モロッコ その6 まさに「警告」級の寒さ! 雄大なトドラ渓谷に凍える

モロッコでの日々も10日目になり、僕たちチームシマがこれまで訪れた国の中では、ロシアに次ぐ長期滞在に入ろうとしていた。

モロッコは、北アフリカではエジプトと並ぶ観光大国ということもあり、この国を思う存分回ってから過酷な西アフリカに入っていくことにしていたが、実際には、国内に入って旅する段になるまで意識していなかったところも多かった。これから向かおうとしていたトドラ渓谷もその1つ。

そして、調べていくうちに、トドラ渓谷には何と日本人経営の宿が2軒もあるということが分かった。どうしてなのだろうか?がぜん、興味をひきたてられた。

これまでモロッコでは各地を2泊3日のペースで早足で駆け抜けてきたこともあり、ここらでいったん、1か所に落ち着き、ゆっくり滞在しようとも考えていた。

ただ、その考えが裏目に出ることまでは、思いもよらなかった。そこには、日本では想像しづらい、しかし、これまでのモロッコ滞在を振り返ると思い当たる「寒さ」という落とし穴が待っていた。

旅で初めての日本人宿

マラケシュを東に出ると、そこに待っていたのはアトラス山脈。険しい山道となり、落石がありそうなところや落ちたら即死しそうな崖の道もあった。そんなところを、大荷物を積んだピックアップトラックが走ったりしていた。

アトラス山脈を抜けたカフェで休憩タイム。今回の道中はかなり寒かった。

「チケット売り場のおじさんが、一番前の席にしてやる、と眺めのいい席を取ってくれたけど、日が出るまでは寒くて寒くて凍死するかと思った!」とは妻のゆっきー。途中、カフェではこんな格好。寒さを想像してもらえるかもしれない。

休憩後からオアシス都市のワルザザートに抜ける道は、これまでモロッコではあまり感じられなかった、砂漠が近づいてきたような雰囲気があった。

トドラ渓谷への玄関口、ティネリールには15時30分に到着。銀行のATMで現地通貨をキャッシングして、乗り合いタクシーに乗って約20分、今夜の宿「アーモンド」へ。宿に入ると、オーナーのみちよさんの夫と娘のあやちゃんが迎えてくれた。

早速、部屋に落ち着いた。

この日は、他に還暦を過ぎた埼玉県からの旅行者、Mさんも泊っていた。久しぶりに旅人と日本語で話をしながら、晩ご飯を待った。みちよさんも途中で現れ、銀行の前ですれ違ってアジア系だと思った人だった。みちよさんは、物腰が柔らかですごく丁寧な印象。

この日は宿でゆっくりすることにして、Mさんやみちよさんにトドラ渓谷のレクチャーを受けたり、外国旅行の話をしながら、注文した夕食を待っていると、肉じゃがやみそ汁をはじめとした和食が。久しぶりの和食はとてもおいしくて、とにかく感動した。

よく考えると、チームシマの世界旅行も約5か月にして、初めての日本人宿だった。ヨーロッパでは1軒も泊まらなかったのは、特に意識してはいなかったとはいえ、僕たちの旅のスタイルかもしれなかった。

夜はかなり冷えた。このあたりは渓谷だったり、標高が高かったりすることが影響していたに違いない。

壮観のトドラ渓谷へ

翌日、ゆっきーとともにトドラ渓谷へ。湧き水が汲めるスポットが2か所あるらしく、僕たちが持っているペットボトルに水を汲んで帰るのが目的だった。

宿のアーモンドがあるのはティズギ村というところらしく、ここからトドラ渓谷までは北に1.5キロ、歩いて約20分の道のり。どんどん進んでいくと、岩肌が荒々しい山並みとともに、川沿いの谷間に緑も見えて、この一帯がオアシスというのもうなづけた。

壁が派手に塗られ、落書きが尽きない建物は地元の学校らしく、あやちゃんもここに通っているらしい。

さらに歩くと、渓谷への入り口が見えてきた。

渓谷に入ると、両脇は切り立った崖になっていて、脇を小川が流れていた。僕たちはまったく興味がなかったものの、ロッククライミングの絶好のスポットというのもうなづけた。そして、岩壁を背後に土産物を売っている店が多少あった。ただ、商売っ気はさほどなさそう。

観光客を積んできたらしい、渓谷内に止まっている大型バスの姿も。

湧き水のスポットを無事に発見。早速、水を汲んだ。これで、この日のミッションは終了!湧き水はその名のとおり、水が噴き出している感があった。

トドラ渓谷からの帰り、カタカナでも店名を記した売店を発見。ここのもう1つの日本人宿は、渓谷の入り口から徒歩で約5分ほどのところにあり、そこの日本人旅行者を目当てに書いたものかもしれなかった。いずれにしても、日本人が書いたものとは思えない、ぎこちない文字だった。

