セネガル その1 悪名高い国境越え!そしてサン・ルイで魔の手が伸びた

僕たちチームシマの旅もモーリタニアで32か国目、2018年6月から始まった旅も6か月に迫ろうとしていた。そして、次のセネガルでは、ゆっきーが日本に一時帰国することが決まっていて、残りわずかとなった西アフリカでの2人旅の時間を楽しもうとしていた。

セネガルで僕たちが最初に向かおうとしていたのは、かつてフランスの西アフリカ植民地経営の中心で、今では世界遺産にもなっている街、サン・ルイだった。しかし、その前に立ちはだかるのは、旅人の間で悪名高いロッソの国境。そして、落とし穴は思わぬところに待ち構えていた。

ロッソ国境の実態

モーリタニアの首都ヌアクショットで過ごした宿、メナタを出発したチームシマは、セネガルの国境に向けて出発。朝の7時前はまだ暗かった。

タクシーを捕まえて、ロッソの国境に向かう車の乗り場へと向かってもらった。車窓から見えるヌアクショットの風景を目に焼き付けていると、モーリタニアらしからぬ、人目をひきつけるビルが見えてきた。

どちらかといえば東欧・中欧の旧共産圏の奇抜な建物を思わせた。調べてみると、国営の鉱山会社「SNIM」のビルらしい。ヌアディブからアイアントレインに乗ったときにも感じたが、この国の経済の基幹を成しているのはやはり資源なのだろう、と思わせるのに十分だった。

これは、送ってもらったタクシーが途中でガソリンスタンドに寄ったところ。空もようやく明るくなってきて、この国を走る車のボロさが改めて認識できた。

7時30分の少し前にロッソに向かう車の乗り場に着いた。朝焼けがとても美しかった。

待合所で車を待つ人たち。僕たちは大荷物だったためか、2人分の荷物代200ウギアを含めた料金700ウギア(約2,200円)を支払い、出発を待った。

そうこうしている間に準備は順調に進み、8時には出発。どんな国境だろうか。日本人旅行者のブログを読んでも、ほぼトラブルしか書いていないことに気を引き締めながらも、道のりは順調で、11時30分過ぎにはロッソの街に着いた。

車を降りたところで、タクシーや両替を勧誘する人たちがわらわらとやってきた。しかし、僕は一切無視して先に進み、ゆっきーが後を追った。国境までは数百メートルで、歩けるほどだったが、道が舗装されておらずバックパックが砂地にとらわれること、たびたびだった。

それでもガツガツと人の流れに沿って進んでいると、ほとんど誰も声をかけてこず、ロッソの国境に到着。事前の調べでは、12時から15時の間は国境が閉じているという新しめの情報があり、僕たちが到着したのは12時すぎと時間帯が悪かったが、国境は開いていた。

パスポートを正規の職員以外には渡さないように注意を払い、無事に出国スタンプを押してもらった。チームシマにはウソのように何のトラブルも起きなかった。

心の備えあれば憂いなし

ここからセネガル側の国境までは、セネガル川が流れていて、船で渡るしかない。大きな船と、ボートのような小さな舟があり、大きな船は無料だが出発時刻が限られていて、小さな舟は運賃がかかるという情報も得ていた。

僕たちは先を急いでいたこともあり、小さな舟に乗ることに。多少、時間があったので、両替を持ちかけてきた人に、残ったウギアを、セネガルで使用されているセーファーフランに交換した。300ウギアが4,800セーファーになった。

すると、その小さな舟で運ばれてきたスイカをバケツリレーのようにして川から運ぶ人たちが。このあと、スマホで撮影していることに気づいた1人が、撮影を止めさせるために僕たちのほうまでやってきたので、撮影を中断した。

いよいよ舟に乗船。僕の頭の後ろに見えるのがイミグレーションの建物。

この国境はいつも人でかなり混雑しているようで、それが犯罪の温床にもなっているようだった。

出発準備は万端。さっきのバケツリレーは川の側から見るとこんな様子。

いよいよ出発。モーリタニアもこれで終わりかと思うと、感慨深かった。セネガル川は薄いカフェラテのように濁っていた。それにしても、チームシマのチームメイト、ロバ太郎の顔の呑気さがうらやましかった。

渡るのが川ということもあって、ほんの数分でセネガル側の国境に着いた。小さな舟は結局、運賃を請求されることはなかった。

日本国籍のパスポートを持つ僕たちにとって、セネガルは西アフリカで唯一、ビザのいらない国で、国境手続きもそんなにわずらわしくならないはずだが、ロッソの国境はセネガル側でもトラブルは多いみたいで、用心はしていた。しかし、スタンプを押してもらってあっさり終了。

