モロッコ その5 マラケシュでおもてなしの極意を知る

僕たちチームシマのモロッコめぐりも、早いものでマラケシュで5つめの街。そして、モロッコを代表する都市といえば、真っ先に思い浮かべるのがこの街だ。モロッコがアフリカ大陸のどこにあるのか知らなくても、マラケシュの名を聞いたことがある人は多いと思う。

僕にとって、この国にあまり関心がなかったときには、マラケシュといえば砂漠、というイメージだった。それは、中山可穂の小説「マラケシュ心中」によるところが大きい。

広島県に住んでいて、当時の仕事に先の展望が見えなかったころ、山本周五郎賞を受賞したばかりの中山可穂の小説「白い薔薇の淵まで」を読んで、その熱量にはまり、「サグラダ・ファミリア 聖家族」や「深爪」など、この作者の作品を仕事の合間にむさぼるように読んだ。

中山可穂は、レズビアンを公表している日本では稀有な作家だが、僕の中では、仕事が心から楽しくなかった時期の辛い記憶とともに刻まれている。僕はそののち転職し、もっと早く当時の仕事に見切りをつけて別の道を歩んだほうがよかったとも思ったものだが、いまではその回り道もまた人生なのだろう、と思えるまでには年齢と経験を重ねた。当時は、せっかく選んだ道だから、辛抱して行けるところまで進んでみよう、という思いのほうが勝っていた。まだ若かった。

マラケシュ心中は、書き下ろしの単行本が新刊で出たときに読んだ1冊で、マラケシュが舞台の1つになっていた。その後、読み返したこともあったと思う。でも、それからだいぶ時間が経ってしまっていて、あらすじは忘れてしまった。

その単行本の表紙には砂漠の写真が描かれていて、それが僕の中でマラケシュ、ひいてはモロッコのイメージへとつながっていった。ただ、実際に訪れてみると、マラケシュには砂漠感はなかったのだが。

このだましっぷりは、庄野真代の1978年のヒット曲「飛んでイスタンブール」に似ている。この曲のサビの部分では、

「飛んでイスタンブール 光る砂漠でロール 夜だけのパラダイス」

と歌われている。しかし、トルコのイスタンブールはボスポラス海峡に面していて、都市周辺も含めて砂漠感は1ミリもない。その点、さほど雨の降らないマラケシュのほうが、まだ砂漠のイメージに近いかもしれない。この曲の歌詞に当時、どこかからツッコミが入ったかどうかは定かではないが、昭和50年代前半、一般的な日本人の間では、海外の観光地には物理的にも心理的にもまだ距離があったことをうかがわせる。

話が脱線したが、そんなマラケシュで僕たちチームシマを待っていたのは、サッカー界のスーパースター、メッシを思わせる風貌の宿のオーナーと、モロッコの中でも最も完成された観光地と言っても過言ではないフナ広場だった。

この日の宿はいずこ?

スペイン以来の長時間の鉄道旅で、首都ラバトからマラケシュに向かった僕たちチームシマ。アフリカでの今後の道のりを考えると、まともな鉄道に乗るのはこの先、当面はなさそうだった。列車はトラブルもなく順調に進み、昼下がりにはマラケシュに着いた。早速、この日の宿へと向かうことにした。

モロッコ国営鉄道ONCFのマラケシュ駅は終着駅らしい風情で、開放感にあふれていた。建物の出入り口も、国教がイスラム教の国らしく幾何学模様に美しく装飾されていて、訪れる人たちをきらびやかに迎え入れていた。

さて、ここからが問題だった。

旅の間、宿泊先を探して予約するのは基本的には僕の役割になっていて、この日はなかなかいい物件が見つからなかった。その中で、「アパートメント」とカテゴライズされた、安めな割によさげで鉄道駅からそう離れていない宿を、ブッキングドットコムで見つけて予約していた。

11月とはいえ、きつい日差しが照り付けるなか、僕たちは駅からブッキングドットコムのマップに示された場所まで歩いて向かった。しかし、現地には宿泊施設らしきものはどこにも見当たらなかった。

これがエアビーアンドビーとかなら、何かのミスとも考えられたかもしれない。でも、まさかブッキングドットコムのサイトで、こんなミスは起きるとは考えられなかった。ただ、現地には「アパートメント」はどこにもなかった。これは宿泊詐欺か?

