モロッコ その3 古都フェズの「迷い道」で「怪物くん」が旅人を待ち構える

フェズといえば、マラケシュと並ぶモロッコ有数の観光地で、日本に例えるなら京都や奈良のような存在のよう。特にメディナ(旧市街)は「フェズ・エル・バリ」(Fez el Bali)と呼ばれて路地や建物が入り組んだ迷宮のようなところらしく、そういった風情を楽しめたらと思っていた。そのフェズで僕たちチームシマを待ち受けていたのは、観光地では天使のような存在の優しい人たちと、旅行者を食い物にしていそうな魑魅魍魎(ちみもうりょう)だった。

親切なフェズの人たち

青の町シャウエンから民営バスに乗ったゆっきーと僕のチームシマは、途中、バスを乗り継いでフェズへと向かった。バスは乗り継いでからの行程のほうが長く、14時30分ごろ着いた。

バスターミナルからメディア内のこの日の宿泊先までは歩いていけそうな距離だったので、ゴロゴロとバックパックを引きずっていった。

地図で見ると近そうだったものの、メディナの西に位置するバスターミナルから東のほうにある宿までは意外と距離があり、近くに来るまで30分弱かかった。そして、最後の細かい道がよく分からなかった。すると、地元の屋台で買い物をしていた人が案内してくれた。

今回の宿「Fès Touria Palace」は、モロッコの伝統的な「リヤド」と呼ばれる形式。僕は、このようなアラブの伝統家屋にはちょっとしたトラウマがあった。チュニジアの首都チュニスでアラブの伝統的な家屋を使ったような宿に泊まった際、換気の環境などがよくなくて、ゆっきーが体調不良になってほとんど動けなくなり、別の宿に移って静養するか、それとも予定通り遠距離移動するかで、僕たちチームシマに亀裂が入った。そのときの記憶は、2か月前とはいえ、まだ新しかった。

宿に着き、ドアをノックして中に入れてもらった。

「ようこそ」

オーナーはメガネをかけたB系ファッションのソフトな出で立ちをした年下の男性で、話し方やしぐさがどことなくゲイを連想させた。

「スマートフォンのデータ量をチャージしたいけど、どうすればいいか教えてくれない?あと、お腹が減ったけど、近くにどこか安くていいところある?」

「チャージに付き合ってあげるよ。レストランも案内するよ」

宿に荷物を置いて、B系の男性についていくと、宿の近くの雑貨店でチャージができ、レストランというよりは軽食が食べられる店まで連れていってくれた。店の名前はアラビア語のみでよく分からなかったが、英語では「The Sidewalk Door Cafe」という意味らしい。フェズは観光地なのに、商売人を含めてみんな親切なように感じた。

時刻はすでに16時ごろ。遅めの昼ご飯というには、おなかが減りすぎていて、何を食べてもおいしく感じるくらいだと思ったが、食べる前の期待と比べて、タジンはオリーブが多すぎる割に薄味でイマイチだった。現地人にとってはこのくらいの味付けがおいしいのだろうか。

宿に帰る途中に見かけた散髪屋と、宿に戻ってからの広間と。いずれもイスラムチックだった。

人々の生活を感じた新市街

モロッコではこれまで天気のめぐりあわせが悪く、たまっていた洗濯物をどうにかする必要があった。宿で頼むと1キロあたり4ユーロ(約520円)と、現地の物価を考えるとかなり高く、それなら、と僕1人で散歩がてら、新市街にあるランドリーまで片道約5キロ、1時間以上の道のりを歩いて出しにいくことに。

観光客はほとんどやって来ないジェディド門(Bab Jdid)からメディナを出て、新市街の方面へ。

途中でフランス資本のスーパー、カルフールを発見。モロッコに入る少し前から、水を温めてスープやコーヒーを作るためのコイルヒーターを探していたが、なかなか見つからず、カルフールにも置いていなかった。店の品ぞろえはヨーロッパと似ていて、ただ、普通の出入り口とは区別して、アルコール飲料を置いている売り場が独立していたのは、イスラム仕様だった。

タンジェやシャウエンとは違ってマクドナルドもあり、ドライブスルーに車が長蛇の列をなしていた。あとで調べると、それもそのはず、フェズはカサブランカと並んで、モロッコで100万人を超える2つの都市の1つとのこと。カルフールがあったのも納得。

結局、ランドリーまでは1時間半ほどかかった。服を着たマネキンが出迎えてくれたが、どちらかといえば無造作に置かれたままといったほうがよく、ほかにも服や包装があちこちに置かれて雑然としていて、少し不安になった。

中に入ると、店員の女性は不愛想で、しかも英語がほとんど通じなかった。こういうときに、フランス語での旅行会話や日常会話についていけるゆっきーの存在はとても頼りになるのに。それでも何とかやりとりでき、ランドリーは結局、6.3キロで70ディルハム(830円)と、宿で頼んだ場合の4分の1以下になった。

