スペイン その4 ヨーロッパ、また会う日まで

ポルトガルから陸続きでジブラルタル海峡まで移動し、船でモロッコに渡ることにしたチームシマは、長距離バスでスペイン国境までやってきた。

今回紹介するのは、途中で2泊しながらスペインのアンダルシア地方を移動し、モロッコに向かうまでの道のり。

懐かしのアンダルシア

これから向かおうとしているスペイン南部のアンダルシア地方は、バルセロナと同様、僕は3年前の2015年にも訪れていて、多少は勝手を知っていた。

そのときは、トルコから空路でマラガに入り、南のアルヘシラスを訪れたあと、セビリア、コルドバ、グラナダに立ち寄り、鉄道でバレンシアを経由してバルセロナへと向かい、最後は首都マドリードとその近郊を観光するルートだった。マラガは、上の地図に載っていないのが不思議なほどの規模を持つアンダルシア地方第2の都市で、グラナダとマルベーリャ(マルベリャ)間の、よりマルベーリャに近いところにある。

僕は一人旅をした3年前、アンダルシア地方ではグラナダのアルハンブラ宮殿をはじめ、主だったスポットをある程度は訪れていて、まじめな観光客をしていた。しかも、その合間を縫ってアルヘシラスからイギリス領のジブラルタルまで足を踏み入れ、モロッコ側までフェリーで往復もしていたから、いま考えると、わずかな寸暇も惜しんでせわしなく動き回っていたのだろう。それが、本当に異国での旅を楽しむのに適した方法だったかどうかは別にしても。

今回は、そのときとは全く違った意味で、時間を惜しまなければならなかった。これまでに何度も話題にしてきたシェンゲン協定の加盟国に滞在できるルールのことだ。僕たちチームシマの滞在期限は11月6日までで、スペインに再びに入ったころには、残り5日間になろうとしていた。

この日の長距離バスのチケットはセビリアまで買っていたものの、そこまで移動するとなると到着が夜遅くになってしまうため、途中のウエルバで下車して、そこで1泊することにした。

ウエルバに到着。ガイドブックには載っていないような観光客向けではない街だったが、バスを降りてすぐにエキゾチックな南国風の風景が広がっていて、どことなく貧相さが漂うポルトガルとの違いを感じさせられた。

スペインはポルトガルと1時間の時差があり、時計の針をまた1時間戻した。このスペインが属する時間帯は中央ヨーロッパ時間と呼ばれ、西はスペインから東はポーランド、ハンガリー、北はノルウェーやスウェーデンにまで広範囲に及んでいる。スペインなどは西ヨーロッパに位置していて、誤解してしまいそうだ。

この日、予約したホテルにチェックインして、晩ご飯の食材とともに、モロッコに入ると調達が難しくなるかもしれない、ヨーロッパ産の生活用品を調達しに出かけた。

これは、その途中で見かけた旧ウエルバ駅の駅舎。スペイン独特のネオ・ムデハル様式の建築らしいが、遠目からは、何となくイスラムを思わせる雰囲気があった。

訪れる半年ほど前までは現役の駅舎だったが、徒歩10分ほど離れた市街地の隅っこに新駅舎が開業したという。また、かつてはここからポルトガルとの国境の町まで線路が続いていたというが、いま、セビリアやマドリードからやってくる列車は、ここウエルバが終着駅となっている。1日の運行本数は往復とも数本のようで、廃れていく一方のようだ。

さらには、旧共産圏にでも来たかのような、主張の強そうなナゾの銅像を発見。後で調べたところ、アンダルシア地方で行われる「エル・ロシオの巡礼」を示した像で、銅像の建築費用を出した人たちの顔が、ロシオ像を担いでいる人たちに描かれているという。日本でも、寺社に寄進した人の名前が刻まれた札板や玉垣をよく見かけるが、それに近いものがあるのかもしれない。

買い物を無事に済ませて宿に戻っていった。商店街は、スペインにしては珍しく店じまいが早く、これからがスペインの夕飯時の20時30分ごろというのに飲食店も開いておらず、閑散としていた。

移動、そしてまた移動

翌日は、ウエルバからアルヘシラスまで大移動。直通バスはなく、まずは朝、ウエルバからセビリアまでバスで向かい、続いて別のバスでアルヘシラスへと進むことにした。

ウエルバからセビリアまではさほど時間がかからず、午前中には到着。しかし、セビリアはアンダルシア地方の最大都市ということもあってか、面倒なことに、ポルトガル方面とアンダルシア各地へのバスターミナルは別々の場所に位置していて、バスターミナル間の移動までしなければならなかった。

というわけで、チームシマが到着したプラザ・デ・アルマス(Plaza de Armas)のバスターミナルから、バックパックなどの大荷物とともに路線バスで移動。車窓から見える風景は、僕にとっては3年前に訪れたことのある場所かもしれなかったが、もはや記憶になかった。

