ブルキナファソ その1 不穏さを漂わせる国で1日観光ツアー 

2019年2月上旬、アフリカ滞在も残り約2週間に迫って旅が最終盤を迎えようとするなか、僕はコートジボワールの首都ヤムスクロにいた。そして、この旅で最後に訪れることになりそうな新たな国、ブルキナファソを目指していた。

コートジボワールで強盗に遭ってから10日あまり。一度、痛い目を味わいながらも、何とか推進力を持ち続けてきたのは、まだ訪れたことのない国に行ってみたい、という一心があったからだ。

長距離バスを予約してブルキナファソ第2の都市、ボボ・ディウラッソを目指そうとしていた僕に、1つの知らせが入ってきた。同じバスに、もう1人の日本人が乗ってくるという情報だった。首都とはいえ小規模な街から、治安に不安を抱えている国へと向かうような日本人などいるのだろうか。多少の疑問を持ちながら、明け方の長距離バス乗り場に向かうことになった。

弾痕の跡が生々しい国境

長距離バスで移動することになっていた2月4日の未明、僕はちょうど2時きっかりに起きてしまった。部屋の中に蚊がいて、それ以上は寝られそうになかったので起きてしまうことにした。

予約したバスは、コートジボワールの首都ヤムスクロを4時に出発することになっていた。僕は泊まっていた宿を3時半にチェックアウトして、歩いて5分足らずのバスターミナルへ。すると、待合所にはすでにアジア系の人が座っていた。それは、チケットを買ったときに聞いていた日本人の男性だった。男性は、今までしてきた旅行の集大成として西アフリカに2カ月の予定でやってきているらしく、ナイジェリアから入って西に向かって旅しているらしい。

その後、男性と話し込んでいるうちに出発予定時刻はとうに過ぎて、蚊の多さが気になりながらも待っていると、5時10分ごろにようやくバスはやってきた。そして、ものの5分も経たないうちに出発した。このバスターミナルでもらった「Nour Transport Voyageurs」というバス運行会社のビラでは、このヤムスクロから出ている長距離路線はブルキナファソの首都ワガドゥグーのほか、ニジェールの首都ニアメや同国南東部の各都市、さらにはマリ中部の都市ガオもあった。かなり選択肢は多かったが、多くの路線で治安上、問題を抱える地域を走っていることは気にかかった。

バスは日本でもよく見かけるような普通の大型バスだが、車内はかなり物が積まれていて、足の踏み場を探すのが難しいほど。それでも、運転手の真後ろの席をあてがわれると、居心地がよくてひたすら眠った。

約1時半後には、コートジボワール北部にある同国第2の都市ブアケに到着。空はすでに白んでいた。

しばらく休んで7時30分には出発した。

その後は、チェックポイント以外はほとんど止まらず、いい調子でバスは進んだ。寝たり起きたりを繰り返していると、正午を少し回ったところでコートジボワール側の国境に到着。

身分証明書として持っているIDカードで審査を受ける地元の人たちの列とは違って、僕たちはパスポートの列に進んだ。賄賂要求もなく、すんなりスタンプをもらい、現地の人たちの審査が終わるのをかなり待って、国境を出たのは約1時間後になった。

ここの国境では、SIMカード売りがとてもしつこかったのが印象に残っただけだったが、ブルキナファソ側はまったく様相が違った。

プレハブのようになっている国境審査の建物には、銃弾が40発ほど撃ち込まれていて、その弾痕には1つずつ数字が書かれて記録されており、まだ生々しさを残していた。後で知ったところでは、2018年末に武装勢力による襲撃事件が発生していたということらしい。一気にこの国の治安情勢が不安になってきた。

それはさておき、ブルキナファソでも入国審査はあっさりと終わった。こちら側でも待ち時間があり、結局、両国境を越えるだけで2時間以上かかった。それだけ両国の治安当局が躍起になって不審人物の発見に取り組んでいる、ということだったのかもしれない。

そこからはあまり時間がかからずに、バンフォラに到着した。もともとはその先にあるボボ・ディウラッソまで行く予定だったが、男性が「バンフォラには観光地として見どころがありますよ」と途中下車を促してきたので、その誘いに乗ることにした。

僕たちが目指した宿「Hotel Canne a Sucre」までいくと、安い部屋が空いていて、2人とも入ることができた。外壁の外では、ロバが草などを食んでいる姿を見られ、のんびりした風情が感じられた。

この宿にはWi-Fiがあるのが最大の利点になっていたが、僕たちにあてがわれた部屋は宿の東隣の敷地にある別館になっていて、Wi-Fiが届きにくかったのが難点だった。

それでも、リベリアに入国する前以来で約1週間ぶりにネットにつながって、いろいろ確認していると、この日にたまたま、在コートジボワール日本大使館の領事からメールで連絡が入っていた。