新市街へ出たついでに、国営バスのCTMのオフィスに寄って、次の目的地、首都ラバトまでの切符を買った。フェズの新市街は旧市街(メディナ)と違って、都会の人たちの生活も十分に感じられる現代都市だった。

帰り道はどっぷりと日が暮れていて、またもや1時間半ほどの帰り道を早足で進み、ようやくメディナの前の広場まで戻ってきた。すると、僕を見つけて駆け寄ってくる人がいた。

「明日また来てね!フレンド!」

昼間に行ったレストランで、お客さんとスペイン語でやりとりしていた少年だった。暗がりの中で帰路を急いでいた僕をわざわざ見つけて、英語で呼びかけてくれた。

「ありがとう!またね!」

少年はスペイン語も話せるし、お客さんから残飯のようなものをもらっていたし、スタッフの輪の中にもいたし、かといって注文を取りにくるわけでもなかった。不思議な男の子だった。

夜のフェズのスーク(市場)はすでに店じまいしたところも多く、目印がないと完全に迷ってしまいそう。宿に着くと、21時を回っていた。

観光スポットの「怪物くん」

翌日は、フェズのメディナを探検することに。今回の宿は朝食付きで、パンケーキのほかオムレツ、プリンもあって充実していた。カナダから来たという男性と相席となり、少し話をした。欧米からも観光客が泊まる人気の宿のようだった。

宿泊先を出て、革なめし職人地区の「タンネリ」(Tanneries)に向かうと、道の土産物店の女性が引き連れてくれて、革のお店に入った。

ここでは、イギリスの音楽家、ジャミロクワイのジェイ・ケイに似た風貌の若い男が、さわやかに歴史や革製品ができるまでの工程などをいろいろ説明してくれた。しかし、眼下に広がる染めの世界は染料の毒々しさが目を刺すようで、革の臭いが強烈で、革はいかにも重そう。革をそいでいる職人も間近で見せてくれたが、どれも泥臭い男の世界以外の何物でもなかった。ジェイ・ケイ似の男は熱心に革製品の購入を勧めてきた。

でも、僕は高い革製品はおろか、猛烈にプッシュされた「プフ」と呼ばれるクッションや、安価なモロッコ風スリッパの「バブーシュ」でさえ買うつもりはなかった。チップを払って去ろうとすると、そのジェイ・ケイ似は顔を思いっきりゆがませて、ガイドしてくれていたときの好青年のような姿から一変していた。その変わりようを見て、僕たちはその場を足早に去った。

「まるで藤子不二雄の『怪物くん』の変身のようだったね」と、ゆっきー。

「プフを買ったところで、旅には余計な荷物になるだけやのにね」と、両手を顔の前でシャカシャカ動かして、怪物くんの百面相の真似をする僕。

現地ではただ1人(1頭?1体?)、僕たちチームシマのチームメート、ロバ太郎だけは場の空気を一向に気にする様子もなく、立派にモデルを務めていた。いやー、見習いたい!

そこから一通り、迷路のようになったメディナを歩いて回った。イスラム教の礼拝堂もあれば、道に並べられた売り物の革靴もあれば、フェズの名産として知られる陶器、そして誰がこんなに買って帰るんだろうかと思うほど積み上げられたタジン鍋の容器などもあった。土産物店に限らず、飲食店や普通の商店も軒を重ねていて、目星をつけた店でもいったん離れると、戻ってこれるかどうか自信がなかった。そこがまた、フェズの魅力なのだろう。

♪ひとつ曲がり角 ひとつまちがえて 迷い道くねくね

渡辺真知子の代表曲「迷い道」のサビの部分がふと頭に浮かんできた。僕の物心がつく前にヒットした、年代物の昭和歌謡。別れた男に未練を残した女の心情を歌っているのだが、こうして一節を取り出すと、フェズの街にぴったり。

メディナの起点とされる「ブー・ジュルード門」(Bab Bou Jeloud)にやってきた。観光客も非常に多く、青や緑のタイルで彩られたメディナ最大の門だけあって存在感もあり、個人旅行者もツアー客も、皆こぞって記念撮影していた。

時刻も14時を回ったところで、ようやく昼ご飯へ。宿に近い「Restaurant Fassie Délecie」に入った。僕はこの日、お腹の調子がよくなかったので、ゆっきーがタジンを食べて僕は見ているだけ……と思っていたら、意外と付け合わせがたくさん出てきて、ちょうどいいあんばいだった。

「土産物なら何でもそろう」の功罪

宿に戻り、小休止してから、僕1人で前日に預けた洗濯物を取りに新市街へ。今度はバスでフェズの鉄道駅の近くまで行った。前の日より出かけた時間が早く、街の風景をよく見ることができて、きらびやかな装飾の信号機も見つけることができた。クリーニングはきちんと仕上がっていて、しかも柔軟剤などのにおいも全然せず、満足のできばえ。