バスの真横に白馬が。どうも観光用の馬車のようだった。さすが、かつてのイスラム文化とキリスト教の文化が融合したスペイン有数の観光地といったところ。

もう1つのバスターミナル、サン・セバスチャン(San Sebastian)に到着。アルヘシラス行きの長距離バスの出発時刻にちょうどいいタイミングでやってこれた。ここからアルヘシラスまでは3時間半ほどの道のり。アフリカへの橋渡しとなる街まで、あと少しだった。

長距離バスに乗って行程の4分の3くらいまできたところ、アルカラ・デ ロス・ガスレス(Alcalá de los Gazules)という町を通ったときに、白い建物が連なる光景が車窓から見えた。「アルカラ」はアラビア語の「城」という言葉に由来するらしく、かつてイスラム勢力により支配されたことがうかがえる一方、目の前にはアンダルシア地方に残るスペインの「白い村」のイメージそのままの世界が広がっていた。

アルヘシラスに到着。この日はバスターミナルに隣接するホテルを予約していたため、すぐに宿へと入ることができた。そして、部屋のベランダから見られたのは……

バスターミナルビュー。港町まで来てこの光景は少し残念な気もしたが、いろんな地方からバスがやってくる様子を確かめられるのは楽しかった。

イスラムが香るアルヘシラスの街

まだ日暮れまでには時間があったので、アルヘシラスの街を少し散策しつつ、前日に続き、アフリカに備えて買い物することにした。

その途中、カフェに入って注文したものといえば。

漫画などに出てきそうな、まるでうんこのような形をしたケーキ。子どもなら、ネタとして喜びそう。肝心の味は、日本ではなかなか経験できない、身の毛がよだつほどの甘さだった。

宿に戻る前に通りかかった公園はイスラム風。バルセロナで見た初期のガウディ建築を思いだした。

考えてみれば、アンダルシア地方は8世紀初頭から500年以上、長いところでは800年近くにわたってイスラム勢力に支配された歴史がある。ウィキペディアによると、このアルヘシラスは713年から1344年まで、およそ630年間もイスラム勢力が居座っていたという。日本の江戸時代より2.5倍ほど長い。それほどまでになると、後世への影響があちこちに残るのも当然のことだろう。

宿に戻ってくると、夕暮れの時間が迫ってきた。昼間は味気なかったバスターミナルビューも、なんだかカッコよく見えてきた。

4か月半に渡るユーラシア大陸横断も明日でおしまい。物思いにふけるようなゆっきー、ロバ太郎、ビーバーのごんばはじめ。イギリスからフランスに戻ってきてからその先、ずっと追われるようにこのイベリア半島の南の方までやってきたが、そうした日々もこれで最後かと思うと、感慨深かった。

ロバ太郎とごんばはじめは、ヨーロッパが名残惜しいのか、どことなく寂しげな表情で寄り添っていた。

フェリーでアフリカ大陸へ

翌朝、ユーラシア大陸とお別れの日がやってきた。フェリーでモロッコ側の玄関口、タンジェの街へと向かう前に、僕は自分の足で宿からフェリーの窓口までの道を確かめた。

問題ないことを確認して、宿をチェックアウトしてチームシマで出発。フェリーのルートは2つ選択肢があり、チームシマはスペイン・タリファ港からモロッコ・タンジェ港を結ぶルートで行くことにした。もう1つのルートは、スペイン・アルヘシラス港からモロッコ・タンジェ新港を結んでいた。タンジェ新港からタンジェの旧市街までは約50キロ離れていて、スペインからモロッコに向かうには、タリファからのほうがよいように思う。

アルヘシラスの港の手前までやってきた。相変わらずの大荷物だったが、新たな大陸を前にしてワクワク感が勝っていたのか、笑顔が尽きなかった。

モロッコは、アフリカとはいってもまだアラブ世界で、日本政府観光局(JNTO)の統計ではアフリカ大陸で最も外国人訪問者数を集める、アフリカでも有数の観光大国でもあったので、まだ安心感は高かった。

しかし、アラビア語やアラビア文字をはじめ、ヨーロッパで過ごしてきた4か月あまりとは勝手が違うだろうとも思い、身構えてもいた。

ゆっきーもゲートへ。ジョギングしている人もいて、のどかで緊張感をやわらげてくれた。

アルヘシラス港のターミナルに到着。チケットは先に下見に行ったときに、フェリー会社のFRSの窓口で購入していた。ここから、タリファ港まで出ている無料のシャトルバスに乗り込んだ。

1時間も経たないうちにタリファ港に着き、出国手続きを済ませて、チームシマでフェリー乗り場へ。いよいよ出発のときがきた。

13時出発のフェリーはもう、乗船手続きが始まっていた。この日はずっと晴れていて、天気が崩れる気配もなく、幸先がよかった。

いよいよヨーロッパともお別れ。スペイン語で「アディオス!」なのか「チャオ!」なのか、次はいつ来られるのか分からないので、おそらく「アディオス!」なのだろう。そういえば、「ちゃお」という名の少女漫画雑誌があったっけ。