トドラ渓谷と宿を結ぶ一本道から、真新しそうなビルと呼べそうなものもあれば、今にも崩れようとしているものまで、建物が連なっている一角が見えた。どれも壁が土に近い色に統一されているのが印象的だった。

帰ってからは、自炊で昼ご飯。このあと、あやちゃんが遊んでと迫ってきて、人形ごっこをしたりして過ごした。

部屋を見下ろす庭には、寡黙に暮らしているヤギの姿も。

この夜の晩ご飯の風景。Mさんは、翌日の朝早くにはマラケシュに向かい、さらには港町のエッサウィラにも足を運ぶということらしい。他に宿泊客もおらず、「最後の晩餐」は天ぷらなどの和食をいただきながら話をした。あやちゃんは今どきの子どもらしく、ごはんもそこそこにタブレット端末で動画を熱心に見ていた。

トドラ渓谷の滞在3日目は、昼下がりから晴れたこともあり、僕1人で村の周りを散歩してみることに。そこには、宿にいると、寒くてどうしようもないという事情もあった。

トドラ渓谷から流れている川の近くに行ってみると、みちよさんの宿の名前にもなっているアーモンドの木の姿が。

前日は遠方から眺めた集落にも入ってみた。

そして、山肌と空がくっきり見える遠くからも眺めてみた。雄大さに、ため息が漏れてきた。

こちらは、トドラ渓谷の観光名所となっているところを北に通り抜けたあとの景色。岩肌が続いていた。

2時間半ほど散歩して、日が暮れる前に帰ってきた。この階段を下りていくと、左手が宿の入り口。

今回の宿では、晩ご飯は自炊か注文するか選べることになっていて、さらに注文の場合は和食、モロッコ料理が選択できた。初日と2日目は和食にしたので、この日はモロッコ料理をお願いすることに。しかも、みちよさんの夫がタジン料理の教室を開いてくれるというので、ゆっきーとともに参加。

ジーっと調理風景を見つめるロバ太郎。レシピをスマホに書きつつ、完成したタジンを食べたものの……うーむ、これなら毎日、和食のほうがいいかも。

ゆっきーはこの日、体調を崩しかけていて、見るからに調子が悪そうだった。困ったことに、アーモンドには暖房器具がなかった。

よみがえるのは、シャウエンの宿でも暖房がなくて困った記憶。モロッコでは、暖房器具はあまり一般的ではないようで、これまではフェズやマラケシュといった都市部でしか見たことがなかった。しかも、建物は夏場の酷暑対策を念頭に造られていて、寒さのことはあまり考慮されておらず、断熱材なども使用されていないようだった。そして、ここトドラ渓谷の寒さはシャウエンよりも一層厳しく、体にこたえた。

モロッコ昔話の巻!からの廃墟めぐり

トドラ渓谷の滞在4日目は、ようやく快晴。地元の人たちは、晴れたときには川で洗濯をするのが日常ということで、僕たちチームシマも行ってみた。

しかし、これまでの雨で水が濁っていて、この日は川の水で洗濯できる状況にはなさそう。みちよさんによると、数日も雨が降らなければ、透明に近づくらしい。

ここからしばらくは、ゆっきーによる物語。

「モロッコ昔話」

昔々あるところにしまちゃんとゆっきーというじいさん、ばあさんがおったそうな
と、ある日。
しまちゃんは川へ水汲みに、、
ゆっきーは部屋で本読みに、、

♪ぼうや〜よい子だ、ねんねしな♪
あくる日。


じいさんが川へ洗濯に行くと、、
(※昨日雨が降ったのでミルクティー色ですが、普段は湧水みたいなきれいな川です)


むこうから、タジン鍋が
どんぶらこ〜
どんぶらこ〜
と流れてきました。

びっくりしたじいさんが恐る恐る開けてみると、、、

「こんにちは!ロバ太郎ですっ!」
タジン鍋を開けてみると、
なんとそこには、めっちゃカメラ目線の子ロバが入っていました。


「お世話になりますっ!ロバロバ💕」
と、押し切られ、子どものいなかったじいさんばあさんは、ロバ太郎を自分の子どものようにかわいがって育てました。

それから8年たったある日のこと。
「じさま、ばさま、ロバ太郎は旅に出ます!」


渓谷暮らししか知らなかったロバ太郎は、外の世界がどうなってるのか知りたい気持ちを抑えられなくなったのでした。


突然の別れに、泣き暮らすじいさんとばあさんのスマホに、一通のメールが届きました。
「インスタ始めました!フォローしてね!ロバロバ🐴🐴🐴」
https://instagram.com/shimarobataro/
じいさんとばあさんはロバ太郎の元気な姿をみて喜びましたとさ。
【完】