「まるでトラブルがなくてラッキーだったね」と僕。
「私は、自分たちにトラブルが降りかかるとはあえて思わなかったけど、その思い込みがよかったのかも」

ゆっきーにとっては、これまでの旅で最後の陸路国境越えを終えた。

出発時間の読めないセットプラス

ここからは、サン・ルイに出る乗り合いバンの乗り場まで1キロあまりの道を歩いていった。歩き出すと、両国の国境での混雑がウソのように、人もまばらになりのどかな光景が広がっていった。セネガル側は道路がアスファルトで舗装されているのがよかったものの、照りつける日差しでゆっきーの体力は限界に近づいていた。

14時ごろ、乗り場に着くとサン・ルイ行きのバンが待っていたものの、乗客で満員になるまで出発しないとのこと。これまでに訪れた他のアフリカ諸国、例えばチュニジアやモーリタニアでもこの手の乗り合いバンはあったが、セネガルではそれがより規格化されていて、この乗り合いバンのことを「セットプラス」と呼ぶ。フランス語で7席を意味していて、運転手以外に7人乗れるという意味だ。僕たちチームシマに先客はおらず、やむなく客待ちをすることになってしまった。

日陰だったこともあり、僕は助手席に座ってのんびり寝て待つことに。しかし、西アフリカの玄関口ともいえるセネガルまでやってきたものの、この車のおんぼろさはモーリタニアといい勝負だった。

外観がさびていれば、内側は窓を開閉する手動のハンドルが壊れていて、長めのボルトがハンドル代わりだった。

ところで、乗客が集まるかどうかとともに、もう1つの焦点がお金の問題だった。サン・ルイまでの運賃は2人で6,400セーファーフラン(約1,200円)だったが、手持ちでは足りなかった。

そこで、苦肉の策として、運転手にユーロ払いを提案。10ユーロと端数の500セーファーで行ってもらえることになった。

この場所では結局、2時間弱待って出発。なんとかこの日のうちにサン・ルイに到着できそうでホッとした。

車窓を見ながらのんびりしていると、木々と放牧に出くわして、やはり南に来ていることを実感した。

18時前にはサン・ルイのターミナルに着き、ここからさらにタクシーに乗ってサン・ルイ島へ。

今回は久しぶりに宿をネットで事前予約していて、そこに向かおうとしたら、タクシーの運転手が道に迷ってさらに先の砂洲まで行ってしまい、引き返すという一幕もあった。

西アフリカを忘れさせる街

今回の宿「Auberge de Jeunesse du Sud」にはスムーズにチェックインできた。明日の午後には首都のダカールに向かうことにしていたため、夕方ではあったものの早速、サン・ルイの街を散策。

これらは宿の目の前の風景。対岸に見えるのがセネガル本土で、川べりに宿があった。

このサン・ルイ島の中心部が世界遺産になっていて、遺跡としてではなく建造物群が評価されているらしい。この赤レンガがむき出しの建物も、それを象徴するものなのだろうか。

これは、本土とサン・ルイ島をつなげるフェデルブ橋(Pont Faidherbe)を島の側から撮ったもの。護岸の装飾が舟をイメージしたもののように感じた。

街歩きの目的の1つだった、銀行でのキャッシングもトラブルなくできて、当座の資金を確保できた。通貨のセーファーフランはセネガルだけではなく、西アフリカの旧フランス植民地だった8か国に共通する通貨で、かなり使い勝手がよかった。

そうこうしているうちに空はあっという間に暗くなった。市街地はヨーロッパ風でありながら、古びていて朽ちていっている建物も多く、海に囲まれていながら、砂っぽさがあるのはアフリカらしかった。

暗くなった街並みを歩いていると、1年半ほど前に行ったキューバの首都ハバナの、地元住民が暮らす地区の街並みを思い出した。

この日唯一のまともな食事となった晩ご飯は、割ときちんとしたセネガル料理店「Restaulant La Linguere」で食べることに。時刻は20時を過ぎようとしていたが、開いていた。

注文したのは、代表的な料理のヤッサプレで、簡単にいえば鶏肉とタマネギをレモン、マスタードのソースで炒め煮にしたもの。「プレ」は鶏の胸肉、「ヤッサ」はタマネギの煮込みソースのことを指す。見た目は茶色く食欲をそそられないが、とてもおいしくて日本人の味覚に沿った味で、すっかりはまってしまった。