そのメールには、先月、僕が被害に遭った強盗事件の犯人が捕まり、この日の翌日の2月5日にコートジボワールの最大都市アビジャンで裁判があること、証人として僕の出廷を求められていること、出廷の可否について連絡してほしいことが書いてあった。

そこで、僕は早速、領事に返信して現状を伝えた。すると、「ブルキナファソは危険度が急上昇中であり、僕たちが滞在しているバンフォラは「レベル2(不要不急の渡航を控える)地域」であるため、いち早く退出してください」と返信がきた。

僕自身は、裁判に出席することで被害に遭ったカメラが返ってくるかもしれない、という思いがあった。改めての返信でその点を問い合わせてみると、裁判所に聞いてみるというメールがあった。

それ以外には、マリで別れたブラジル人のパウロから連絡があり、僕が先月下旬に強盗に遭ったこと、4日にブルキナファソに来たばかりであることを伝えたりもした。

その後、僕たちは遅めの昼食兼夕食を食べに出かけた。めざしたのは、西アフリカ唯一という“マクドナルド”。もちろん世界的チェーンのあの店ではなく、通りはこんな雰囲気だ。

これがその店構え。残念ながら開いておらず、仕方なく別のホテルに併設されているレストラン「Restaurant Calypso」に向かう。

それにしても、バンフォラはこの国で3番目の人口規模(10万人弱)の街だというのに、こののどかさときたら。そして、この光景だけを見ていたら、危険だとはとても思えなかった。

さて、次に訪れたレストランは、舗装道路さえ少なく、土煙の舞うこの街にしてはかなり瀟洒な空間だった。メニューがフランス語だけだったので注文に四苦八苦しつつ、注文した魚料理を食べると、酸っぱくておいしくなかった。その後、僕たちは宿に帰って、つながりの悪いWi-Fiでそれぞれにネットをした。

即席のわがまま観光ツアー

日本大使館から連絡がきてから、僕の心は揺らぎ始めた。もし、強盗に取られたカメラが戻ってくるなら、一刻も早くアビジャンに戻りたい。そんな思いに駆られてしまった。

そうは言いつつも、せっかくバンフォラに来たので観光スポットを回ることにした。同行した男性によると、主な見どころは3つあって、1つはカバがいるという湖、もう1つは滝、そしてもう1つはカッパドキアのような景観が望める地という。最初は宿でタクシーの交渉をしたものの、1人15000セーファーほどで入場料などは別という話で、高いと判断して断り、宿の外で別の手段を探すことにした。

街の屋台でまずは腹ごしらえ。魚と短く切ったスパゲッティと野菜をごちゃまぜにしたような料理で、昨日の晩ご飯よりこちらの方が好み。続いてバイクタクシーを探すことにしたものの、どれがそれなのかもよく分からず、辺りにいる人たちに聞き倒した末、三輪トラックの荷台に乗せてもらって湖に行くことになった。

街を出て西に約10キロ進むとテングレラ湖の近くに着き、そこからは歩いて湖岸に向かった。

湖岸に着くまでに、集落のようなところと、動物の姿を見かけた。

そして、大きなバオバブの木も。

湖岸に着き、入場料を支払って、おじさんの招きで手漕ぎボートに近づいた。おじさんはボートにたまった水をかき出してから僕たちを乗せてくれた。

そして、おじさんは僕たちを乗せると手漕ぎボートを漕いで、一直線にカバがいるところまで連れていってくれた。目がいいのか耳がいいのか、あるいはカバが出現する場所を知っているのか、僕たちにはよく分からなかったが、何の迷いも戸惑いもなくたどり着いていたのが不思議だった。

僕たちもすぐにカバを見つけることができた。親子のカバで、こういう時は親が子どもを守るため気性が荒く、そばには近づけないということらしい。ズーム写真に撮ってもすごく小さいものの、間近で野生のカバを見たことがなかった僕にとって、いい経験になった。

湖から陸に上がると、次の交渉がすぐに始まった。僕たちは残りの観光スポット、滝とカッパドキアのような景観という2つの目的地までバイクで案内してもらい、町まで帰ってもらえるように頼んだ。しかし、これら2カ所は入り口が全く違う場所にあって回り道をしなければならず、時間がかかるらしくて滝の方だけ行くことになった。

バイクに3人乗りすることになり、僕が一番後ろだった。タイヤの空気圧が低く、途中にはガス欠になってかなり危なっかしい旅路になったものの、それも乗り越えて走っていき、滝のあるエリアに着いた。

