだった。

ブダ側に戻ってきて、先のゲッレルート温泉と比べると少し知名度の落ちるルダシュ温泉の前も通ると、外でも十分に分かるほど塩素臭く、温泉に行く気をなくしてしまった。

宿泊先から歩いて行けるところには、こんなモダンな色合いのショッピングセンターも。

部屋に帰ってきて夕食。この日までは自炊が続いた。

翌日のブダペスト5日目、後半戦に入ってようやく、ゆっきーも観光に出る気になり、チームシマで街を見て回ることに。といっても動き出しは夕方、とそれほど早くもなく、ブダペストの公共交通の24時間券を買って、まずは川を渡ってペスト側の市街地へ。

夕食に向かう途中で見つけた石像の前で顔真似を。

ブダペストで初めての外食はハンガリー料理店ではなく、日本料理店。ゆっきーはカツカレーに餃子、僕は焼肉丼を選んだ。味付けに何となく物足りなさが残ったものの、そういう思いになったのはなぜかまでは突き詰めなかった。

バスに乗ってブダ城の方面に向かった。これはバスを降りてから、直前に渡ってきたセーチェーニ鎖橋を眺めたところ。

ここから、ケーブルカーに乗って城まで登った。ケーブルカーはリトアニアのカウナスで長期休業のため振られ、ウクライナのキエフでも同じ理由で振られて、3度目の正直だった。

動き出すと、喜びのあまりチームシマの2人に笑顔がこぼれた。

ケーブルカーの軌道からブダペストの市街地の眺め。乗車時間は短く、あっという間だった。

城の方までたどりつくと、夕暮れを見ることができた。時刻は19時半近く。同じ時期の日本より日没は少し遅めだった。

チームシマのマスコットキャラクター、はじめとロバ太郎も日暮れ時にたたずんでいた。

ブダ城に来ると、新婚写真の撮影をしていそうなカップルの姿。さすがは観光名所。

暗がりとともにライトアップされた街が幻想的に浮かんできた。真っ暗になってからよりこのくらいの時間の方が美しかったように思う。

前日に僕1人で山登りをした際に眺めた橋も、夜はこんな景色になった。

チームシマで撮影。

山から降りぎわ、川を挟んで真正面の方向から国会議事堂を見た。

地下鉄として唯一世界遺産になっているブダペストメトロの1号線に乗ってみた。「東洋初」の地下鉄だった日本・東京の銀座線より31年早い1896年に開業、世界初の電気運転の地下鉄で、個人的には駅のレトロさが気に入った。

ブダペスト6日目もチームシマで外出。まずはトラムに乗って中央市場へ。今回は開いていて中を見られた。観光客向けの店が多かった。

市場で見かけた、変な日本語が書かれたシャツを着た人。見た目のインパクトは弱め。

2日前にも訪れたデザート店で、この日もアイスクリームを買った。甘いものには目がない。

ブダペスト西駅まで移動して、構内にある「世界一美しい」といわれるマクドナルドをチラ見。それほどでもなかったように思う。

この日のメインイベントは、格安のドナウ川クルーズ。24時間券で乗ることのできる公共汽船があり、それでドナウ川をしばらく遊覧した。

前日も見た国会議事堂を、今回は船の上から。

はじめ、ロバ太郎もまたたたずんだ。

1時間余りの船旅を終えて、ゆっきーは暑さにやられ気味。早めの夕食でベトナム料理店に行った。

この店はかなりおいしく、気に入ったため翌日の昼も訪問。何を食べてもハズレはなかった。ブダペスト滞在の実質最終日のこの日は、翌日に迫ったノルウェー行きの準備に精を出した。

そして出発の日の朝、1週間お世話になったアパートを最後に撮影する僕を記録に収めるゆっきー。沈没気味で、観光客らしいことは少ししかしなかったような気がする。こういうときもありだろう。

メトロとバスを乗り継いで空港に到着。今回乗るのは、ハンガリーに本拠を置き、近年の発展が目覚ましい格安航空会社(LCC)の「Wizz Air」(ウィズ・エアー)。この旅自体、LCCを使うのは初めてで、最も手荷物制限の厳しい部類に入るウィズ・エアーということで構えてはいたものの、割とあっさり搭乗口まで来られた。次の目的地はノルウェーのスタバンゲル。フィヨルドを見にいくためにこのルートを選んだ。次は初の海外レンタカーも待っていて、僕は楽しみと緊張が入り混じっていた。