おなかも満足して、宿へと帰っていった。夜になって見える橋の姿は、どこか首都圏や関西圏の都市を思い起こさせて、懐かしい気分になった。

油断大敵!背後に忍び寄る影

ダカールに向かう朝がやってきた。こうしてチームシマで都市間の移動をするのも当面はこれが最後ということで、感慨深いものがあった。

宿の窓からの朝焼け。左側のドアからはセネガル側も見えた。出発を祝ってくれているかのようだった。

この日の宿は朝ご飯がついていた。会場に向かったら僕たち2人だけで、感じのいい空間だった。パンとチーズ、コーヒーの簡素なものだった。

出発準備をして宿をチェックアウトして、荷物を預かってもらってから昼間の街を散策に出かけた。

こちらは、ゆっきーが通りすがりのおばさんの服に魅せられて撮った1枚。

街中は、どことなくカリブに浮かぶ街を思い起こさせた。このサン・ルイ島の中心部は、セネガルの中でも特に人口密度が高いエリアらしい。

舟の写真を撮りに川に行くと、洗濯をする人や釣りをする人の姿が。

そして木登りをする子どもの姿も。遠目には分かりづらいが、白目がぱっちりと写っていた。

川そばには、2018年に造られたばかりとみられる舟も停留していた。

そして事件は起きた。

ゆっきーが先を歩いて、僕がすぐ後ろを歩いていた。ゆっきーの前には制服と思わしき、お揃いのポロシャツを着た女子が多数いて、道も詰まっていた。
「あれってこっちの制服かねぇ」と、ゆっきーが僕に話しかけるために立ち止まり、振り返ると……。

僕の背負ってるリュックのファスナーがパックリ開いていて、その中に真っ黒な手が、ヌッと入っていた。

「危ないっ!!!」

ゆっきーがとっさに叫んだ。すると、僕のリュックに手を突っ込んでいた黒人の若者は、どこかに行ってしまった。

すぐにリュックの中身を確認すると、盗まれたものは何もなかった。

まさに危機一髪。

ゆっきーいわく、「アフリカ入ってからモロッコ 、西サハラ、モーリタニアと治安すごく良かったので完全に油断してた」

「でも、やっぱりここはアフリカ。日中のめっちゃ人通りあるところでもこんな事って日常茶飯事なんだろう。気を引き締めて、鍵も閉めなきゃね、と引き締めモードになった」

僕も同じ思いだった。そして、あと1週間足らずで僕の1人旅になるのに、こんな調子で大丈夫だろうか、という思いも頭をかすめた。

ホッとしたところで、今日は昼ご飯も食べにいった。まずは前日にも寄った店に向かったものの、正午にもなろうかというのにまだ開店していなかったので、別の店へ。

サン・ルイでも人気があるクレープ店。確かにおいしかったとは思うが、格別というほどではなかった。僕にとっては量も物足りず、ここが人気店という理由があまり分からなかった。

荷物を取りに宿に帰る途中、ユネスコの世界遺産のエンブレムが刻印された石碑が、本土と結ぶ橋のたもとに立っていた。サン・ルイは街並みの枯れ具合とおしゃれ度合いがここ西アフリカの中では独特で、リゾート気分でのんびりと滞在するには持ってこいなのかもしれない。ただ、僕が目指している場所はこういう場所ではなかった。

西アフリカ滞在も残りわずかとなり、日本に思いを馳せるゆっきーとは裏腹に、僕はいよいよ、西アフリカ1人旅と向き合う時間が近づこうとしていた。

旅の情報

今回の宿

Auberge de Jeunesse du Sud
ダブルルーム 1泊 22,000セーファー(約4,400円) 朝食込み
設備:専用バスルーム Wi-Fiあり
予約方法:Booking.com
行き方:本土からサン・ルイ島に橋で渡り終えてすぐ南を、セネガル川沿いに歩いて3分。
その他:かなりおしゃれな宿泊施設で、きれいで朝食もついていてWi-Fiも早かった。チェックインが11時30分からできてチェックアウトは翌日12時と、とても利用しやすかった。2022年7月現在、インターネットでの予約受付はしていない。ところで、これまで何度となく宿泊先の予約でお世話になってきたBooking.comだったが、この宿を最後に当面の間、このサイトを通しての宿泊はなくなった。その理由については、いずれどこかで触れる機会があると思う。

訪れた食事処

Restaulant La Linguere
注文品:ヤッサプレ2つ、オレンジジュース2つ 6400セーファー(約1,200円)
行き方:本土からサン・ルイ島に渡ってすぐの著名なホテル「Hotel de La Poste」(ホテル・デ・ラ・ポスト)から北に歩いて3分。
その他:モロッコのタンジェで最初に食べたタジンやクスクスが衝撃的なおいしさだったのと同じように、ここのヤッサプレも非の打ちどころがなく、この店がセネガル料理の基準となった。また、サン・ルイ島は宿泊施設もレストランも観光地価格なのか、物価が高めだったが、その中でもこのレストランは良心的な値段だったと思う。

La crêpe Saint-Louisienne
注文品:クレープ2つ、コーラ2つ 5,400セーファー(約1,000円)
行き方:Restaulant La Linguereの南側の通りを西に歩いて1分。
その他:セネガルの中でもクレープというのは、とてもしゃれた選択肢で、やはりこの街は洗練された雰囲気を持っていると感じた。