そこからは、バイクの運転手が先頭に立って案内してくれた。まず最初に林のような場所を歩いて通り過ぎた。

滝のある場所に着いたが、思ったほど大きくなさそうだった。

しかし、この滝には奥行きがあった。裸足になって歩いていった。

少し上っていくと、地元の人か、あるいはどこかからの観光客かが滝を楽しんでいる姿がよく見えた。

さらに上っていくと、開放感を感じられて気持ちよかった。

見渡す限りの大自然で、同行した男性も「ここの滝に来てよかった」と言っていた。気に入ったようだ。

上まで上りきると、再びバイクを止めた場所まで戻っていった。

この林は神秘的な雰囲気があった。

街への帰り道の途中には、地元住民しか行かないようなカフェに連れていってもらい、アルコールが入っていないビールのような飲み物を飲ませてもらった。この飲み物はかなり発酵していたようで、酸味が効いていて酸っぱかった。ブルキナファソはイスラム教の影響が強いこともあってか、男性ばかりが出入りしていて女性の姿はなかった。

さらにバイクに乗って街に戻り、運転手と別れてからはひとまず宿へ。僕の方は、気になっていた裁判がらみの話に進展がなかったため、翌日もバンフォラへと残留することにした。男性のほうは翌日、首都のワガドゥグーに行くことにしたらしく、長距離バスのチケットを買い求めようとしていた。

日が落ちてすっかり暗くなり、夕食をどこで食べるか2人で少しさまよった後、前日は閉まっていた店「MC Donald」がこの日は開いていそうだったので、そこでとることに。

ハンバーガーこそ1種類しかなかったものの、肉料理を中心に数多いメニューの中から僕が頼んだ肉とご飯のセットは、胡椒が効きすぎていてあまりおいしくなかった。

ちなみに、翌日、この店を再度訪れたときはまたもや閉まっていた。世界の辺境といえる西アフリカの地方の街に存在した“マクドナルド”は、本家本元とは全く違う、よく分からない店だった。

思い残すことはなく、次を目指す

翌2月6日は、強盗事件が起きてからちょうど2週間。前日、日本大使館から連絡がなかったので、この街に残ることにした。朝から首都のワガドゥグーにバスで向かった男性を見送って、僕は再び1人になった。宿の別館ともいうべき離れの建物は、僕1人になるとさらに快適で、まるでマイホームに住んでいるよう。ただ、Wi-Fiが届きにくいことだけが相変わらず難点だった。

この日は、最近たまっていた疲れもあり、出かけたのはスーパーで飲食物を買ったときくらいで、あとはずっと宿でのんびりしていた。2月に入ってからは毎日が移動続きで、前日もバンフォラの見どころを回っていたので、この日ようやく落ち着いて休むことができた。

ところで、ネットをしていると、1年前まで勤めていた会社での大規模な不祥事の話題を見つけてしまい、そこからそのニュースをしばらく追ってしまった。ちょうど一通り問題が出尽くしたタイミングらしく、僕が追いかけようとすればネタは豊富にあった。組織体に所属するとこういうことが起きるもんだなと思う。その一方で、遠く離れたアフリカで今さら日本の、しかも出身地の話題を拾う僕の姿は滑稽だとも思った。

日本大使館からはこの日も結局、何の連絡もなく、ひとまず先に進むことを決めた。次の目的地は、当初コートジボワールから目指そうとしていた、バンフォラから北東に約85キロ離れたボボ・ディウラッソ。いずれはコートジボワールの最大都市アビジャンに戻るため、ボボ・ディウラッソからさらに北上して首都の方面を目指すか、それとも方向転換をして来た道を戻るか、まだ決めあぐねていた。

旅の情報

今回の宿

Hotel la Canne a Sucre
シングル 3泊 27,000セーファー(約5,200円) 
設備:共用バスルーム、共用トイレ Wi-Fiあり
予約方法:なし
行き方:バンフォラのバスターミナルから北に歩いて5分。
その他:同行した男性が知っていたホテルで、上にも書いた通り本館のほか別館のような建物があった。別館とはいっても平屋で、建物はかなりガタがきていて、利用者が少ないのか、ホコリがたまっていて清潔さはそれなり。ただ、快適に過ごせるだけの設備はあった。本館にレストランも併設されていたが、高いと聞いていたのでここでは食事をとらなかった。

訪れた食事処

Restaurant Calypso
注文品:ナイルパーチの魚煮込みのセット 4,000セーファー(760円)
行き方:バスターミナルから南に歩いて15分。
その他:スマホのマップで見つけたおしゃれな店で、思っていたより高かった。メインの料理は酸味がきつくて、一緒に出されたフランスパンには全く合わなかった。

MC Donald
注文品:ハンバーグとライスセット 3,500セーファー(670円)
行き方:バスターミナルから西に歩いて2分。
その他:日本でいうならちょっとしたステーキハウスといった品ぞろえで、“マクドナルド”の店名からは想像がつかないような店だった。