帰り、前日に続いてカルフールを目指して歩いていく途中、お腹が減ってきたと思ったら、黄と緑のブラジルカラーの派手なサンドウィッチ店を見かけた。ふらっと引き寄せられるようにミンチ肉のサンドを注文。そうしたら、かなりボリュームがあった。軒先で座ってほおばったら、ここでも予想を裏切らず薄味だった。それとも、ヨーロッパで散々、濃い味に慣らされてしまっていたのだろうか。

店頭にルイ・ヴィトンのコピー商品がおいてある文房具店を横目に見つつ、カルフールに立ち寄って、数日前から食べたかったクッキーや、インスタントコーヒーなどを買い、再びバスに乗って帰った。BIO(オーガニック製品)のお菓子を多数そろえてあったのは、さすがフランス資本。ただ、ヨーロッパからの輸入ものとあって、価格はかなり高かった。

バスに乗ったとはいえ、メディナに戻ってくるとすっかり日が落ちて暗くなっていた。ただ、前の日よりは早い時間だったためか、スークの中はまだ開いている店が多く、明るい雰囲気。翌日は出発が早かったこともあり、ここでは寄り道せず宿に戻って、出発の支度をして早めに寝入った。シャウエンでの宿とは違って部屋にエアコンがついていて、暖かくできるのがとてもありがたかった。

フェズの旧市街はとてもツーリスティックで、日本の四国発祥の書店よろしく「土産物なら何でもそろう」というフレーズがぴったりだった。裏を返せば、市井の人たちの生活が見えにくかったようにも思う。この街を訪れる目的が買い物でなければ、最大の見どころはおそらく革なめしのタンネリの見学ということになるが、そこは百戦錬磨の商売人たちが集う世界。興味本位で近づくと、吹っかけられて嫌な思いをするかもしれない。学生時代に訪れたインドのデリーからコルカタを結ぶ観光地で出会った、クセの強い数々の商売人たちを思い出した。

僕には、職人が一生懸命働いている横で、無職の旅人がフラフラと観光気分でやってくると、気まずいような申し訳ないような、罪悪感とまではいかないものの、気まずさを感じてしまう部分があった。旅をしている間にそのような感覚は薄れつつあったが、それは僕の弱さでもあると認識していた。相手はあくまで、それを生業(なりわい)にしている人で、僕はただの通りすがりの旅行者、というだけなのに。気にしない人は、一向にそんなことには気を向けないだろうし、僕もできればそうありたいと思っていた。

翌日、9時からの宿の朝ご飯を急ぎ足で食べて出発。メディナの外に出て相乗りタクシーに乗ろうとしたものの、なかなかつかまらなかった。時刻は9時45分を回り、ギリギリのタイミングになってきた。

声をかけてきたワゴンのおじいちゃんが「40ディナール(480円)でどう?」と言ってきたのでそれで手を打ち、バスターミナルに連れていってもらったら、出発の10分前に着いた。

ホッとしつつ、荷物を5ディナール(60円)で預けてバスに乗ると、ほどなく出発。モロッコではバス代のほかに荷物預けの代金がかかり、個数によって5~10ディナールだった。1度休憩をはさんだものの、順調に目的地のラバトまで進んだ。さすがは国営バス、前の民営バスと違ってきれいで乗り心地がよかった。

旅の情報

今回の宿

フェズ・トゥリア・パレス(Fès Touria Palace)
スタンダードダブルルーム 2泊 477ディルハム(約5,700円)
設備:共用バスルーム、共用トイレ Wi-Fiあり
予約方法:Booking.com
行き方:フェズのバスターミナルからメディナを東に歩いて約2キロ、30分ほど。
その他:居心地はよかったが、玄関の鍵がなく、外から戻るたびにノックしないといけないのは不便だった。レビューを読むと、宿を管理している人と合わない旅行者も一定数はいるよう。

訪れた食事処

The Sidewalk Door Cafe
注文品:野菜タジン、鶏肉タジン、バナナジュース、リンゴジュース、コーヒー、ハリラスープ 175ディルハム(約2,100円)
行き方:ジェディド門を出て左手すぐ。
その他:宿の人のオススメだった割には、イマイチだった。

Restaurant Fassie Délecie
注文品:タジン、シナモンティー 80ディルハム(950円)
行き方:フェズ最大のモスク、「カラウィン・モスク」から南東に歩いて1分。
その他:出された皿の数が多く、豊かな食卓を囲んだ思いになれる店だった。

Snack Magim
注文品:ひき肉のサンド 12ディルハム(140円)
行き方:新市街のムハンマド5世広場から南に歩いて3分。
その他:10種類ほどのサンドウィッチが12ディルハム均一で売られていて、地元の人たちでにぎわっていた。