手元のスマホでGoogleマップを見てみると、Gmailから得たと思われる予約情報がマップに現れていた。それは、ブッキングドットコムのマップから西に約2キロ離れた地点だった。

「暑いしおなかが減ったから、どこか近くのレストランに行ってからチェックインしようよ。トイレにも行きたいし」とゆっきー。

「でも、朝に『何時に着くか?』ってメールが来てたし、チェックインを待っていると思う。こんな事態になっているし、いまご飯を食べる気には到底なられへんよ」

結局、メールを通して宿泊先のオーナーに場所を確認をすることに。すると、すぐに住所が送られてきた。やはりGoogleマップが指し示していた場所だった。

まるでアンパンマンのように、おなかが減って力が出ず、文句を言っているゆっきーをはた目に、タクシーを見つけて宿まで向かった。

マラケシュは、僕たちも訪れたシャウエンの「青の町」ほど喧伝されているわけではないものの、ピンクに塗られた建物が目立ち「ピンクシティ」と呼ばれるほど。ピンクにしては控えめで淡く美しいその色合いは、ローズピンクに近く、「マラケシュピンク」と言われることもあるらしい。確かに、宿の近くはマラケシュ郊外の雰囲気を漂わせていたものの、ここがマラケシュだと言わんばかりにピンクの低層アパートが連なっていた。

建物の外観と、サイトで見ていた写真を照らし合わせて何とか探し当てて入ると、僕たちが予約した部屋は屋上にあった。そして、宿のオーナーは屋上で別の宿泊客のフランス人とアフタヌーンティーをしていた。困ったことに、フランス語とアラビア語しか話せないようだった。

「昼ご飯を食べ損ねた」
ゆっきーが漏らすと、
「20分待ったらおいしい店に案内するよ」
と宿のオーナー。

しかしこのオーナー、顔つきといい体型といい、どことなくメッシを思わせる。待っていると、先のフランス人と、そのメッシ似のオーナーが宿の近所を案内してから新市街まで車で送ってくれた。「タジンがおすすめだよ」と言われて、店の近くで下りた。

僕たちはタジンを注文しようとしたものの、すでに売り切れ。時刻も16時を回っていて、中途半端な時間だったからか。やむなく鶏肉と豆料理を頼んだら、カレー味がしてあまりおいしくなかった。しかし、これまで他都市で訪れたレストランよりはかなり安かった。

店を出た後は、ゆっきーが街の中で気になる光景をみつけて、チームシマのチームメイト、ロバ太郎をモデルに撮影をしつつ、次の目的地、トドラ渓谷に向かうためのバスチケットを買いに、国営バスのCTMのオフィスに行った。この日すべきことをすべて終えたあと、ローカルバスに乗って宿へと戻った。

メッシのメシとおもてなしに感激

バス停から数分歩いて宿のあるアパートまで戻り、屋上まで登っていくと、騒がしい声がした。オーナーとその子どもたち、兄弟、友達などが遊びに来ていたらしい。そして、その友達が僕の頭を見て「散髪しないか」と提案してくれた。イギリスで10月、自らバリカンを使って頭を刈ってからそれほど時間は経っていなかったものの、ありがたく受け入れることに。

手際よくバリカンとはさみで髪の毛やひげを整えてもらい、さっぱりした。ゆっきーがその模様をカメラに納めてくれて、最後にその友達と記念に撮ってもらった。この旅では、さかのぼること7月のベラルーシの17歳・マイクに始まり、僕の散髪にはいつもエピソードが付きまとった。面白いもんだと思った。

しかも、この日はゆっきーが「タジンを食べ損ねた」と伝えたら、哀れに思ったのか、オーナーがタジンもふるまってくれた。

野菜を切ったり鶏肉をさばいたりしたあと、食材を並べるオーナー。ジャージ姿で、やはりちょっと太ったメッシのよう。こんな感じでタジン鍋を用意してくれて、僕たちの部屋にあるコンロに火を入れたところで皆が去っていった。