というわけで、タジン鍋から生まれたロバ太郎の話が完成!ちなみに、ロバを見つけてロバ太郎がついていくそぶりをしている写真は、滞在2日目に渓谷で撮影したもの。

この日、実際に手拭いを水洗いして干してみるとこんな感じだった。

撮影中、厳しい太陽光にダメージを受けたというゆっきーとともに宿に戻り、バケツやたらいを借りて今度は本気の洗濯。かなりたまっていて、宿に干す場所がなくなるくらいだった。

昼下がり、今度は僕1人で外に出かけた。

前日の渓谷とは逆方向、ティネリールの町に向かう南のほうを歩いていくと、道端に止まっている日本の旅行会社のツアーバスに出くわした。トドラ渓谷を見にきたのだろうか。こんなところにもツアーが出ていることに少し感動しながら、どういう行程なのか、この渓谷に寄るだけの時間があるのか、気にかかった。

宿から1時間あまり歩いていくと左手にオアシスが見えて、その奥には廃墟になったカスバ(城塞)の存在も確認できた。

Googleマップで見ると、どこに通り道があるのかもさっぱり分からないが、オフラインでも使えるアプリ「MAPS.ME」では、オアシスの中でも点線でつながっている道があり、行けそうだったので急な坂道を下ってオアシスの中へ。

途中、上流からつながっている川も見えた。飛び石も置いてあり、地元の人の通り道になっているようだった。

何とか飛び石を渡りきってしばらく進むと、そこには想像していたよりも規模の大きな廃墟が広がっていた。

ほぼ完全に崩れていて、道なき道を行くという感じ。足元には廃墟とオアシスが広がり、遠目には新しい街という、何ともいえない幻想的な光景が広がり、何枚も写真に収めた。廃墟好きにはたまらんだろうなあ、この光景。

この廃墟を通り抜けて帰路に就くことができるのだろうか、と思いながら、北の方向へと歩いていった。

カスバから、タクシーが通る裏道へと何とかたどり着き、そこからはすんなりと宿へと帰った。

この日の晩ご飯は和食を注文して、鶏の唐揚げをおいしくいただいた。みちよさんの和食は、自分なら家では作らないだろう揚げ物を中心に、手間がかかりそうなものをいろいろと出してくれた。ありがたかった。

ゆっきーは相変わらず体調不良で、風邪をひいたのではないか、ということ。体調が心配になった。

渓谷でトレッキングを楽しむ

翌日、滞在5日目の朝は晴れていて、この日なら川で洗濯できるのでは、と宿の洗濯桶を借りて川へ。

すると、予想通り川の濁りは取れていて、洗濯物をしてみた。干すのは手ごろな岩の上で。乾かした後、取り込んで宿に戻った。

このあと、トドラ渓谷まで湧き水を汲みにいった。すると、フォルクスワーゲンの同じ車種の車が10台ほど連なって止まっている光景が。どことなく要人の視察を連想させたものの、結局、何だったのかは分からずじまい。

水汲み場には他に人がおらず、ゆっくりと汲むことができた。自分の家からこのくらいの距離に水汲み場があれば、毎週末のように立ち寄るだろう。汲んだ水で重くなったペットボトルを宿まで運んだ。

宿に戻って一眠りしていると、にわかにひょうが降ってきた。ゆっきーはこの地、この宿の寒さに疲れ果てたよう。「ゆっくりするどころじゃない。もうこの宿を出たい」と言いだした。

しかし、この宿、アーモンドは7日間連続で滞在すると、日ごとに割引料金になる仕組みだったことと、この先、サハラ砂漠に行く予定だったこととで、僕は何とかゆっきーをなだめて、もう少し留まることにした。

滞在6日目は晴れて、みちよさんやMさんからおすすめされていた山道のトレッキングへ。途中の岩山には、ノマド(遊牧民)の村があるらしかった。

トレッキングの入り口は、トドラ渓谷を抜けてすぐの左手の階段。山道とはいいつつ、ちゃんと人が歩ける道があった。ちなみに、ここは先日のオアシスと同じくGoogleマップには道がなく、MAPS.MEにはちゃんと載っていた。さらに、宿でみちよさんに道を説明してもらっていて、それを頼りに歩を進めた。