シベリア鉄道でロシアに入ってから4か月半。明らかにヨーロッパといえるモスクワからも4か月。長かった。

長居したわりに、別れ際はあまりにもあっさりとしすぎていて、そのあたり、日本国籍の人にとっては入りも出もゆるい、ヨーロッパそのものの姿といえた。

チームシマを悩ませてきたシェンゲン協定の滞在期限からは、3日ほど余ることになった。これは先を考えてのことで、過酷な西アフリカに差しかかったとき、仮にゆっきーがヨーロッパの航空会社を使って日本まで一時帰国することになったとしても、差し障りがないよう、念のため余裕を持たせることにしたのだった。

船内からタリファの港と町並みが見えた。どちらかといえば、町の雰囲気はスペインというよりは、アラブの世界に片足を突っ込んでいるようにも思えた。

いよいよ出発。ただ、この路線は優雅な船旅というわけにはいかず、わずか1時間の乗船中に、船内でモロッコの入国手続きをしなければならなかった。以前もそんな様子だった記憶がある。審査官の動きもノロノロとしていて、当然のように長蛇の列となったが、ここでイライラしていても仕方ない。時間はかかったものの、ゆっきーも僕もモロッコの入国スタンプを無事にもらって手続きは終わった。

タンジェの港に近づくと、そこは藍色に近いオーシャン・ブルーというよりは、空色に似たスカイ・ブルーの世界。

やってきた。僕にとって、待ちに待ったアフリカにやってきた!

モロッコではあちこちを訪れつつ、しばらく滞在する予定にしていた。楽しみが広がってきた。

旅の情報

今回の宿

ホテル・コスタ・デ・ラ・ルス(Hotel Costa de la Luz)
エコノミーダブルルーム 1泊 5,176円
設備:専用バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:Hotels.com
行き方:ウエルバの長距離バスターミナルから南東に歩いて7分。
その他:簡素な宿だった。立地はよかったが、体にかゆみを覚えて、後日、耳の後ろなどがぶつぶつと腫れてきた。清潔さには問題がありそう。

ミール・オクタビオ(Mir Octavio)
ツインルーム 1泊 45ユーロ(約5,800円) 素泊まり
設備:専用バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:Booking.com
行き方:アルヘシラスの長距離バスターミナル、鉄道駅に隣接。
その他:このホテルは鉄道駅からも近く、旧市街にも歩いていけて、とにかく立地がよかった。価格の割に部屋も広く、バスタブもあった。

訪れた食事処

Okay
注文品:ケーキ、コーヒー 計4ユーロ(約510円)
行き方:アルヘシラスの長距離バスターミナルから北に歩いて10分。
その他:日本のスーパーマーケットチェーンにもあるような店名だが、パンやスイーツも作っているアルヘシラスの地元資本のカフェ。人気店のようで、にぎわっていた。

ミドルエイジの視点でみたスペインの感想

チームシマで訪れたスペインには、バルセロナのあるカタルーニャ地方もあれば、サン・セバスチャンのあるバスク地方もあれば、セビリアやアルヘシラスがあるアンダルシア地方、ポルトガルと接する地方もあった。それ以外にも、僕が一人旅で訪れたことのある、首都のマドリードも当然ある。スペインは多彩すぎて一くくりにできないし、国を象徴するものを選ぶのも難しい。

これがインドだったら、同じく多彩だけれど、デリーとコルカタを結ぶ北インドルートのような定番の観光ルートと、その間にあるタージ・マハルやガンジス川という、国を代表する観光スポットがインドのイメージを示してくれる。ただ、それは別の側面からみると、ステレオタイプなインドの印象を作り出すことにもつながるので、一概に良いこととも言い切れない。

もう1つ、スペインとインドとの比較でいえば、その国や地方の価値観をどう受け入れて、楽しめるかがポイントになるだろう。20歳ならまずインドに行くことをオススメするし、40歳でどちらの国にも行ったことがないなら僕はスペインを勧める。日本にずっといると、インドにはカルチャーショックを受けるような分かりやすい違いがあるし、スペインには、20歳だと見落としたり素通りしたりしてしまいそうな、豊かな価値観がそれぞれの地方にある。加えて、スペインには食文化やシエスタに代表される生活習慣など、現地の肌感覚でなければ伝わってきづらいことも多い。

スペインは住みたい国かと問われると、2018年の旅でもその3年前の旅でも、そういう思いにはならなかった。今回は泊まった宿でハズレを引いたことが多かったことが影響していると思うが、それを抜きにしても「ずっと長居したいな」とか「ここならいいな」「ここに住みたいな」と思わせる要素が少なかった。現地で生活している姿を想像できなかったからだと思う。

スペインは失業率が高い。昼間から所在なげに酒を飲んだり、ふらふらしたりしている人をちょくちょく見かけたし、バルセロナの初日にメトロの改札が壊れている現場に出くわすなど、社会システムの適当さが広範なレベルで見えてきた。仕事で駐在するように言われたり、サッカー好きが高じて住み始めてしまったり、とか、そんなことでもない限り、観光や短期滞在にとどまる国だろう、と個人的には思う。