最後に、オーナーと僕たちチームシマでも写真に納まった。

宿の場所が間違っていた最初こそ面食らったが、オーナーは優しさがにじみ出ていて、昼ご飯の店を紹介して車で連れていってくれたり、タジンを作ってくれたり、さらには散髪までしてくれたりと、僕たちの不満も拾いつつ、さまざまなことをしてくれた。

特に、現地の人がタジンを作る様子を間近で見られたのは、日本では味わえないスペシャルな経験で、しばらく心に残り続けた。

それらはどこかの旅行会社のサイトで体験プログラムなどを買ったわけではなく、僕たちの心の負担になるかならないかのギリギリのところで、宿のオーナーやその関係者がお金を請求することもなく、自然に行ってくれた。そうしてもらったことで、僕たちチームシマの心がどれだけ温かくなったことか。これこそがおもてなしの極意というものだと思った。宿の立地は決してよくなかったものの、この宿に泊まって本当によかったと思った。

じーっと見つめるのが得意なロバ太郎が見守るなか、1時間ほど煮込んで食べてみた。6時間ほど漬け込んだというレモンがよく効いていて、これまでにモロッコで食べたどのタジンよりもおいしかった。

おなかも十分に満たされて、クーラーしか使えなかった部屋のエアコンを何とか暖房もできるようにしようと試行錯誤。リモコンの電池を抜いて、もう一度付けると暖房にも切り替わるようになり、部屋を暖かくして眠ることができた。

カオスなフナ広場

翌日、起きてから取りかかったのは洗濯物。屋上のこんな日当たりのよい場所が目の前にあるのに、それを使わない手はないということで、モロッコに来てから初めて思い切り洗濯物をした。ちなみに、写真奥の左手、タイルとはしごの上には小ぢんまりしたプールがあったが、入るのがためらわれるような雰囲気だった。

翌日にはマラケシュを出る予定だったので、ゆっきーとともに昼からバスで中心部へ。まずは新市街で、ゆっきーが行きたいと言っていたお店で昼ご飯を食べることに。その名も「Amal Women’s Training Center and Moroccan Restaurant」といい、女性の就業支援の施設を兼ねたレストランだった。

店が入る建物は独立していて、僕たちの宿の近辺と同じくマラケシュピンクの色をしていた。新市街の中でも外れのほうにあったものの、フランス人をはじめ外国人ばかりでほぼ満席状態。野菜、牛肉それぞれのタジンと野菜サラダを頼んだ。

牛肉のタジンは特においしくて、ボリュームがもっとあればいうことがないほど。デザートに頼んだレモンタルトも、もっとたくさん食べたいと思うほど豊かな味わいだった。

再びバスに乗って、マラケシュ滞在2日目の昼下がりにしてようやくメディナ(旧市街)へ向かった。

メディナの中のスーク(市場)を散策すると、絵を置いている店、バブーシュを並べた店、真鍮製ランプの専門店、珍しいところではトイレサインなどをデザインしたアート作品など、土産物店ばかり。ただ、フェズを訪れたあとだったからか、マラケシュのスークはフェズほどには入り組んだ印象を持たなかった。

エリアごとにそれぞれ、同じ業態の店が集まっていて、真鍮製ランプの一角はなかなか美しく見ごたえがあった。

僕はゆっきーの一時帰国が決まった影響がじわじわときているのか、前日の夜、あまり熟睡できず、睡眠不足の体で歩き回るのは割とつらかった。ゆっきーが一時帰国を見越して、持ち帰る土産の話をするのもしんどく感じるほどだった。

結局、店を冷やかすだけで何も買わないまま時間が経ち、マラケシュを代表するフナ広場へ。正式な名を「ジャマ・エル・フナ広場」というこの広場はかなり大きく、かつては公開処刑場として機能していた時期もあったらしいが、いまでは多くの人や屋台でにぎわう場となっている。僕たちが訪れた昼下がりに目立っていたのは大道芸人たちの姿で、屋台もフレッシュジュースを中心に多くの店が営業していた。

フナ広場を見渡せることで有名なカフェ「Le Grand Balcon du Café Glacier」へと移動。17時前に着いて、何とか広場全体を見渡せる場所を確保できた。世界のあらゆるところから観光客がやってくる、立地だけで暴利をむさぼりサービスも味も悪い店という評判で、確かにインスタントに毛が生えたようなコーヒー1杯が30ディルハム(360円)というのは、モロッコの物価としてはかなり高めだった。ここでのんびりしているうちに、僕は少しずつ体力が回復してきた。