ノマドが放牧しているヤギの群れが、岩肌に黒く点々としていた。

途中で出会った地元のカップルに、ヤギの放牧シーンを背景に写真を撮ってもらった。しかし、距離が離れすぎていて、岩肌に虫がくっついているような感じ。

ノマドが暮らす一角にもやってきたが、結局、立ち寄ることはしなかった。お土産のお菓子も買って持っていっていたものの、歩いていてこの景色と相対して、風がなかったら自分の呼吸しか聞こえないようなところにいると、この日は一人ぼっちで、この荒漠とした雰囲気をとことん味わい尽くすほうがいいように思えていた。僕のような旅行者が、その生活にお邪魔するのもどうかとも思った。このトレッキングコースはバックパッカーにはよく知られているようだし、ノマドの人たちは、訪問者に慣れていたのかもしれなかったが。

ずっと歩いていると、岩山に囲まれた町並みといえばいいのか、村並みといえばいいのかが遠目に見えてきて、徐々に近づいていった。この風景を見ていると、トドラ渓谷沿いの村々がこの季節、寒いことにも十分に納得がいった。

この日は、川で洗濯している現地の人たちの姿を初めて見た。このくらい透明感のある清流にならなければ、川では洗濯できないのかもしれない。

新旧の建物群に囲まれた形のオアシスをトレッキングの見納めとした。4時間あまりの行程だった。

この日の晩ご飯は、カツが入ったカレーライス。いったいいつぶりだろうか。しばらく毎日カレーでもいいと思うくらいだった。

オアシス探検隊がゆく

そして、トドラ渓谷の滞在7日目。ゆっきーの体調はようやく回復し、代わりに僕はのどの調子が悪くなってきた。外は天気もよく、ようやく2人でオアシス探検に。

ひらけた空に雲が適度に出ていて、迫力があった。2人の姿からも分かるように、日差しは強いものの、結構寒かった。ビーバーのごんばはじめは身構えるように腕組み。

「雲の影がステキ」とゆっきー。オアシスの中にあった扇形の畑が気になったので、そこまで向かうことに。途中にはあぜ道があり、日本でも見かけそうな光景が広がっていて、懐かしい気分になった。

途中、ロバ太郎が木につながれたロバを発見!それ以外にも、ロバに乗った少女を見かけた。

廃墟となったカスバの建物群は、何度見ても独特の雰囲気があった。

そしてゆっきーが撮ったこの写真は、乾燥した大地。これをアートと見抜くところはさすが!かつて写真を学んだだけのことはある。

このあとは、宿に戻って昼ご飯を食べてのんびりしつつ、サハラ砂漠へと向かう翌日の準備を進めた。

宿のオーナー、みちよさんには1泊2日の砂漠ツアーを手配してもらっていた。砂漠の玄関口となるメルズーガの町までは自力で往復し、現地ツアーはおまかせというプラン。寒かったこの宿ともひとまずお別れ、と思うとホッとした。そして僕は、ひきかけの風邪が心配だった。

夜、宿からは満天の星空。

翌日は、朝早くから出発。僕ののどの調子は悪化していた。
まだ日が昇らず暗い中を表に出ると、みちよさんが見送ってくれた。運よく、逆方向のトドラ渓谷に向かう空の乗り合いバンが通って、渓谷の入り口を経由してティネリールの町へ。これまでに訪れた数々の街から比べると大した規模ではないのだが、僕たちチームシマにとっては1週間ぶりの「都会」だった。

トドラ渓谷はとにかく寒かった。11月中旬でこの気温だから、12~2月はもっと寒くて辛いだろう。宿の部屋には11月のこの時期、窓側にいても日が当たらないのがさらに厳しかった。ゆっきーにとっては、この地に滞在していたときのほぼ唯一の楽しみが、宿で出される晩ご飯の和食だったというほど。

11月のトドラ渓谷での日々は、寒さに気を取られて思索にふけることもできず、明らかに長期滞在には向いていなかった。寒さは何ものにも勝る。ただ、避暑地としては優れていると思う。この地は時期を見て訪れたほうがいいように思った。

旅の情報

今回の宿

Maison d’hôtes Amande(ゲストハウス アーモンド)
窓側の個室 7泊 1,360ディルハム(約16,000円)
設備:共同バスルーム、共同トイレ Wi-Fiあり
予約方法:ホームページからメールで連絡
行き方:ティネリールの相乗りタクシー乗り場から車で約20分。
その他:1週間以上の滞在は割引あり。その日ごとに夕食あり、なしを選択でき、さらに夕食の追加料金が和食50ディルハム、モロッコ料理40ディルハムだった。7泊分の料金は割引と夕食込みのもの。2022年3月現在、一時休業中。料金設定は僕たちの滞在時とは変わっている。ちなみに、トドラ渓谷のもう1つの日本人宿は「Maison d’hôtes la Fleur」(メゾン・ドット・ラ・フルール、通称「のりこハウス」)で、通称のとおり、のりこさんという方が営んでいる。アーモンドに泊まっていても、トドラ渓谷まで歩いていると、のりこさんの姿を見かけることがあった。