コロナ下で旅人は何をめざせばいいのか

1月17日は、私にとって因縁深い日だ。神戸育ちの私が阪神・淡路大震災に遭った日であり、母の命日でもある。この2つが同じ日なのは偶然で、母は震災よりも前に亡くなっていた。

そんな1月17日、1年前の2020年に私は何をしていたかというと、懲りもせず2度目の西アフリカを旅していた。いずれシマ人に経緯を書いていこうと思っているから詳しくは伏せるが、この日は最初の目的地だったガーナの首都アクラから、東隣の国トーゴの首都ロメに移動した日だった。日本で初めての新型コロナウイルス感染者が公表されたのがその前日。当時はここ西アフリカでも、コロナのことを声高に叫ぶ人は誰一人としていなかった。

その後、旅の途中から妻のゆっきーが合流し、3月も半分が過ぎ、チームシマで日本に帰国するころになると世界中、コロナの話題で持ちきりになっていた。国境を封鎖する国が続々と増えて、観光客として海外を旅行できる環境はあっという間に失われ、以後、ほぼ状況が回復することのないまま、1年近く経とうとしている。

1年前、私が向かったトーゴは東西に狭い国で、海岸線の幹線道路は50キロほどの幅しかなく、この国の道路で案内標識を見ると右にガーナ、左にベナンといった具合で隣国が示されていた。あれほど垣根が低そうにみえた国境も、今はどうなっているだろう。私のような、見るからに東アジアから来た人間だったら、国境をやすやすとは越えられなくなっているに違いない。

もし、いま読んでいる方が日本と海外を行き来するバックパッカーなら、旅をしたいと思いながらもできなくなってしまっている状況に、何か大事なものを奪われた思いになっているだろう。私もその1人。だからといって、なげいていても、思考停止していても、自分も世界も変わらない。

私がいま、めざすところは海外ではなく、自分の中にある。こうしてチームシマのウェブサイトで旅を振り返ったり、どうすれば持続的に世界を旅し続けられるかアイデアを練ったりしている。いずれまた世界に出ていくときのために。そしていまのために。アイデアは、いつか公開できる日がくるかもしれない。

シマ人での「旅」は2018年9月のチュニジアから1年以上、止まったままになっていましたが、次のフランスから再開しています。これからも、細々とでも更新を続けていきますので、どうぞご覧ください。もしよろしければ、感想、リクエストをお寄せください。