広場では音楽演奏をしながら踊っている集団が最も目立っていて、他にもヘビ使いやサル使い、空に向かって光るおもちゃを投げてデモンストレーションをしている人もいた。

そのうちに、だんだん日が陰って屋台の電球がついていき、その様を眺めているだけで飽きがこなかった。結局、19時過ぎまでカフェにいて、夕方から日暮れ、そして夜の帳(とばり)が下りていく様子をずっと眺めていた。

カフェを出てからは、広場の様子を少し眺めてみることに。

日が暮れると屋台飯の店が軒を連ねていて、路上で眺めるとアジアにもよくありそうな雰囲気。しかし、僕たちチームシマの食指は動かず、この街にもあったカルフールに寄って買い物をして、バスで宿まで帰った。

実質1泊2日でマラケシュに満足

マラケシュがモロッコ最大の見どころだということは分かっていたものの、今回は2泊3日、実質的には1泊2日の滞在にしていた。というのも、これから行くトドラ渓谷からの帰りにもう1度マラケシュに寄ると決めていて、その時にゆっくり再訪するつもりだった。しかし、僕もゆっきーも、これまで見て回った感触だと、帰りも1泊か2泊してさっと通り過ぎてもいいような気がしてきていた。

観光客向けの土産物をこれ以上見るのは気乗りしなかったのはもちろんのこと、何かを体験するコト消費をするような街でもなく、中長期滞在向けともいえなかった。少なくとも、僕たちチームシマのようなバックパッカーにとっては居心地のいい街ではなく、フナ広場を経験できればそれで十分だと思った。

翌日、マラケシュを出るバスが朝8時発だったため、早めに起きて出発準備。まだ暗い中、アパートを出てみると、タクシーが捕まらなさそうなくらい交通量が少なく、少し不安がよぎった。しかし、運よくタクシーが見つかり、メーターの値でCTMのバスターミナルまで行ってくれることに。チップ込みでも10ディルハム(120円)と、かなり安かった。現地人はいつもこのくらいのレートで乗っているのかもしれない。

30分の余裕を持ってバスターミナルに着き、ようやく空が明るんできたなかを、トドラ渓谷への玄関口となるティネリールの街に向けて出発。マラケシュを抜けるとすぐに、バスの車窓から荒涼とした風景が広がってきた。

旅の情報

今回の宿

Studio meublé proche du centre ville
スタジオ テラス付き 2泊 650ディルハム(約7,700円) 素泊まり(実際は初日夕食付き)
設備:バスルーム、トイレ Wi-Fiあり
予約方法:Booking.com
行き方:ONCFのマラケシュ駅から北東にタクシーで約2.5キロ、10分ほど。
その他:別名を「Marrak House」というこの宿泊施設は、どちらかといえばブッキングドットコムよりエアビーアンドビーにありそうな物件。ブッキングドットコム上の地図の位置と、実際の場所が違うという致命的なミスがあった。市街地から離れていて立地は良くはなかったが、その分、やさしいホストと予想外の出来事に恵まれて、とても楽しい時間を過ごすことができた。

訪れた食事処

Hasan Food
注文品:豆スープ2つ、鶏肉料理 45ディルハム(530円)
行き方:マラケシュ駅から東に歩いて10分。
その他:新市街にあり、まさに現地人が使う店という雰囲気で、価格帯も安かった。僕たちのツーショットを店員が気軽に撮ってくれたのが好印象だった。

Amal Women’s Training Center and Moroccan Restaurant
注文品:タジン2種、サラダ、コーヒー、レモンタルト 200ディルハム(約2,400円)
行き方:マラケシュ駅から北に歩いて15分あまり。
その他:全体的に量は少なめ。決して高級店というわけではないが、客層がよくて上品さが漂っていた。

Le grand balcou de café glancier
注文品:コーヒー2つ 60ディルハム(720円)
行き方:フナ広場の南すぐ。
その他:店内では、観光客のさまざまな言語のなかでも特に中国語が飛び交っていて、今回アップした動画でも聞き取れる。中国のパワーと勢いを感じさせた。